晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

浅原のこと(2) 2/8

2010-02-08 | 歴史・民俗

2010.2.8(月)曇

 さて、その倉敷市浅原の地名の由来について、「倉敷雑学口座」の原文を紹介する。 

   今は「浅い原っぱ」と書く、この「浅原」は1300年代前半までは朝昼晩の「朝」という字が使われていました。清音・山手村境にある福山(ふくやま)から、安養寺、そして現在の浅原集落のあたり までは、僧侶の住居(=坊(ぼう))がたくさんあるということで「朝原千坊(あさばら せんぼう)」と呼ばれ、高野山(こうやさん)や比叡山(ひえいざん)に匹敵する大伽藍 (だいがらん)、仏教の聖地でした。全国からたくさんの偉い僧侶が訪れる地でもあったそうです。また、東側が開けているため、西の山が朝日に映えて美しい土地でした。 「朝日さす夕日かがやく木のもとに朱瓶(しゅびん)ここのつ瓦万々(まんまん)」という歌が残されています。「朱瓶ここのつ」とは9つの大きな塔があったこと、「瓦万々」とは、僧侶の住居がたくさんあったことを表しています。「朝」は「朝日に光り輝く聖地」、「原」は場所とか国という意味、このふたつの文字で「朝原」という地名ができたというのが、一般的な由来です。
 というものである。
次にしめされているのが、朝鮮語のアサが鉄を表すという説で、わたしはこれが本流だと思うのだが、全国にある朝日夕日伝説が金属の鉱床を探し出すためのものであるという説が主流となっていることを考えると両方とも浅原の由来は鉄であることがわかる。
 倉敷市浅原の東に西坂というところがあり、現実に三吉鉱山というのがあって、ウラン鉱、鉛、マンガン、鉄、錫などの鉱物が採れたそうである。また浅原安養寺は高野山真言宗のお寺のようで、最も鉱山に関係の深い宗派である。そしてまた、毘沙門天の信仰が厚く、毘沙門堂には本尊の毘沙門天がまつられている。毘沙門天は生野銀山の山神でもあり、佐渡の金山で大切にされている百足は毘沙門天の使いでもあり、鉱山に関係することが多い。そしてその隣に素盞嗚神社が存在するに至っては信仰の分野でも、鉄、あるいは鉱山に関連する土地だということが解る。
 倉敷の浅原が鉄関連だからと言って上林の浅原がそうだとは限らないが、小字のいくつかが金属地名のようなので説明しておこう。
中風呂、風呂というのが鞴(ふいご)を指すという説がある。これについては引地のこと(5)で徳島県東みよし町の風呂塔という山の説明をしたとおりである。
先日(2010.2.5付)あやべ市民新聞に華浪山の錫という記事があった。続日本記にこの地から錫らしき金属を献上したという事件についての記事である。このあたり、福知山市瘤木は大江山から連なる鉱山地帯である。どのような地形かなと地図を開いていると、瘤木の上流に大呂というところがある。その道、府道528号線を北上すると金山と言うところに達する。また、菅坂峠を越え行永にいたり、東進すると与保呂に至る。この地も古代の鉄に関係する地と聞く。わたしは「呂」というのがなにか意味のある言葉なのではないかという気がしているのだが、単に「炉」では面白くないし、今後の課題と思っている。
 夕船、ゆふねとよむのだろうか、確認していないのだが、「ゆ、湯」は溶けた鉄を表す言葉で、製鉄の古典である隅屋鉄山絵巻にも溶けた鉄を溜めているところをユツボと描いている。また、たたら製鉄の道具に「湯ハネ」「湯ナデ」などが残っている。弓削の伝説で書いたように、鉱物そのものを指すようになったのではないかとも思っている。「ふね」はいわゆる船状になった入れ物とでも言おうか、いろんな事に利用されるものだが、鉄で言えば鉄穴(かんな)流しに鉄船という木製の装置が使われたようだ。地名辞典を見ているとV字状に底のえぐれた谷を指すこともあるらしい。現地が支流の谷であれば鉄の出る谷と理解できるが、ちょっと出来すぎのような気もする。鉱山のメッカ大江山、内宮の東に湯舟山という山があるのも注目したい。 つづく

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金山彦命を祀る葛禮本神社氏子圏南限。


 今日のじょん:朝のポンポコポン、二段ジャンプが出来るようになった。ドッグランの作製と並行して、市販のアジリティグッズじゃなくて、ワンちゃん達が喜んで遊べるグッズを自然の素材を使って作っていきたいと思っている。良いアイデアがあれば教えてね。ワン。Img_3860 この丸太をもう少し高くして、巾をもう少しとって、、、、。
 

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