或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

18区 ポトー通り

2010-03-01 06:13:48 | 830 パリ紀行
今日からはパリ紀行の最後を締めくくるシリーズ。帰国前日の午後を利用して散策したのが18区にあるモンマルトル。モンマルトルと言えばいろいろあるけど、多くの著名な画家が暮らしていた場所としても有名。その中で特に関わりが深かったのは、何と言ってもモーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo)。もっと言えば彼の母親であるシュザンヌ・ヴァラドン(Suzanne Valadon)。

ということで今日から始めるのがユトリロの足跡を辿るシリーズ。最初に向かったのは彼が生まれたアパートがあるポトー通り(Rue du Poteau)8番地。位置的にはモンマルトルの丘の頂上から北側に坂を降りていく途中にある。メトロ12番線のジュル・ジョフラン駅の出口の階段を登ると、目の前には彼の画題にもなった左下の写真のサン=ピエール・ド・モンマルトル教会(Saint-Pierre de Montmartre)が。その前に大きな交差点があって通りへの入口にもなっている。それが右下の写真。

ポトー通りに入ってすぐに感じたのがモンパルナスとの違い。薄汚れていて雑多で喧騒で、これがおそらくパリの下町の雰囲気なのだろうなと。距離的にはすぐだったけど、店の軒に隠れて見えにくい番地表示を探しながら歩いてようやく上の写真のアパートに辿り着いた。なんか感慨深かったなあ、ここで二人が暮らしていたと思うと。想像していた通りの場所だったかな。

脳裏をかすめたのが彼らの人生。シュザンヌは幼い頃に母親に連れられて田舎町からパリに出てきたのだけど、父親は一緒でなく、いわゆる私生児。その彼女がモンマルトルでお針子、サーカスの踊り子、画家のモデルと転々としながら成長し、18歳の時に生んだのがユトリロ。父親が誰だかは分からない。本人がそう語っているらしく、それじゃ分かりっこないけど。

まあ恋多き女であったのは確か。それから彼女はドガ、ルノアール等多くの画家のモデルをつとめるのだけど、最も関係が深かったのがロートレック。結婚はしていない、いわゆる愛人。思えば彼女の画風はロートレックからの影響が最も強いような。


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