晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(69) 丸山とイモリ村 7/23

2011-07-25 | 歴史・民俗

2011.7.23(土)曇

 胡麻の地名由来の二つ目は、(2)胡麻=駒=馬説である。これは胡麻=高麗=高句麗説より信憑性がある。平安時代前期の「延喜式」丹波胡麻牧の記載があり、言うなれば国営の牧場というところだろうか。毎年4才以上の馬が貢上されたということである。船井郡誌には、胡麻の地名由来は左馬寮の牧があったため、駒が転じたものとしている。
 殿田に上小牧、西小牧、東小牧、小牧井溝という小字があるが、胡麻牧と関連があるのだろうか。ただ、胡麻高原探訪では胡麻牧には四歳以上の馬が放牧されていたので胡麻=駒説は否定されている。駒というのは子馬のことで二歳馬で若い元気な馬のことという理由である。確かに駒というのは「こうま」の転で小さい馬、子馬のことをいうと古語辞典にある。しかし単に馬というのも駒と言われているようで必ずしも子馬に限らない。福知山音頭にある「駒をはやめて亀山へ~」という駒は決して子馬のことを言っているのではない。
 胡麻=駒=馬説を肯定するわけではないのだが、否定の理由が駒は子馬で胡麻牧とは関係ないとする論理は少し強引過ぎはしないか。胡麻=馬の可能性は無いとはいえないと思うのである。
 (3)胡麻=コマ=川の転回点、川の曲流蛇行する氾濫源という説はいわゆる地形語源説で、実際にそういった地形であればこれは一番信憑性が高いと考えられる。「胡麻高原探訪」の中ではこの説が採用されている。
 コマ=川の転回点、川の曲流蛇行する氾濫源というのは、私自身確認していないのだが、間違いは無いとすると果たしてその地形は一体どこにあるのだろう。胡麻というのは一体どこを指すのか、角川地名辞典でもよく解らない。胡麻、上胡麻は勿論だが古代の胡麻牧が田原郷にあったということもあるようだから、胡麻というのはかなり広い地域であったのだろう。この地域における地形的な変遷は前述の通りかなり複雑なものがあるが、地名が出来上がるころの地形は現在とそう変わりないものと思う。そうすると川の転回点、曲流する氾濫源と言われるところは一体どこだろう。Img_3290

山の方向が畑川流域方面だが予想以上に山深い。


 胡麻原は今は由良川水系となって下山に流れる畑川がかつては大堰川水系でその扇状地として作り出されたものである。この川が地名の由来となるのが妥当だと考えるが、胡麻川本流だって、田原川だって木住川だって転回点も曲流も氾濫源も充分に持ちあわせている。つまりこの語源となる地形は具体的なようで実は随分漠然としたものではないだろうか。「胡麻高原探訪」ではこの説が最有力というのだが、その根拠となる場所は指定していない。ただ、舞鶴市多門院の胡麻地区にそういった地形があるとしたら、この説はもう間違いのないところだろう。つづく

【作業日誌 7/23】
庭木剪定(剪定鋏でやってるのを見かねて、上田さんがトリマーを貸してくれたのだが、これがなかなか面白い)

今日のじょん:「おとーさん、昼寝してるときじょんとかっこが一緒やで」と言われるが本人は寝てるから解らない。ふと見るとかみさんも同じ格好で昼寝している。肖像権の都合で顔はカット。Img_3293


 

コメント
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