このところ、あちこちでお祭りが自粛のため、なくなったりしているようです。
祭りと言っても2種類あります。
純粋に娯楽や観光が目的のものと、古くからの神事に繋がるもの。
前者はどちらでもいいです。
が、自粛しても被災者の方々の生活は変わりませんが、祭りの中で募金を集めれば、被災者の方のためになります。
個人的な考えでは、祭りにより大勢人が集まる環境を作って、積極的に募金活動をするとか、チャリティーのイベントをやるとか、入場者からおカネをとって寄付するとか、そういう攻めの姿勢の方が、全ての方にプラスになるのではないかと思うのです
で、問題は後者の方です。
神事は中止すべきではないと思います。
もともと日本の神様は海や山や池などの「自然」です。
これは、人間のような姿をした神様が、ありがたい言葉や教えによって人を救う、といった外国の神様や仏教とは全く異なるもので、とても原始的な宗教です。
自然は偉大で大いなる力を持っていて、昔の人たちはそれを敬い、畏れ、それを神と同一視していました。
地震や津波は自然災害です。つまり神のなせるわざです。
決して「天罰」などというものではなく、自然はとても気紛れなのです。
その気紛れで人知をはるかに超越した自然の大きな力に翻弄されるうちに、神として畏れ敬う気持ちになったのだと思います。
食料を与えてくれる神の恵みに感謝し、豊作や豊漁を願い、漁に出掛ける家族の無事を祈り、日照りや干ばつや川の氾濫、台風などの災害から守ってもらったりするために、お祭りはあります。
そのお祭りをやめてしまって、どうするのですか?
表向きは中止して、神事だけはひっそりと実施するところも多いようです。
確かに大きな祭りは観光化しているところがあって、桜祭りや大名行列などのイベントと変わりがないようなイメージになっている部分はあると思います。
が、お神輿も何もかも祭りの全ては、神事として意味のあるもののはずです。
地震や津波がそれを止めてしまう理由になるとは、思えないのです。
祭りに参加した人や見に来た人は、今なお続く余震が鎮まって、再び海や大地から恵みが与えられるように、神(=自然)に祈る方が、中止なんかするよりも余程自然なことだと思うのですが・・・
祭りと言っても2種類あります。
純粋に娯楽や観光が目的のものと、古くからの神事に繋がるもの。
前者はどちらでもいいです。
が、自粛しても被災者の方々の生活は変わりませんが、祭りの中で募金を集めれば、被災者の方のためになります。
個人的な考えでは、祭りにより大勢人が集まる環境を作って、積極的に募金活動をするとか、チャリティーのイベントをやるとか、入場者からおカネをとって寄付するとか、そういう攻めの姿勢の方が、全ての方にプラスになるのではないかと思うのです
で、問題は後者の方です。
神事は中止すべきではないと思います。
もともと日本の神様は海や山や池などの「自然」です。
これは、人間のような姿をした神様が、ありがたい言葉や教えによって人を救う、といった外国の神様や仏教とは全く異なるもので、とても原始的な宗教です。
自然は偉大で大いなる力を持っていて、昔の人たちはそれを敬い、畏れ、それを神と同一視していました。
地震や津波は自然災害です。つまり神のなせるわざです。
決して「天罰」などというものではなく、自然はとても気紛れなのです。
その気紛れで人知をはるかに超越した自然の大きな力に翻弄されるうちに、神として畏れ敬う気持ちになったのだと思います。
食料を与えてくれる神の恵みに感謝し、豊作や豊漁を願い、漁に出掛ける家族の無事を祈り、日照りや干ばつや川の氾濫、台風などの災害から守ってもらったりするために、お祭りはあります。
そのお祭りをやめてしまって、どうするのですか?
表向きは中止して、神事だけはひっそりと実施するところも多いようです。
確かに大きな祭りは観光化しているところがあって、桜祭りや大名行列などのイベントと変わりがないようなイメージになっている部分はあると思います。
が、お神輿も何もかも祭りの全ては、神事として意味のあるもののはずです。
地震や津波がそれを止めてしまう理由になるとは、思えないのです。
祭りに参加した人や見に来た人は、今なお続く余震が鎮まって、再び海や大地から恵みが与えられるように、神(=自然)に祈る方が、中止なんかするよりも余程自然なことだと思うのですが・・・