晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 墓地(2) 7/6

2011-07-06 | 雨読

2011.7.6(水)曇

 「民俗資料にあらわれた墓地」という土井卓治氏の文中にそれはあった、林葬という項の中の文である。
 「前文略 ところが一般には野蛮未開の習俗とせられ、ことに神国日本にそうした葬法はなかったもので鳥葬の国などというのは異国のことと思われている。考古学者は縄文、弥生から埋葬例があるから、風葬の存在を否定する。積極的に立証できない以上、存在したといえない、事実があるなら証拠を示せというが、野ざらし雨ざらしでは証拠の残りようもない。私はそれにもかかわらず風葬的葬法が広くおこなわれ、庶民の場合はむしろそれが普通であったと信じているので、意見の対立することもある。云々」
 この文章はショッキングであった。私自身、沖縄や奄美で見ることの出来る風葬が本土においても当然存在したと考えているのだが、考古学、史学の分野ではまったく否定されているという事実だ。土井氏も風葬等の証拠となる遺跡の調査をされているが、それは量的にも質的にも決定的とは言い切れない。Img_5983
 
東北の葉山信仰の葉山は近畿には無いようだが、葉山の次に魂の行くという深山は数え切れないほどある。私は古代葬送の地の候補地だと思っているのだが、、、。この深山の入口に賽の神(現地ではササの神と言っている)がある。(2009.7.13参照)


 もし風葬、鳥葬などの葬法が庶民の一般的な葬法として存在していたのなら、もっともっと証拠となる遺跡が出てきても良いのではと思うのは事実である。土井氏が野ざらし、雨ざらしでは残らないと言っているが、骨は残るはずである。何万年前の原人の骨でさえ残っているのだから。
 私は40年近く山や沢に登ってきたが、人骨はおろか動物の骨さえ見つけることはなかった。もし小説「楢山節考」に出て来るような谷が全国にあったなら、そこいら中が骸骨だらけになるんじゃないか。
 例えば京の都だって、戦や疫病で死体が累々ということはよく聞くが、発掘調査で出てくるのは柱の跡や土器、瓦などで、人骨が出てきたというのはあまり耳にしない。こういったことを考えると、骨というのはよほど好条件が揃わないと残存しないものなのか、あるいは沖縄の洗骨のように複葬の習慣が当初から存在し、骨をどこかに埋葬したかとしか考えられないのである。沖縄の洗骨は歴史的には新しいようである、念のため。京都の場合などは白骨化したものをまとめて化野だの蓮台野に埋葬したのかも知れない。それぐらいの行政の力はあったのではないだろうか。
 といった観点で読み進めると、本書の編集の意図は達せられてはいないが、一つひとつの論文は興味深いものであるといえよう。おわり。

【作業日誌 7/6

看板の肉球ワンポイントづくり
薪割り

今日のじょん:じょん語録60、ろーけんですか?
もう既に登録されているかと思ったら未登録だった。お客さんに「老犬ですか?」と言われることが何度かある。妙におじんくさい態度や表情をすることがあり、その時に言われるのかと思うが、「おっさんじょん」よりショックがきつい。
Img_3257
若々しいと思うのだが、、。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする