晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

春遠からじ 2/6

2010-02-06 | 日記・エッセイ・コラム

2010.2.6(土)雪

 先日から低温が続いていた。一昨日の夜、大町の温度計が-3℃を指していた。朝はじょんの水や水道が凍っていたので相当夜は冷え込んでいたのだろう。ただ、身体は冬の寒さに慣れきって、そう寒さを感じない。その上陽の光はずいぶんと明るくなり、日照時間も長くなっていたので、春遠からじの感がしていたのである。吉右衛門が来たときにも「もうこのまま雪もきそうにないし、春がくるんかなあ」なーんて脳天気なことを言っていたのだが、今朝は窓を開けてびっくり、真っ白の積雪に吹雪となって、冬が一気に逆戻りした。やっぱそんなに甘くないんだ。

今日のじょん:雪のじょん君をしっかりお見せしやしょう。Img_3838Img_3843まずはうんPして、しばらく雪Img_3845の中を駆け回りやす。それからリードを付けて念道橋までサクサク散歩。念道橋から念道の村を振り返る、橋にはおとーとじょんの足跡だけが続いている。
   
おとーが写真撮ってる間、待ってるワン。上林の奥の方はまだ雪の中。帰ってきたらポンポコポンで二段ジャンプ。Img_3854 Img_3857 Img_3860





おかーも出てきてこんにちわ。もう一回走り回って朝ご飯。Img_3862 Img_3840 Img_3863

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猿襲来か? 2/5

2010-02-06 | 日記・エッセイ・コラム

2010.2.5(金)晴、曇

 休みというのは何千回と経験しているのだが、嬉しいものである。朝寝して、昼前までボーとして、いつものように綾部に買い物に出かける。帰りに27号線沿いの魚幸さんで鯖のへしこやサザエ、鯵のつくりなど買って帰る。へしこは昔のようにやたら塩辛いものでなく、安くて旨い、特に焼いているときのあの香ばしい臭いがたまらない。
 買い物から帰って車を片付けたりしていると、どーも様子がおかしい。んっと畑を見ると、「あー、やられた」、じょんのびファーム最後の野菜である大根が見事にかじられている。「くそー、鹿かなー、猪かなー」しかし朝は気がつかなかったのだ。これだけやられていたら、朝から気がつくはずだ。現場をつぶさに調査する。マルチも破れていないし、足跡もない、猪や鹿なら足跡が残るはずだ。アナグマかなあ、しっかりかじったのもあるが、ほとんどが一口かじったものだ。これはよく聞く猿の手口だ。Img_3830
 もし猿なら椎茸が危ない。実は昨日大きくなった椎茸を収穫し、小指の先ぐらいの小さな椎茸がいっぱい出ているのを確認しているのだ。椎茸は昨秋から出始めているのだが、林の中に放ってあったので、猿の被害を恐れ、木小屋横に移し見えないように寒冷紗をかけていた。恐る恐る寒冷紗をめくってみる。寒冷紗そのものは破られているわけでなく、めくられているわけでもなくいつもどおりのスタイルで居た。ドキドキしながら寒冷紗をめくって、ガックリくる。しっかりやられていた。見事に小さなものまで盗られていた。やっぱり猿めが来やがった。残り少ない大根はよしとして、楽しみの椎茸は許せない。いい知れない虚脱感に襲われる。Img_3831
 猿は昨年の夏以来姿を見せていなかった。林の中で越前クラゲ状の椎茸が出来たときも全然襲われなかった。椎茸が出始めてから3ヶ月、一度も被害はなかった。半年ぶりに姿を現したときが定休で留守にしていたとは、なんという偶然か。それとも以前から狙っていて、留守になるのを待っていたのだろうか、そうするとなんと知能犯なんだろうか。
 ここに椎茸があるのが解った以上、またやってくる、それまでに完全に柵をこしらえなければならない。今、ドッグラン作りが佳境になって調子が出てきたところである。ここで柵つくりに手を取られるのはなんとも手痛い。「何かをしようとしたら、その前にやらなければならないことができてくる」なーんてマーフィーの法則があったっけ。

【作業日誌 2/5】
 ドッグラン柱塗装(6日目)

今日のじょん:もし猿が来ていたとしたら、留守の間もの凄く吠えていたと思う。それでも奴らは、犬が出てこられないのを知って好き放題していたのだろう。じょんはきっと悔しい思いをしたのでは無かろうか。大根や椎茸の現場を臭がせたら、凄く興奮して山の中まで嗅いでいた。

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浅原のこと(1) 2/4

2010-02-06 | 歴史・民俗

2010.2.4(木) 晴

 以前に浅原(あずら)についてアサ、アシ、アソは朝鮮語で鉄を表す旨書いていた。(09.11.12参照)アソなどが崩壊地形を指すと言う意味もあり、浅原がどちらを意味するか不明ということにしていたが、私自身は鉄の産地あるいは加工地であると見ている。Img_3225

葛禮本神社から谷を望む、山の向こうは和知である。


 これはもちろん古代のことであって、文書や言い伝えが残っているものではない。根拠となるものは葛禮本神社の祭神が金山彦命であること、その神社があるのが中風呂という地名であること。その他小字に夕船、浅大谷など金属、金属加工を思わせる地名があること。岩の元、分水という地名も気になっているのだが、目下調査中である。地名については地図サイトで探しているが、総ての小字が載っているわけでなく、ましてや山間部の小字などは地元の人でも解らなくなるような地名もあるようだ。今のうちに住居表示や登記上の地名を調べておきたいと思うのだが、いったいどのようにしたらいいのか困っているところである。Img_3223

浅原の葛禮本神社社殿横にぶら下がっている奇妙な筒、一体何をするものだろう。


 また、近世においても重要な木炭の産地であることも大切である。最終的な証拠となると、鉄滓が発見されることだが、フィールドワークにでられるのは何時になるだろう。
 そんな時、倉敷雑学講座という倉敷市浅原の地名考証をするサイトの記事を見つけた。倉敷市浅原は倉敷ICの北に拡がる地域で、吉備の古代の鉄産地である。どんなところかなとネットの地図を開いてみるとまさしく金属地名のオンパレードである。まず安養寺から浅原峠を向かうと総社市となり軽部山、軽部がある。その西に高梁川があり、自転車旅行で通過したところで、なつかしい。浅原の南、山陽自動車道を越えたあたりに菅生があり、その南東には別府がある。菅生は菅坂同様、菅が鉄を表す言葉と思われる。菅生から国道429号線を北上すると水別と言うところがあり、西に由加山という山がある、これなんかなんとなく金属の臭いがするのだ、、、。いずれにしても古代鉄の主産地であるだけに、研究者には涙の出るような金属地名が並んでいる。つづく

今日のじょん:朝の散歩時にえづいて、吐いてしまった。こういう日は家から出たとき一番に、イネ科の草をかじりにゆく。吐くときも人間と同じようにしゃくり上げるようにして吐くので痛々しい。必ず二度吐くのが何とも律儀な感がするのだが、どうも前夜の食べ過ぎ、あるいは慣れないものを食した時などにあるようだ。Img_3821 そういえば夕べは節分で、豆を数え年分食べさせたっけ。じょんはうち!

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