常念の山並みに日が落ちて、空の茜雲が少しずつ色あせる頃、街の灯りが瞬き始める。
ずっと昔、ここから市街地まで約1里(4k)の行程は大人も子供ももっぱら足に頼って歩いた。
たった1時間の隔てなのだけれど「まち」別世界の趣があって、「まちに行く」は子供心に特別な意味を持って響いた。
そこは異国であり、憧れがあふれ、人さらいの恐怖も混じり合っていた。
農業組合から繭の代金が入って農家の懐が少しだけ暖かくなり、秋の農繁期にはしばらく間があいたこの時期、楽しみは「シントまつり」(神道祭)である。
祭りに合わせ家族が揃って街に繰り出した。年に一度だけのささやかな遊山である。
街じゅうが人であふれ、広場のサーカス小屋から、うら淋しい悲しい曲が流れると、短い秋の日は容赦なく暮れて行く。
楽しみの後で、家路に向かう黄昏の道程は長かった。
振り返ると、遠ざかる街に狐火のような灯がちらほら。
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