乗鞍岳 北アルプスの南端峰
果てしない雲海を思わせる佇まいである
来し方の記 その3
通常私企業においては創業者の子弟が代々事業継承する習わしがありますが、中島尚誠堂直系である浩郎さんが後継を辞退されました。
東大在学中に羅感した疾病の後遺症が要因の一つだったと思います。
余談ですが、浩郎さんは現在フィレンツエ大学で教鞭を取る傍ら、著作翻訳等の著述で活躍しておられます。
先頃中澤八神製作所会長夫妻とともに欧州文化首都と称されるフィレンツエに遊び、浩郎さんの案内で、その壮大な文化と歴史に思う存分浸ることができました。
さて そのような経緯から直系以外から社長を選考する必要に迫られ、不肖私が三代目社長を継ぐこととなりました。第3の転機です。
1998年伸和医理科との合併が成就し、安定経営を目指す端著が開かれました。
しかしながら 合併に至る道程は厳しいものがあり、中でも中島会長が急逝されたことは大きな痛手となりましたが、創業家の全面的なご理解とご協力により遅滞なく事業を進めることができました。
先々代が創業以来心血を注いで育てた事業を、一介の従業員にすぎない人間に託されたその心情を思う時、責任の重大さをひしと感じました。
第4の転機です。合併を進める中で、前出の伸和医理科社長である八神製作所中澤肇社長と運命的な出会いがありました。
特筆すべき第5の転機です。
創業家から預かった会社は、合併によりその形態は大きく変化しましたが、その歴史文化を次代に継承できました。
これからも伝統を矜持し、益々発展されることを祈願しつつ、退職の挨拶とさせていただきます。
一線を退かれた由、ご苦労様でした。
信大医には、どうしているか音信はありませんが、中学校の同級生がいました。
会津の慈母観音様に昨秋対面してまいりました。
豪雪に難儀された様子拝見しています。
ご無理なさいませぬように
白鳥の北帰ご一行様には、安曇野始発組も混じっているのではないでしょうか。