晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

粒の大きい雨 12/13

2006-12-13 | 旅行記

 2006.12.13(水) 雨~曇り        
 7:30 起床   
      終日ブログ作成
 
  地図を眺めていると、遙か遠くにあると思っていた十津川村は川湯から17,8キロのところにある。京都から奈良を越えて行くとやたら遠い彼の地へこの機会に行ってみようと思う。上湯、下湯は野性的な温泉と聞いていたので是非入ってみたい。宿を連泊にし、帰りに余裕があれば湯の峰の壺湯にもと欲どおしいことを考えていたら、朝食の後から雨となってきた。
女将が「この辺の雨は粒が大きいのよね」と言っていたがそのとおり、迫力の雨となってきた。残念ながら全ての予定を諦め、溜まりに溜まったブログを作成することとする。よくぞLANがあったものだ。飯も食わずに頑張って、四時前やっと雨が上がる。せめて仙人風呂でも浸からないと連泊した意味がない。上流の方は川の水が入ってぬるめで長時間でも入っていられる。今日は昨日と違いお客は少ないが、男女二人組が多くほほえましい。
女性には各旅館や民宿で入浴用の浴衣が用意してあり、混浴でも安心して入れるようだ。Img_2210 Img_2212
川湯の温泉は吊り橋を渡ったところの露天風呂(混浴)と
橋左の共同浴場(250円)と湯気の出ている仙人風呂。

橋のたもと山手にある十二薬師如来

 宿に帰りビールで一息、食事の後もブログに挑戦、明日は白浜へ。

距離0Km 累計5,726Km 費用860円

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川湯仙人風呂 12/12

2006-12-13 | 旅行記

 2006.12.12(火) 雨~曇り        
 7:30 起床   
 9:05 熊野市青年の家YH発~R42~花の窟~熊野速玉大社~R168~
      県道45号線~
15:00 民宿大村(和歌山県川湯温泉)着~熊野本宮大社 

 しとしとと雨が落ちている。部屋の窓を開けると熊野のシンボル、獅子岩が見える。いい部屋に泊まっていたんだ。出発前に獅子岩を見に行く、鬼ヶ城と同様の原理でできたものだがよくぞこの形となったものだ。Img_2170 Img_2171

獅子岩と花の窟御神体


 出発してすぐ右手に花窟神社(はなのいわや)がある。YHの管理人さんに日本最古の神社だから見てきなさいと言われ、寄ってみる。イザナミノミコトがまつられており、日本書紀に由来が記してあるそうだ。社殿はなく、御神体は数十メートルも有ろうかという大岩で、そこから海に綱を掛ける、御綱掛け神事が有名である。熊野古道はここで七里御浜を南行する浜街道と山に入る有馬村本街道に分かれる。古い道標があり、右熊野山巡礼道と山道を行くよう指示している。浜街道は平坦で景色もいいが、橋のない時代道中の河口で多くの人が遭難したそうである。Img_2174 橋のある現在は勿論楽な道を選ぶ。

道標「右くまのさん志゛ゆんれい道」とある。



 景色も期待したのだが、国道は防風林の内側を走っており、せっかくの浜の景色も見えずじまいだ。鵜殿に歴史資料館があるのだが、道標を見つけると4Kmの表示、往復8Kmを走る気はしない。
 新宮市で和歌山県となる。熊野速玉大社がすぐの所なのでお参りする。神社前の茶店で那智黒飴を買う、空調の加減でのどの痛みが続いている。名物めはりずしも食べてみたいのでめはり屋さんという老舗を紹介してもらう。和歌山は何回も訪れているがめはりだけはなぜか食していなかったのだ。おにぎりに高菜を巻いたもので、本来はソフトボールほどの大きさであったらしい。口も目も大きく開けて食したので、めはりと言うそうだが今は食べやすくしてある。4個で480円、ちょっと高いかな。
 食後は熊野川に沿って国道168号線を登って行く。熊野は山深いのに熊野川は流域が広い。白い砂と澄んだ水で綺麗な川である。周りの山には岩が多く、大きな滝があったり山水画を思わせる景色があったりで楽しませてくれる。途中に温泉もいくつかあり、誘惑がきつい。Img_2180 Img_2183
熊野速玉大社と白見の滝



 瀞峡のある北山川と分かれるあたりに音川と言うところがあり、薩摩の守平忠度(たいらのただのり)生誕の地の看板がある。自動改札となった今日では死語となった「キセル」や「薩摩の守」の本人である。あまりいいイメージではないのだが、実際の平忠度とはいかなる人物なのだろうか。案内によると文武両道の立派な武士で、都落ちの際には「さざ波や 志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな」辞世には「ゆき暮れて 木の下かげを宿とせば 花や今宵のあるじならまし」と中々の文人である。Img_2191Img_2193

熊野川は山水画のような風情がある。


  しばらくして川湯温泉の入口に着く。川湯温泉は3,4年前に訪れたがその時は夏期であったので仙人風呂は無くて、川原の小さな穴の温泉に入っていたのを憶えている。果たして今回は冬の入口、あるかなあと思いつつ温泉街にはいると、あるある、川原からもうもうと湯気がたっている。Img_2195

冬場だけ開かれる川湯仙人風呂。


 大村民宿に宿を決め、熊野本宮大社へひとっ走りする。昨年熊野那智大社にお参りしているので今日の速玉大社と合わせ熊野三山を全てお参りできるという信仰心より、実は川湯には酒屋が無くて、探しに行きたいという不純な動機である。Img_2196  

距離75Km(本宮往復9Km含む) 累計5,726Km 費用1,830円

★川湯温泉仙人風呂 泉質がどうの効能がどうのというレベルのものではありませんな。
 川底から湧き出てくる温泉を川をせき止めて、大きな露天風呂にした様なもので、開放感は抜群、周囲の景色も相まって最高の気分が味わえる。

★ 温泉民宿 大村屋(和歌山県田辺市川湯温泉)いろいろのプランがあるが、私が利用したのは7,500円のコース。洗濯してもらったり、すっかりお世話になる。LANも完備しており旅の情報や旅に必要なものはすべて揃っている。

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ガス欠走行 12/11

2006-12-13 | 旅行記

 2006.12.11(月) 快晴        
 7:00 起床   
 9:00 民宿はま風発~R42~尾鷲市~矢ノ川トンネル~県道70号線~
      賀田~R311~R42~鬼ヶ城~
16:30 熊野市青年の家YH(三重県熊野市)着~熊野市内夕食 

 宿の朝食は普通お櫃に茶碗二杯分ぐらいのご飯を入れ出される。一般の人はそれで充分と思うが私の場合は少し足りなく不満に思っている。ところが民宿はま風では二升ぐらい炊いた炊飯器のまま出てきた。出された食事を平らげるのは主義なのだが流石にこれは平らげることは出来ない。それでも三杯あまりを頂いて出発、この三杯が後々効くこととなる。船越というところで路銀調達のため郵便局による、その向かいに郷土資料館があり、いい雰囲気なので立ち寄るが、今日は月曜日で休館である。ミュージアムというのは大抵月曜が休館である。でも月曜に限って天気も良く、時間的に余裕もあるのは気のせいだろうか。ここは元海山町で尾鷲市との間は馬越峠(まごせとうげ)という熊野古道のひとつのコースとなっている。熊野古道は世界遺産になって以来人気を博しているが、このあたりは伊勢路であり、熊野の三大社を巡る大辺路や中辺路とは少し趣を異にしている。道は良く整備されており、道標などもしっかりしている。いつか歩いて古道を踏破してみたいと思うが、今回は国道から古道の端々を眺めて楽しもう。Img_2121 Img_2123
 
海山郷土資料館と馬越峠入口


 尾鷲を過ぎると古道は海岸沿いのR311方面となる。R42は山側を短距離に走っており、ついそちらに行ってしまう。しかしこれが大失敗であった。景色は面白くない上に道路工事が多く、工事関係車両や大型車両の通行が頻繁である。矢ノ川トンネルに至る坂は強烈で久々に半袖で走る、12月にこのスタイルで走るとは思っていなかった。トンネルは長く、歩道もなく最悪の状況である。それでも何十何百というトンネルを越えてきたせいか結構慣れっこになり平常心で通過できるようになった。もうすぐ出口というところで乗用車が私を追い越すために反対車線に出て、対向のトラックと衝突しそうになった、
私には何の責任もないがこれには肝を冷やした。トンネルを出ると幹線国道がすっかり嫌になって県道70号線を下り、海岸に向かう。恐ろしく下るのだが、それだけ登ってきたと言うことである。賀田に出てR311に入ると大正解で、走行する車はほとんど無い、
海の景色も良く適度なアップダウンが続いて最高の走りとなる。
 ところが重大な問題が起きてきた。空腹である。いつもは行動食を持っているのだが、
昨日宿泊の古里に店が無く、ビールのアテにみんな食べてしまったのだ。尾鷲ではコンビニでシェービングフォームと乾電池を買っているのに食料を買っていないのである。なぜかお菓子の行動食に嫌気がさし、食堂でゆっくり食べたいと思ったのだ。食堂どころかコンビニもよろず屋も何にもない。自販機で糖分の高いジュースでも飲めばと思うがそれさえもない。朝ご飯三杯食べたが、どうも使い果たしているようだ。雨、風、坂なんでも我慢するが腹減って走るのが一番つらい、八月の椿坂の教訓は遂に活かされず、同じ失敗を繰り返してしまった。常に行動食は持っていることを誓ったのに。
 岬の部分は登り、浜の部分は下りと繰り返していくが、力が入らずふらふImg_2128 らと進む。Img_2131_1

海岸線の景色は抜群。



 海の景色は抜群なのだ、特に海岸線に柱状節理の岸壁があり素晴らしい。ゆっくり眺めていたい箇所も随分あるのだが、腹が減ってはその気にもならない。最も美しい楯ヶ崎(たてがさき)を過ぎて少し家数のある集落がある。自販機があり、店を覗くと日用雑貨が並んでいる。祈るような思いで中に入ると、あるあるビスケットが二種類。「行き倒れになるかと思った」とおばさんに冗談言ってると真に受けてか悪い足を引きずって、奥からミカンを両手に一杯持ってきて「今年は出来が悪いのだが持ってきな」、粉っぽいビスケットよりミカンの方がずっといい。ミカンを食べながら漁師の話や息子達の話いろいろ聞かせてもらって店を出る。小さな漁村ではやはり過疎が問題なのだ。漁をしても油代も出ないようでは誰も後を継がない。みんな都会に出てしまって帰ってくることはない。漁村や農村が消えてみんな同じ面構えの都会が出来る。その時「旅」なんて言葉も消えてしまうのかなあ。
 途中何度も止まってミカンとビスケットを食べる。糖分がグリコーゲンが筋肉に行き渡るのが実感される。心臓に近い腹筋背筋から上肢、下肢と順番によみがえってくるのだ。
それにしてもこの国道は狭い、自転車と自動車がすれ違えない所さえある。今まで通った国道で最高の狭さだ。Img_2134 Img_2137

ミカンを頂いたお店と国道311号線、狭いでしょ。


 入り江毎に集落が大きくなりやがて大泊に着く。R42に合流すると鬼ヶ城の入口がある。沖に小さな岩礁があり、あれじゃたいしたことはないなあと思いつつ自転車を置いて歩いてゆくと、鬼ヶ城というのは海岸線の岸壁のことで、規模も形状も凄いものである。石英粗面岩の岸壁が波の浸食を受けて様々の形状を見せ、まさに鬼の洞窟と言われる場所もいくつかある。バンド状の通路は岬ひとつを巡っており、嫌というほど続いている。太平洋の波も荒々しく、潮吹もある。これは穴にはなっておらず吹き上がりも数メートルだが、根気よく見ているとたまにしっかり吹き上がる。
 ここは天然記念物で勿論登ることは出来ないが、ロッククライミングが出来たら面白そうだなと思いつつ鬼ヶ城を後にする。Img_2143 Img_2151 Img_2152  




左:鬼がいそうな洞窟  中:潮吹   右:延々と続く遊歩道Img_2147 Img_2159 Img_2149





チムニー、クラック、スラブ


距離81Km(食事4Km含む) 累計5,651Km 費用14,661円

★民宿はま風 (紀北町紀伊長島区古里)7,350円 磯の料理が楽しみ、古里温泉は        徒歩5分で海水浴にもいい所

★YH熊野市青年の家(三重県熊野市) 宿泊2,230円 獅子岩の向かいにあり、花           の窟も近い

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久々の温泉 12/10

2006-12-13 | 旅行記

 2006.12.10(日) 快晴        
 7:00 起床   
 8:20 伊勢志摩YH出発~県道16号線~R260~R42
14:15 民宿はま風(三重県紀北町古里) 

 今日は久々の長丁場、早朝の出発を期して準備する。しっかり走れるようしっかり空気を入れる。前輪にポンピングした途端、またしてもバルブが破損、シューと抜けていく空気の音を聞きながら、私の意欲も抜けてゆく。このリムはおかしい、タイヤのワイヤーには合わないは、バルブは破損するは、絶対おかしい。どうもバブル穴が大きすぎる。恐怖のタイヤ交換が始まる、ワイヤも少しは伸びるのだろうか、石岡でやったときよりも遙かに楽に出来る。しかし普通よりは充分堅い。不思議なのは前半起きなかったタイヤのトラブルがここ一週間に連続しているということだ。予備チューブも一本切りとなってしまったので、怖くて空気が入れられない。走っていても落ち着かない。
 伊勢の海岸線はリアス式で綺麗なのだが、特段どうっていうことはない。南伊勢町に河村瑞賢の生誕の地があり、碑も像もある。像はサンタクロースの服装となっている。どうって事はない。Img_2112 Img_2114
志摩の海岸とサンタの河村瑞賢

 西の方に行くと何々窯という地名が多くなる。かつて細々と製塩を行っていたらしい。塩を煮詰めた窯が地名として残っているそうだ。この深い入り江は平家の落人の絶好の隠れ場所であったようで落人伝説が残っている。姫越山(503m)は姫様が峠を越すことが出来ずに亡くなってしまい、持参の千両がつつじの木の根本に埋められているという埋蔵金伝説がある。まだ見つかっていないそうだが、今日は先を急ぐので探すことが出来ないが、海から500mのどうどうとした山で、その鞍部に紀勢南島トンネルが通っており、そこへ登る道も中々の急登であった。Img_2116 Img_2118

姫越山には埋蔵金が、、、、
南島トンネル、同じトンネル掘るならもっと下から掘れよ。


 紀伊長島は大きな街かと思えば、あっという間に過ぎてしまい泊まれる宿も見つからず、途方に暮れる。ままよとばかり走っていると古里と言うところに温泉と民宿の看板がずらり、今日はここでゆっくりとすことにする。
 温泉は循環ではあるが、ツルッとしたアルカリ性の温泉でいいお湯であった。

距離83Km 累計5,570Km 費用1,066円

★きいながしま 古里温泉 日帰り 500円 循環、殺菌、加温有り
        内風呂、露天風呂 ナトリウム・炭酸水素塩泉 ph8.0Img_2119

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YH考 12/9

2006-12-13 | 旅行記

 2006.12.9(土)  雨        
 7:30 起床   
  
 朝方からの雨は昼過ぎまで続いた。今日は連泊し休養とする。たまっていた日記を書き、自転車を整備し一日が終わり。
  伊勢志摩YHは鉄筋二階建ての大きなユースホステルだが、昨日今日と私一人の宿泊で気の毒な気がする。本来は10時から4時まで部屋を空けなければならないのだが、あいにくの雨と私一人ということで部屋に居させてもらう。
 今日までユースホステルは十八件利用したが、38年前ユースホステルの全盛期とはずいぶん様変わりしている。
 17才の春休みであったか、四国一周一週間ユースホステルの旅をしたのが私の旅の始まりであるが、その当時のユースホステルは若者で一杯であった。封筒型のシーツを持参しており、食事の準備や後片付けをし必ずミーティングがあり、ゲームをしたり歌を歌ったりしていた。今もベッドメイキングはするが食事の手伝いは食器を運ぶぐらいで簡素化されている。ミーティングはほとんど無くなり、あっても自由参加となっている。でもミーティングって結構楽しいものである。旅の情報も得られるしやはり他のホステラーとの交流はホテルや旅館では絶対に出来ない事である。
 夏休み中はともかく、9月以降になると宿泊客は少なく、一人で泊まることもしばしばであった。全体的に宿泊客の高齢化が進み、私が一番若手の時もあった。ユースホステルがシルバーホステルになってきているのだ。なぜユースホステルから若者が消えたのか、よく話題になるのだが、旅の形態が変わった、貧しくて旅が出来ないというのが共通した原因だそうだ。個室を設けたり食事の質を向上させたり様々な努力がなされているが、若い人達が自分自身で設計する旅をしない限りユースホステルを利用するということにはならないのではないか。若い人が旅を出来る風潮、環境をどう作るか大人達の課題でもあるようだ。

走行距離2Km 累計5,487Km 費用5,330円

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フェリーで鳥羽へ 12/8 

2006-12-13 | 旅行記

 2006.12.8(金)   曇り        
 6:00 起床   
 7:15 ルートイン常滑駅前発~常滑港8:10~鳥羽港9:50~
      R42~二見浦~伊勢市から県道32号線~県道61号線~
16:20 伊勢志摩YH(志摩市)着
 
 雨は一晩降ったようである。朝もどんよりして気味が悪い、それよりタイヤの空気が気になる。減ってないようだ、釈然としないがまあいいか。ビジネスホテルはつまらないが便利である。インターネットが出来ること、洗濯が出来ること、新聞雑誌が読めること、
食堂自販機があり食べることに不自由しないこと、散らかしてもいいこと、裸で居てもいいこと等々。Img_2093
乾燥機代節約のため部屋乾し、部屋の乾燥も防ぐ。


新聞はなるべく地方紙を見ることにしているが、昨晩の記事では次のことが載っていた。渥美半島のキャベツが豊作のため放棄されること。放棄と言ってもトラクターで鋤込む訳だが、頑張って作ってきた作物を出荷しないで放棄するのは忍びないだろうなと同情する。昨冬はキャベツなど野菜が不足でレストランやお好み焼き屋さんが困っていたのに、なんとかならないものだろうか。写真を撮ったあのキャベツ畑も鋤込まれているのだろうか。次に岐阜県の舩渡さんという方がガンを克服して日本一周158日、6,600Kmのマラソンを敢行し、ゴールしたこと。私の走行距離がまだ5,400Km、それを上回る距離をマラソンで走るのだから凄い。人間の可能性って際限が無いようだ。
次に岡崎のホームレス襲撃事件。半月前にホームレスが襲われ殺害された事件で、いまだ
犯人が見つからない様子だ。この前後に8件の襲撃事件が起きていて、市民の不安をあおっているとのこと。我々も野宿なんかしていたら危ない時代になってきた。最後にエクストリームシリーズというスポーツの話、MTBのトライアスロンというかオリエンテェーリングというか、いくつかのポイントを通過して原野の中を走り回るというゲームであり
7時間も8時間もかかるそうである。おもしろそうじゃない。
 船は伊勢湾を南下し鳥羽に向かう、知多半島や渥美半島が霞んで見えるのだが、どれがどれだかよく解らない。一時間半ほどで鳥羽港に着く、自転車で廻れば2日の行程なので得をした感じだ。というより名古屋や四日市の市街を走らないで済むというのがうれしい。Img_2095

中部国際空港セントレアの臨空、これから開発が進むのだろう。


 フェリーを降りると釣りの人が声を掛けてきた。聴くとトライアスリートということで近くの喫茶店でコーヒーを頂く。トライアスリートで釣りをする人は珍しい。タケウチさんというその方は第一回の京都トライアスロン大会に出ているのだ。まだトライアスロン自体が知られていなくて、黎明期というか冒険の時代というか私自身自転車を注文している時期で、その大会にはボランティアで立哨をやっていたのである。とんでもない雨のレースとなり寒くてがたがた震えていたのを憶えている。天橋立大会や舞鶴デュアスロンなど懐かしい話も盛り上がり、数少ないフェリーのお客の中でこのような人に出会う不思議に感心する。Img_2096
 
フェリーから知多、渥美半島、霞んでどれがどこだか解らない。



 答志島に釣りに行く彼を見送ると、さて自分はどうしようか。紀伊半島を南下する事は決めているが、今日どこまで行こうというのは決めていない。なんとなく走る気がしないのだ。伊勢志摩YHに電話して宿泊予約をする。二見浦を巡り、外宮内宮の横を通り島路川にそった伊勢街道、県道32をスペイン村近くのYHに向かう。Img_2100 Img_2103 

ご存じ夫婦岩と君が代に出てくるさざれ石。

もう何度も通った道なので立ち寄るものもなく、磯部町に着く。磯部町の民俗資料館があったので立ち寄る。図書館と併設の施設で、無料で開放されており子供達の学習用の感が有る。急いでいたせいもあるが特段興味を引くものもなく、YHに到着。YHからはスペイン村や的矢湾大橋の袂のロイヤルホテルなどが見える。かつてパールロードでトライアスロンの審判をしていたことや伊勢志摩カントリーで優雅にゴルフをしていたことを思い出す。Img_2110

YHの向かいにある、ロイヤルホテル。


走行距離55Km 累計5,485Km 費用9,590円

★伊勢志摩YH 3,990円(朝食付き) 伊勢志摩の観光には絶好の位置にある。

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二度目のパンク 12/7 

2006-12-13 | 旅行記

 2006.12.7(木)   曇り、雨        
 7:00 起床   
 9:30 桑谷山荘発~県道525~県道41~R247~県道34~
15:00 ルートイン常滑駅前(常滑市)着
 
 桑谷山荘は岡崎市営の保養施設で、桑谷山の峠に位置し蒲郡方面の風景が部屋からもお風呂からも眺めることが出来る。私は丁度夕日が沈む頃に入浴したので充分に楽しむことができた。市民は格安で利用できるので、私は「川村さん」で逗留、「川村さんと言われたら返事しいや」と言われて一晩を過ごした。この峠は岡崎側から6Km、三ヶ根方面には11Kmあり、スカイラインも無料化されているので自転車の練習にも使えそうだ。交通量も少なく、下りで出逢ったのは3,4台であった。Img_2089

桑谷山荘から蒲郡を望む。

 山を下ると後は県道41号線を西へ向かって走るのだが、この県道が立派な県道で走りやすい。愛知県は交通事故による死亡者数が全国一で、今年も300人を越え、北海道をぶっちぎってダントツの第一位だということだ。北海道は交通事情の特異性があるので解るが愛知は何でそんなに悪いのだろう。渥美半島、国道1号線、県道41号線、国道247号線、県道34号線と4日間走ってきたが、道路は他県より整備されているし、交通量も同様の状態である。私の走る限りでは横着な運転にも出逢わなかった。昨日高橋さんに会ったときもまづこの件を質問、「愛知県はなんでこんなに死亡事故が多いんだ」「車の量が違います。一人一台持っており、京都での自転車感覚ですよ。それにマナーが悪い、運転がへたくそ、云々」「そんなもんかねえ」
 その愛知県は世界のトヨタのお膝元である。なんとも皮肉な感もするが、自動車会社には何の責任もないのだろうか。「愛知県では自動車のことを悪くいうことは出来ません、自転車文化の発展を、、なんて言ったら村八分ですよ」私は旅に出て以来今日まで自動車や道路に悪態をついてきた、しかし自動車そのものを悪く思っているわけでない。自動車は現代社会に絶対必要なものであるし、私自身旅が終わったらまた自動車に乗るだろう。
悪いのは道路が歩行者や自転車などに対して何の考慮もして無いと言うことである。道中
多くの車いすや電動いすで道路を行く人を見かけた。確かに点字ブロックなどは増えてきたが、あの歩道の段差はいかんともしがたい。私の自転車でさえつらい段差が彼らに越えられるだろうか。大体歩道は凸凹が多すぎる、舗装の基準が車道に比べ甘いのだろう。重量が違うので当然かもしてないが、それでガタガタになってもちっとも補修しない。ゴミが多い、ガラス、金属片、土砂、その他。草が生い茂っている、ひどいところは草で走れない所もある。同様に苔、落ち葉で走れないところもあった。エンジンの付いている自動車が平坦な綺麗な道路を走り、人力で頑張っている歩行者や自転車がなぜこんな酷い道路を行かなければならないのか。責任者出てこい。
 西尾市で国道247号線に合流し、境川で衣浦トンネルにぶつかる。このトンネルは有料で、自転車は通れそうにない(後で解ったのだが、自転車は無料で通れるそうだ)。
国道は高浜市まで迂回しており、10数キロの迂回である。これで13:30発のフェリーは間に合わないことが確定、その上天気も怪しくなってきた。衣浦大橋を渡りきった頃
後輪の異変に気付く。おそるおそるタイヤを見ると、金属片が3個も刺さっている。今回
2度目のパンク、コンビニの空き地でチューブを替えスタートするが、またしても空気圧が減っている。チューブは北海道でパンクしたのを修理したものだが、旨く修理できていなかったのか、それとも金属片が残っているのか。ところが空気が減ってしまうことはない、走行に支障はないのだ。雨も落ちてきたしそのまま走るが、気がきではない。そんなときに限って歴史資料館など立ち寄ってみたいところが出てくる。全部無視してひたすら
常滑港に急ぐ。港は中部国際空港セントレアの臨空にあり、だだっ広い空き地に高層のホテルが建っている。なんとなく高そうで、街で宿を探すが中々見つからない。雨の中であせるが、駅前でルートインを見つける。やはり宿は駅前に限る。
 空気はそんなに減っていない、もう一度空気を入れ明日朝減っていたらチューブを替えよう。パンクしたチューブを修理し、洗濯をし、ブログを書き込み気が付いたら11時である。もう寝なくちゃ。

走行距離69Km 累計5,430Km 費用14、436円

★桑谷山荘 岡崎市 4,877円(市民料金) お風呂は薬草風呂で、眺望良し。Img_2090

★峠列伝(30) 桑谷山の峠(岡崎市、蒲郡市の間の峠)困難度 2 水場 有り
         歩道 無し  景色 4  
         岡崎から登り6Km、下り11Km、東側に下ると国坂峠となる。

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高橋希代子さん 12/6

2006-12-13 | 旅行記

 2006.12.6(水)   曇り        
 7:00 起床   
 9:30 みゆきステイションホテル発~R1~岡崎市本宿12:00着~
15:30 桑谷山荘(岡崎市)着
 
 愛知県の大きな目標は高橋希代子さんに会うことである。高橋さんは知る人ぞ知るかつてのトライアスロンの女王である。オリンピック種目となるのがもう少し早かったら、代表選手で出場していたのにと思うのである。同じ様な時期にトライアスロンを始め、同じ長岡京市に住まいしていたのでいろんな思い出があるのだが、彼女が京都を離れてからは年賀状だけのおつきあいとなっていた。今年の年賀状にお子さんが生まれたとのこと報告があり、何よりもトライアスロンの仕事を続けているとのことが是非会って確認してみたいと思った次第である。また、彼女がいつかツーリングしてみたいと言ってることと、私の旅の応援を続けていただいていることも会ってみたい理由である。
 ところが昨日からメールや電話をしても連絡が着かず、今朝は諦めて常滑方面に行くべくホテルで道を聞いていたのである。携帯電話が鳴ったのはそのときで、午後は大丈夫とのこと、喜び勇んで岡崎に向かう。
 R1は相変わらずの賑わいだが、旧東海道が随所に横切っており、案内の看板などがある。岡崎市に入ると東海道の入口二カ所に案内や道しるべがあり、彼女の住まいはその間にある。国道を離れるとすぐに信号のない道が広がり、山道もすぐの所にある。以外なのが海が近いことだ。一山越えればそこは三河湾だ。トライアスロンには絶好の位置である。Img_2082 Img_2084 Img_2085

R1にある旧東海道遺跡




左:豊橋市東惣門  中:本宿(もとじゅく)入口  右:旧東海道入口(岡崎市)

 昼食の蕎麦屋さんで仕事のことやトライアスロンのこと、ツーリングのことや昔話、尽きることのない話をし、家に帰っては夜勤明けのご主人も交えて四方山話、楽しい時間を過ごす。そして何より記念なのはお嬢の紫乃ちゃんの1歳の誕生日なのだ。
 もう今日は走る気もしないので、近所の市の施設桑谷山荘で泊まることとする。市民の場合うんと安いので、頼んでとってもらい有意義な一日を締めくくる。
 そうそう、腰は祈りが通じてかほとんど痛みもなくなり、なんとか無事にいけそうである。感謝。Img_2088

多くの人が高橋さんどうしてるって聞いている。元気で頑張ってるぞ。
今日は紫乃ちゃんの1歳の誕生日。

走行距離32Km 累計5,361Km 費用1、595円

★みゆきステイションホテル 豊橋駅近く 5,400円(朝食付き)
 食堂1割引でおいしい。ロビーにフレッツスポットあり。

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粉のさしみ 12/5

2006-12-13 | 旅行記

 2006.12.5(火)   曇り        
 8:00 起床   
10:10 伊良湖ビューホテル発~R259~豊橋~
15:30 みゆきステイションホテル着
 
 おそれていたことが起きてしまった。8月に旅に出てから今日までなんとか腰痛とならずやってきたのだが、遂にやってしまった。昨晩は灸をして、祈るような思いで眠ったのだが、起きてみるとひどくなっていて、まともに歩くのも難しい。在職中は年に2,3回腰痛をやっていたので、今日まで何事も無かったことの方がおかしいか。自転車に乗らない人には奇異かも知れないが、腰痛時のライディングはそう苦痛ではないのだ。歩いたり立っているのは苦痛で出来なくても自転車には乗れるのである。座って腰が伸びしかも両腕に体重が分散されるためと思うが、自転車通勤で既に実証済みである。私がおそれるのは、寝てるしかないようなあの強烈な腰痛が襲ってこないかである。流石にああなると旅先ではつらい。道中でなったひには行き倒れ同然に倒れていなければならない。
 だましだまし漕いでゆく。伊良湖崎のはずれに芭蕉の句碑がある、ここも訪れているのか、凄い人だなあと感心する。
 鷹ひとつ みつけてうれし 伊良湖崎    ばせうImg_2073_1

 渥美民俗資料館、田原町民俗博物館など興味深い施設があるのだが、見て歩く ことが苦痛なので残念だがやり過ごす。特に国道42号線の伊勢街道というのが果たして本当に存在したのか確かめたいのだが、残念である。コンビニで用を足したときズキンと来たときには冷や汗が出てしまった。それにしてもこの地は暖かいようで、道端の草花は他の地ではとっくに枯れてしまっているものだ。草花どころか菜の花にひまわりが咲いているのには驚いた。そして目を引くのがキャベツ、一昨日走った南岸も同様にキャベツ畑の広いこと、青虫天国というところか。もう一つ気になるのが「粉のさしみ」なんだこりゃ。電柱に次々と宣伝してあるのだ。わからん。Img_2079 Img_2080  Img_2076 Img_2078




道沿いの風景

 今日は温泉地で療養したいが、豊橋が精一杯、ビジネスホテルの風呂用に薬用バブを買う。藁にもすがる思いだ。

走行距離53Km 累計5,329Km 費用5、985円

★伊良湖ビューホテル リゾートホテルだがウィークデイなどは安く泊まれる。
           眺望は最高。

コメント
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