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屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

「氷点」 ”ちろる”で夏枝は村井と会う

2005年08月21日 | 
”ちろる”の主人は詩人であった。
その詩人らしい雰囲気が店にもただよっていた。
少しこんではいたが、店の中はいかにも静かであった。
夏枝は大きな棕櫚のかげのテーブルについた。
夏枝は一人で喫茶店にはいることなど、ほとんどなかった。
だから何かしらない街にでもきたような、新鮮なかんじだった。
時々、夏枝は周囲の視線をかんじた。
その一人一人に、微笑を送りたいような大胆なものが、夏枝の心の中にあった。

三浦綾子著「氷点」から


ここ3条8丁目にある喫茶店”ちろる”は昭和14年に開業した。
レンガ壁の雰囲気は、いまも昭和29年当時(夏枝が訪れたとき)と変わっていない
ような気がする。

高校一年のとき、休みで帰旭した兄から彼女へデートの連絡を頼まれたことがある。
彼女は同じ高校の三年、休み時間にそのクラスに出向き、彼女を呼び出して兄の
ことづてを伝えた。
上級生がじろじろ見ているので、ちょっと緊張する。
兄と彼女の待ち合わせ場所はいつも”ちろる”であった。



棕櫚のかげではないけど、この席で夏枝は村井と会ったのではないか、と思う。



三浦綾子文学記念館 「氷点」の映像

2005年08月20日 | 
林の中に夕光が漂っていた。
煙っているような光であった。
木の間越しに斜めに射す光はところどころにしま目を作っていたが、
そのしま目もおぼろであった。
「ルリ子がいないのか」
低いが、厳しい啓造の声がした。
夏枝はギクリとして後を振り向いた。

三浦綾子著「氷点」から


ルリ子が居なくなったのはこのような夕暮れ近くである。
夏枝と啓造夫婦、愛憎と嫉妬に苦しみながら、これからの二人の人生を不吉に
予感させる場面。
辺りが薄暗くなると、三浦綾子文学記念館を囲む樹々はきゅうに黒ずんできた。
木の間越しに射す光はだんだん弱くなり、あの場面へとわたしを導く。







神楽見本林 「氷点」の世界

2005年08月19日 | 
「辻口家は、この見本林の入口の丈高いストローブ松の林に庭つづきとなっている。
美しいいちいの生垣をめぐらして低い門を構え、赤いトタン屋根の二階建の洋館と、青い
トタン屋根の平屋からなるがっしりとした家であった。
この見本林を三百メートルほどつきぬけると、石狩川の支流である美瑛川の畔に出る。
氷を溶かしたような清い流れの向うに、冬にはスキー場になる伊の沢の山が見え、遥か
東の方には大雪山につらなる十勝岳の連峰がくっきりと美しい。」

三浦綾子著「氷点」から


三浦綾子文学記念館 は神楽見本林のなかにある。
昭和56年まで、見本林の側に住んでいたので、わたしにとってもここは庭のよう
であった。
その意味では「辻口家」と同じである。
「氷点」の舞台は昭和21年、
神楽見本林はそのころとさほど変わったとは思えない。
いまでも、ほとんど手付かずのままの自然な姿をとどめているようだ。

三浦綾子の本を読んだことがあるのなら、是非一度訪れてほしい。
「ひとはどのように生きたらいいのか」という三浦文学の問いかけに導いてくれる
かもしれない。
三浦綾子さんの生き方に多大な影響を与えた前川正氏の写真を見て、感無量で
あった。
「塩狩峠」や「氷点」のビデオも鑑賞できる。



石狩川の支流、美瑛川の川面が夕陽で煌いている。
「氷点」では、この川原で夏枝の娘ルリ子が殺害された。



暑い夏の日差しを見本林の木陰にさけて、夕暮れまえのひとときを散策、
まだ、あちこちに干からびたようなオオハンゴウソウが咲いている。
当時はこの外来種は繁殖していなかったのだろう。


塩狩峠 歌碑の森

2005年08月01日 | 
ここは塩狩駅の裏山、
旭川から移築した三浦綾子さんの旧宅がある歌碑の森。
そこに綾子・光世さんご夫妻の相聞歌八首が石に刻まれて展示しておりました。

肺結核で闘病生活を送っていた綾子の荒んだ気持ちを救ったのは幼馴染の前川正、
・・・そして恋。
しかし、彼も結核で命を奪われる。
再び虚無にとらわれ始めた綾子の前にあらわれたのは、前川の面影を持つ光世で
あった。


その頃に詠んだ歌だと思います。

   まなざしも語る言葉も亡き君に似て
    三浦さんは清しく厳し





相聞の歌を二首・・
新婚当時の暖かく穏やかな二人の気持ちが伝わってきます。





塩狩峠 峠路の線路守りし・・

2005年07月31日 | 
   政雄の碑 雪の降るまま 積もるまま
   殉難碑 知る人なしに 秋暮るる


三浦綾子著「塩狩峠」から・・
「たったいまこの速度なら、自分の体でこの車両をとめることができると、
信夫はとっさに判断した。
一瞬、ふじ子、菊、待子の顔が大きく目に浮かんだ。 それをふり払うように、
信夫は目をつむった。
と、その瞬間、信夫の手はハンドルブレーキから離れ、 その体は線路を
目がけて飛びおりていた。」


宗谷本線(旭川~稚内)、向って右は旭川方面です。
三浦綾子さんの手記によれば、ここ塩狩峠の風景は、塩狩峠の事故があった当時から
ずっと今まで、変わっていないそうです。



長野政雄さんの碑です。
駅舎で冒頭の句 「政雄の碑 雪の降るまま 積もるまま」 を目にしたとき、
胸が熱くなりました。




塩狩駅、
無人駅なのでしょうか。
駅舎のなかに、冒頭の二句のほか政雄さんを悼む十首の句が掲示されております。



ジャコウアオイ、
塩狩駅付近の線路脇に咲いてました。



塩狩峠

2005年05月24日 | 
雨に煙る男山自然公園の前、
エゾヤマザクラの葉もだいぶ生い茂ってきた。
早朝なので、国道40号線を行き交う車は少ない。
ここのトンネルを抜けて暫く走ると、塩狩峠に至る。
三浦綾子さんの小説「塩狩峠」、
自分の命を犠牲にして暴走列車を止めた若き鉄道員の行動を感動的に描いている。
JR関係者の方には是非読んでほしいと思う。