或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

森鴎外

2009-10-24 07:03:33 | 800 観光
九州プチ観光の最後は、小倉での森鴎外ゆかりの場所の探索。というのもブログタイトルの元ネタである”或る「小倉日記」伝”の「小倉日記」は、森鴎外の小倉時代の日記だから。その意味では松本清張と同様に、自分のブログのルーツを辿る聖地巡礼。小倉市内には何ヶ所か当時を偲ばせる場所が保存されていて、今回はそれらを順番に周ってみた。

最初はJR小倉駅前広場の南西の端にある京町旧居跡へ。立派な記念碑が建っているにもかかわらず、夜は若者の溜まり場になっているのか、碑の上やら横やらに空き缶やペットボトルが無造作に捨てられていた。下の写真はそれらを片付けた後に撮ったもの。なんか場所がまずいよなと。夜なんて怖くて近づけないだろうなあ。碑自体が壊されるのも時間の問題かも。

次ぎは小倉城の敷地内の南端に残っている第12師団司令部の正門跡。ここに鴎外は軍医部長として東京から赴任し、明治32(1899)年から35(1902)年までの3年間を,過ごした。当時天守閣はなく、現在あるのは昭和34年に再建されたもの。彼の自宅からは1~2kmの短い距離だけど馬で行き来していたらしい。左遷されたとは言え小倉ではエラかったのだろうなあ。

小倉城のすぐ東側の川沿いにあるのが鴎外の文学碑。6面に彼の作品からの抜粋が。そのすぐ傍には鴎外橋がかかっていた。時代を感じさせるレトロな雰囲気なのかなと思いきや、コンクリート作りでモダンなのには驚いた。橋そのものは予算の関係でしようがないとしても、せめて塗装の色を黒とか茶にして欲しかったなあ。その方がお城と景観的にマッチしただろうし。

なんてダメ出しをしながら橋を渡り東方向へ歩くこと数分。最後の目的地である上下の写真の鍛治町の旧居跡へ。ここは当時の家がそのままの形で保存され、市の文化財に指定されている。門を入ると観光客が数名。畳の部屋に座って庭を眺めていると人影がなくなった。管理人がもともといないので屋敷には自分ひとり。障子が開放されていたせいか、ひんやりした柔らかい風が吹き抜けて実に気持ちがいい。うとうとしてしまって。知らない間に少し寝たかな。今思えば最高の贅沢だったような。

京町旧居跡第12師団司令部正門跡
文学碑鴎外橋


鍛治町旧居 正門鍛治町旧居 座敷
鍛治町旧居 書斎鍛治町旧居 裏庭


独逸日記・小倉日記―森鴎外全集〈13〉独逸日記・小倉日記―森鴎外全集〈13〉

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