はるにわ日記

古民家再生の記録、薪ストーブ、子供との戯れ、大好きなバイクと英国旧車のこと、サッカー、カフェ。徒然なるままに・・・・。

祭りの意味

2011年04月12日 22時39分02秒 | 古民家暮らし
このところ、あちこちでお祭りが自粛のため、なくなったりしているようです。

祭りと言っても2種類あります。
純粋に娯楽や観光が目的のものと、古くからの神事に繋がるもの。

前者はどちらでもいいです。
が、自粛しても被災者の方々の生活は変わりませんが、祭りの中で募金を集めれば、被災者の方のためになります。

個人的な考えでは、祭りにより大勢人が集まる環境を作って、積極的に募金活動をするとか、チャリティーのイベントをやるとか、入場者からおカネをとって寄付するとか、そういう攻めの姿勢の方が、全ての方にプラスになるのではないかと思うのです

で、問題は後者の方です。
神事は中止すべきではないと思います。

もともと日本の神様は海や山や池などの「自然」です。
これは、人間のような姿をした神様が、ありがたい言葉や教えによって人を救う、といった外国の神様や仏教とは全く異なるもので、とても原始的な宗教です。

自然は偉大で大いなる力を持っていて、昔の人たちはそれを敬い、畏れ、それを神と同一視していました。
地震や津波は自然災害です。つまり神のなせるわざです。
決して「天罰」などというものではなく、自然はとても気紛れなのです。
その気紛れで人知をはるかに超越した自然の大きな力に翻弄されるうちに、神として畏れ敬う気持ちになったのだと思います。

食料を与えてくれる神の恵みに感謝し、豊作や豊漁を願い、漁に出掛ける家族の無事を祈り、日照りや干ばつや川の氾濫、台風などの災害から守ってもらったりするために、お祭りはあります。


そのお祭りをやめてしまって、どうするのですか?


表向きは中止して、神事だけはひっそりと実施するところも多いようです。
確かに大きな祭りは観光化しているところがあって、桜祭りや大名行列などのイベントと変わりがないようなイメージになっている部分はあると思います。
が、お神輿も何もかも祭りの全ては、神事として意味のあるもののはずです。
地震や津波がそれを止めてしまう理由になるとは、思えないのです。

祭りに参加した人や見に来た人は、今なお続く余震が鎮まって、再び海や大地から恵みが与えられるように、神(=自然)に祈る方が、中止なんかするよりも余程自然なことだと思うのですが・・・


水温計が動かぬ・・・5

2011年04月12日 00時47分06秒 | TZR250SPR(3XVC)
バッテリーを充電機に繋ぎ、待つこと約1時間。
どれだけ充電出来たかどうか分からないが、とりあえずエンジンがかかるだけの電力が回復してくれればOK

バッテリーをバイクにセットして、キーをひねると・・・・ライト点灯!!
よかった~、これでエンジンがかかる

クルマも普通のバイクもセルがあるので、スイッチをひねって「キュルキュル・・・」と一発でエンジンはかかりますが、その代わりそのモーターを回すための電力が必要。
でも2ストはセルが無く、キック(エンジンから生えている棒を人力で回す)でエンジンをかけるので、バッテリーは無くて良さそうなものなのですが、実際は完全にバッテリーが無い状態ではどれだけキックしてもエンジンはかからないようです。

無事エンジンはかかりましたが、充電している間にエンジンは冷えてしまったので、再度水温を上げるためにエンジンをかけっぱなしにします。
その間にエアクリーナー整備を続けます。

ところが・・・・・・

そろそろ暖まったかな、、、? という頃、プスンとエンジンが止まってしまい、2度とかからなくなってしまいました・・・
ヘッドライトも点灯しません。
バッテリー???
アイドリング中は充電しないんだったけかな?? ダイナモ?

まぁいいや、バッテリーが無いなら充電するしかない。
でも時間も無い、もう日が暮れる。
あぁ、もう。もう少しなのに・・・

一晩充電することにしました。