晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

AKB 胡麻 7/15 

2011-07-16 | 上林界隈(AKB)

2011.7.15(金)快晴

 AKB・上林界隈なんていったら叱られそうだが、上林からちょいと行ける所という意味で堪えて欲しい。大唐内の胡麻峠の由来を探るべく胡麻を訪ねる。胡麻は元々船井郡日吉町にあり、今は南丹市となっているが美山町同様南丹市とはなにかそぐわないなあと感じる。子供時分は国鉄山陰線のSLの列車に揺られて京都まで何度か行ったが、トンネルの数を数えたり、駅名を憶えたり楽しい思い出がある。その中で記憶に残った駅が変な名前の安栖里(あせり)と胡麻(ごま)である。Img_3287 Img_3295
 
国道27号線沿い安栖里駅と府道50号線沿いの胡麻駅。鉄路は下山から園部の間は道路とは別の経路を辿っている。


 大人になって自動車で綾部に向かうようになると、国道9号線、27号線を使うのだが、この胡麻は現れない。あの山陰線の通っていた胡麻はいったいどこにあるんだと不思議に感じていた。自転車のトレーニングで美山や京北に行くようになって殿田(とのだ)から大堰川沿いに京都に帰ることもよくあったが、胡麻は通らない。自転車のチームで胡麻のあたりで練習したことがある。先導のバイクに続いて集団で走るので信号が無いこと、車の通行が無いことが必須条件である。20数年前のことだからそういう条件に合っていたのだろう。ただ、行き帰りはみんなで一列になって走るので地理的にはどこを通ったのかわからない。ゴルフに通い始めて太閤坦、グランベール、クラウンヒルズなんてゴルフ場に行くのだが、殿田駅(現日吉駅)の先の踏切で左折するもんだから、胡麻は結局通過しないわけだ。
 上林に住み始めて、明治鍼灸大に所用があって27号線下山からグリーンハイツの中を通って胡麻に行く。嘘だろうと言うような細くてわけの解らない道をぐねぐねと走り、目的地に着く。Img_3289

下山から胡麻まではいわゆる胡麻高原の開拓地で牧場が沢山ある。

  憶えのある道に出て初めてほっこりするのだが、綾部からだとこの道が最短なんだと解る。そして胡麻と云うところが袋小路になった、抜けるところのない所なのだと解り、そのことが地理的に理解の出来ない原因であったと解った。それだけにとても不思議で魅力的な町でもあるわけだ。つづく

【作業日誌 7/15】
看板ニス上塗り
草刈り(6-1)

今日のじょん:猛暑が続き、朝の散歩も手抜き気味になっているんだが、そのせいかぽんぽこぽんの一投目はすぐに帰ってこなくて、芝生広場をグルグル廻って帰ってくる。カンカン照りのくそ暑い中を全力疾走するもんだから後はくたくたになっている。Img_3278

 

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大唐内のこと(66) 丸山とイモリ村 7/14

2011-07-16 | 歴史・民俗

2011.7.14(木)曇

 若丹、丹丹国境の稜線上で国土地理院2万5千分の一地形図に名が載っているのは老富では三国岳(618,4m)と胡麻峠(524m)のみである。寛政十一年の丹波国大絵図には長谷口、猪鼻峠、三国嶽、護摩峠が載っている。これ等が若狭、丹後に越える重要な街道であった。大唐内から市志に越える峠は地図上に峠名がないが、街道は記載があるので古くから使われていた道だろう。養老山(665,4m)は大唐内ではなく市志の山だが、「京都の山」という本に与保呂(よほろ)では養老ヶ岳、市志では養老山、大唐内では高尾山と呼ぶとある。これは大唐内で確認する必要があるが、それから山名考証してみたい。養老ヶ岳というのは与保呂ヶ岳から来ているのだろうと思うし、市志から与保呂に抜ける峠は丹波国大絵図に八代峠とある。与保呂の小字に矢城(やしろ)の地名が見え、関係があるのかもしれない。胡麻峠は大唐内から多門院(たもんいん)に向かう峠だが、375mのピークの手前で左に向かうと与保呂に下ることになり、舞鶴と大唐内の通行に関してはこの峠が大きな役割を果たしていたと思われる。Img_3300
 
寛政十一年丹波國大絵図(写し)は小さくて、虫眼鏡がないと地名が判別できない。


 さてこの胡麻峠だが、前述のとおり丹波国大絵図には護摩峠と記されている。これは地名としては胡麻も護摩も関係なく、ゴマというよみのみがこの地の由来を示しているのだろう。「北山の峠」(中)金久昌業著に胡麻峠の記述があり、氏の美しく情緒的な文章で大唐内のことを書いておられる。Img_3299
 北山の峠、上中下巻は私の所蔵本の中で、最高の名著である。



【お断り】
この後も記事が続き、【作業日誌】も今日のじょんも書いてあったのだが、どういう訳か消えてしまったので、記事の続きは次回「大唐内のこと」で御紹介し、今日のじょん等はお休みとする。悪しからず。

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