晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

穴虫考(33) 青野-3 3/28

2014-03-28 | 地名・山名考

2014.3.28(金)快晴

 「睦志のこと」(上林地名考)穴虫編を「穴虫考」にタイトル変更することにする。
 上林の睦志(むし)の地名考として、穴虫地名を探究すれば睦志(虫)の地名考はおのずと解明するとばかりに記事を書き始めたが、穴虫地名が実に意味が深く、民俗学的に考古学的にも重要な地位があるのではないかと思うようになってきた。上林の一つの地名を解明するための参考となる地名としてではなく、学問的にエポックとなる可能性があるように思え、タイトルを「穴虫考」と変更することにした。睦志に関する考察は放棄したものでなく、別項で新たに設けたいと思う。
 ただ、理解を得たいのは、この記事は論文として完成されたものでは無く、わたしの研究、探究の過程を示したものであるということである。

 穴虫考(33)
 綾部市青野町鳩瀬について探求しているところだが、鳩瀬の読みが「ハトセ」であることを仮定してのことであった。他の読み方としたら「キュウセ」ぐらいしか考えられないが、わたしの説はあくまで「ハトセ」でなくてはならない。後で撤回するような説では何にもならないので、市役所に問いただす。
やはり、「ハトセ」であった。
P1020612
 

由良川にかかる白瀬橋の少し上流、府道77号線から由良川の流域にかけてが鳩瀬である。
 結論から言うと鳩瀬(ハトセ)=初瀨、泊瀬(はつせ、はっせ)だと考える。初瀨、泊瀬とは何かというと、万葉集にいう「こもりくの泊瀬の国」「こもりくの泊瀬小国」などと登場する、三輪山の東の初瀨川、初瀨、長谷寺といった地域で、かつての葬地であり小泊瀬(おはっせ)ともいわれていたようだ。
 この小泊瀬が姨捨(オバステ)に転訛したという説がある。そのことは以前から知り得ていたことなのだが、なぜオハッセ、ハツセ、ハセが葬地なのか長い間分からなかった。
 姨捨山に関する民俗学的文献、論説は多くあって、過去にもいくつか読んでいるのだが何しろ興味の無いことで何一つ記憶に残っていない。書庫をひっくり返して頁を繰ってみると、「日本の地名」(谷川健一著)という最も手近にある本に一文が載っていた。
 
大和国の長谷寺のある長谷(はせ)は初(泊)瀨の略言であって、ハツセは果つ瀬(はつせ)である。わたしの郷里の熊本では今から六、七十年前は人が亡くなることを「果てる」と言っていた。果つ瀬は古代の葬地で「万葉集」巻十六にも「小初瀬山の岩城(いわき)」という言葉が出てくるが、岩城は岩で囲いをした墳墓をさす。
 とある。
 「果つ瀬」にはなるほどと思ったが、岩城には驚いた。亀岡市千代川町北の庄の穴虫に存在する神社は岩城神社なのである。つづく
P1060769



【作業日誌 3/28】
スタッドレスタイヤ交換

【今日のじょん】いつものように鹿害の調査をしながら散歩していると妙なことに気づいた。我が家のスイセンはことごとく食べられてしまったが、堤防沿いのスイセンは何事も無く咲いていることだ。もちろんこの辺りも鹿はうようよしているところだが、どうやら川の鹿はスイセンが食べられることを知らないようだ。P1020595  
  

コメント
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