屯田物語

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「氷点」 ”ちろる”で夏枝は村井と会う

2005年08月21日 | 
”ちろる”の主人は詩人であった。
その詩人らしい雰囲気が店にもただよっていた。
少しこんではいたが、店の中はいかにも静かであった。
夏枝は大きな棕櫚のかげのテーブルについた。
夏枝は一人で喫茶店にはいることなど、ほとんどなかった。
だから何かしらない街にでもきたような、新鮮なかんじだった。
時々、夏枝は周囲の視線をかんじた。
その一人一人に、微笑を送りたいような大胆なものが、夏枝の心の中にあった。

三浦綾子著「氷点」から


ここ3条8丁目にある喫茶店”ちろる”は昭和14年に開業した。
レンガ壁の雰囲気は、いまも昭和29年当時(夏枝が訪れたとき)と変わっていない
ような気がする。

高校一年のとき、休みで帰旭した兄から彼女へデートの連絡を頼まれたことがある。
彼女は同じ高校の三年、休み時間にそのクラスに出向き、彼女を呼び出して兄の
ことづてを伝えた。
上級生がじろじろ見ているので、ちょっと緊張する。
兄と彼女の待ち合わせ場所はいつも”ちろる”であった。



棕櫚のかげではないけど、この席で夏枝は村井と会ったのではないか、と思う。


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4 コメント

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恋の行方は? (ぶちょうほう)
2005-08-21 20:59:26
春様 こんばんわ

小生は自分の下世話を愧じますが、お兄様と彼女の恋はその後どのように進展したのでしょうか?



「ちろる」・・・氷点の舞台が現存していたのですか。

小説の筋書きを追って、現実と突合させると言う作業は興味深いことですね。



小生は、その後の辻口陽子さんが実在するとしたらどういう人になっているかと言うことに興味があります。



映画の「氷点」はビデオになっていましたが、若尾文子、安田道代版でした。
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みつめてきたもの・・ ()
2005-08-21 22:10:22
「氷点」の舞台は旭川、よく知っている場所ばかりなので「氷点」の読者の

かたに旭川を紹介できればと思いました。

陽子や徹が通った神楽小学校には子供達も通っていたし、もう少し物語に

合わせて場面の紹介をしたかったのですが、ひとまずこのあたりで終わり

とします。



「氷点」は先ほど読み終えました。

「人はそれぞれみつめて生きてきたものは違うのだ」ということを、

考えさせられました。



兄の恋人は目のクリクリした可愛い人でした。

でも、元恋人で終わりました。(笑)



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昭和14年でしたか (大阪のヒラク)
2005-08-22 09:13:08
30年あまり前に亡くなった、父が「若いときにチロルで...」とか云っていたのは私が12,3才の頃でしたか...

春さんのような、濃厚な関係はありません。

チロルにはじめて入ったのは大阪に住むようになってから、つまり25歳を過ぎて、何年か振りにたまに旭川に行ったときです。昨年秋、高校の同期会のはじまる少し前の時間もそこで過ごしました。

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若い日の思い出・・ ()
2005-08-22 09:43:52
ヒラクさん、こんにちは!

お父さんの若いときの思い出が残されているわけですね。

あの、「有楽町で会いましょう」の歌にのって喫茶店がたくさんできてから、

いま、こういう古い喫茶店がほとんどなくなりました。

旭川も”ちろる”だけですね。きっと。。

わたしは、旭川に帰るたびに寄ってます。



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