「辻口家は、この見本林の入口の丈高いストローブ松の林に庭つづきとなっている。
美しいいちいの生垣をめぐらして低い門を構え、赤いトタン屋根の二階建の洋館と、青い
トタン屋根の平屋からなるがっしりとした家であった。
この見本林を三百メートルほどつきぬけると、石狩川の支流である美瑛川の畔に出る。
氷を溶かしたような清い流れの向うに、冬にはスキー場になる伊の沢の山が見え、遥か
東の方には大雪山につらなる十勝岳の連峰がくっきりと美しい。」
三浦綾子著「氷点」から
三浦綾子文学記念館 は神楽見本林のなかにある。
昭和56年まで、見本林の側に住んでいたので、わたしにとってもここは庭のよう
であった。
その意味では「辻口家」と同じである。
「氷点」の舞台は昭和21年、
神楽見本林はそのころとさほど変わったとは思えない。
いまでも、ほとんど手付かずのままの自然な姿をとどめているようだ。
三浦綾子の本を読んだことがあるのなら、是非一度訪れてほしい。
「ひとはどのように生きたらいいのか」という三浦文学の問いかけに導いてくれる
かもしれない。
三浦綾子さんの生き方に多大な影響を与えた前川正氏の写真を見て、感無量で
あった。
「塩狩峠」や「氷点」のビデオも鑑賞できる。
石狩川の支流、美瑛川の川面が夕陽で煌いている。
「氷点」では、この川原で夏枝の娘ルリ子が殺害された。
暑い夏の日差しを見本林の木陰にさけて、夕暮れまえのひとときを散策、
まだ、あちこちに干からびたようなオオハンゴウソウが咲いている。
当時はこの外来種は繁殖していなかったのだろう。
美しいいちいの生垣をめぐらして低い門を構え、赤いトタン屋根の二階建の洋館と、青い
トタン屋根の平屋からなるがっしりとした家であった。
この見本林を三百メートルほどつきぬけると、石狩川の支流である美瑛川の畔に出る。
氷を溶かしたような清い流れの向うに、冬にはスキー場になる伊の沢の山が見え、遥か
東の方には大雪山につらなる十勝岳の連峰がくっきりと美しい。」
三浦綾子著「氷点」から
三浦綾子文学記念館 は神楽見本林のなかにある。
昭和56年まで、見本林の側に住んでいたので、わたしにとってもここは庭のよう
であった。
その意味では「辻口家」と同じである。
「氷点」の舞台は昭和21年、
神楽見本林はそのころとさほど変わったとは思えない。
いまでも、ほとんど手付かずのままの自然な姿をとどめているようだ。
三浦綾子の本を読んだことがあるのなら、是非一度訪れてほしい。
「ひとはどのように生きたらいいのか」という三浦文学の問いかけに導いてくれる
かもしれない。
三浦綾子さんの生き方に多大な影響を与えた前川正氏の写真を見て、感無量で
あった。
「塩狩峠」や「氷点」のビデオも鑑賞できる。
石狩川の支流、美瑛川の川面が夕陽で煌いている。
「氷点」では、この川原で夏枝の娘ルリ子が殺害された。
暑い夏の日差しを見本林の木陰にさけて、夕暮れまえのひとときを散策、
まだ、あちこちに干からびたようなオオハンゴウソウが咲いている。
当時はこの外来種は繁殖していなかったのだろう。
まずは、駒苫の決勝戦進出、おめでとうございます。
あと一つで夏の連覇ですね。
ネットの地図によって、2万5千分の1で、氷点の舞台のその場所に行くことが出来ました。
しかし、肝心の話の筋をほとんど忘れてしまっています。
あれほど、シリアスな小説、新聞連載されて大評判であった物語、読書会の必須アイテムでしたね、このあらすじがまったく浮かんできません。
小生の脳みそが、すでにガラガラポンされてしまったようです。
残念なことですが、またビデオ屋さんに行くことにいたしましょう。
ところで映画でもここを足がかりにして撮影を進めたのでしょうか?
見本林ってこんなんだったんですねー。
美しい。
三浦綾子記念館も行ってみたいです。
北海道は一回道東を一人旅行しましたが、今度はこちらも訪れてみたいと思いました。
知床の世界自然遺産登録の前からも、北海道旅行といえば道東ですね。
でも、旭川や道北もなかなかのものですよ。
塩狩峠にある三浦綾子記念館にもぜひ寄ってみて下さい。
あの超高校級の選手がいる大阪桐蔭高校に勝てるとは予想外でした。
映画かテレビの撮影のときは旭川にいなかったので、よくわかりませんが、
ここで撮影がおこなわれたそうです。
重いテーマの作品ですが、いまわたしも読み返しています。
最近は三浦綾子ブーム(わたしにとって)になってます。(笑)
ここが、つきこさんのお休み処になれば嬉しいですね。
いつも、旭川や札幌から爽やかな風をお伝えしたいなあって思います。