政雄の碑 雪の降るまま 積もるまま
殉難碑 知る人なしに 秋暮るる
三浦綾子著「塩狩峠」から・・
「たったいまこの速度なら、自分の体でこの車両をとめることができると、
信夫はとっさに判断した。
一瞬、ふじ子、菊、待子の顔が大きく目に浮かんだ。 それをふり払うように、
信夫は目をつむった。
と、その瞬間、信夫の手はハンドルブレーキから離れ、 その体は線路を
目がけて飛びおりていた。」
宗谷本線(旭川~稚内)、向って右は旭川方面です。
三浦綾子さんの手記によれば、ここ塩狩峠の風景は、塩狩峠の事故があった当時から
ずっと今まで、変わっていないそうです。
長野政雄さんの碑です。
駅舎で冒頭の句 「政雄の碑 雪の降るまま 積もるまま」 を目にしたとき、
胸が熱くなりました。
塩狩駅、
無人駅なのでしょうか。
駅舎のなかに、冒頭の二句のほか政雄さんを悼む十首の句が掲示されております。
ジャコウアオイ、
塩狩駅付近の線路脇に咲いてました。
殉難碑 知る人なしに 秋暮るる
三浦綾子著「塩狩峠」から・・
「たったいまこの速度なら、自分の体でこの車両をとめることができると、
信夫はとっさに判断した。
一瞬、ふじ子、菊、待子の顔が大きく目に浮かんだ。 それをふり払うように、
信夫は目をつむった。
と、その瞬間、信夫の手はハンドルブレーキから離れ、 その体は線路を
目がけて飛びおりていた。」
宗谷本線(旭川~稚内)、向って右は旭川方面です。
三浦綾子さんの手記によれば、ここ塩狩峠の風景は、塩狩峠の事故があった当時から
ずっと今まで、変わっていないそうです。
長野政雄さんの碑です。
駅舎で冒頭の句 「政雄の碑 雪の降るまま 積もるまま」 を目にしたとき、
胸が熱くなりました。
塩狩駅、
無人駅なのでしょうか。
駅舎のなかに、冒頭の二句のほか政雄さんを悼む十首の句が掲示されております。
ジャコウアオイ、
塩狩駅付近の線路脇に咲いてました。
貴いエピソードですね。
こういう話を見聞すると、自分と比較してしまい、果たして、そういう行動を取りうるか考えてしまいます。
船長さんも沈没する船と命をともにすると聞いたときそれもショックでした。
それに比べると、JR尼崎駅付近のあの脱線事故は一体どれだけの差が有るのか計り知れませんね。
以前日航機の羽田沖不時着のときの操縦に携わる人の不可解な行動等も思い出してしまいました。昔の人は、死ぬ覚悟を持ちながら生きていたということに気が付き、今の人たちとはどうも決定的に、違うような気がします。
洞爺丸の沈没事件のときでも、キリスト教神父のわが身を犠牲にして他人を助けた話を聞き、今ここでわが身を犠牲にしたクリスチャンのぽっぽ屋さんの話に出会いました。
凄いことですね。
塩狩駅々舎・・・・懐かしいですね。
ジャコウアオイは始めてみる花です。
名前のように香るのでしょうね。
なんとも胸にこたえる話ですね、
このジャコウアオイがまた胸にしみる白さで、すべてを代弁しているような気がします。
このブログを書くのにあたり、再読しました。
著者の三浦綾子さんはクリスチャンなので、少し宗教色を感じますが
それを超越して、読者に愛と犠牲について語りかけてくるのを感じます。
ジャコウアオイの清々しさ、ほんとうに胸にしみる白さでした。
塩狩駅舎に掲示してある長野さんを悼む句は、みな切々として80年以上も
経っているのに胸を打たれます。
たとえ、車両に妻子が乗っていたとしても、自分には同じことはできません。
長野さんが線路に飛び込む寸前、うしろを振り向いて別れの合図をしたのを
目撃した人があったということです。
乗客を救うため覚悟の死であったことは紛れもない事実です。
長野さんは自殺したのでは、という噂もあったとか、こういう偶然の事故に
乗じて?自殺を企てる人はいません。
「塩狩峠」の解説では次ぎのように書かれていました。
「人はその友のために自分の命を棄てること、これより大きな愛はない。」
このヨハネの福音書のイエスの言葉こそ「塩狩峠」の主題聖句である。
(著者三浦綾子さんが仰っているわけではありません)
どうもありがとうございます。
上の写真、拝見いたしました。
物語のなかでの自分だけの想像絵が一気に現実のものとなり、身震いがいしました。
事故当時と風景がかわっていないなんていうのも、あのストーリーと、現実に起きたことと、自分が今ここに存在しているということを妙に近くにかんじさせてくれます。
ワタシの見た夢も、ブログに書いた時点ではかなり記憶がうすれてしまっていました。もっともっと夢の中でいろいろな感情がうずまき、まわりにももっとたくさんの風景があったんですが詳しく思い出せません。
とにかくTBをどうもありがとうございました。
感謝しております!
塩狩峠は有名観光地ではないので、道内の方でない限り、まず目にすることは
ないと思います。
「塩狩峠」を読んで感動された方が、実際に峠や駅やその付近の風景を
眺めることができたら、
またあらたな感動を呼び起こすのではと思いました。
そういうことで、わたしのTBを喜んで頂いて嬉しいです。
また、どうぞいらして下さい。
小説の舞台となった現在の(当時とあまり変わらないという)風景の写真を見ながら、塩狩峠を読める方々は幸せだと思います。
少しでも多くの方に、解説や書評にならないよう、押し付けにならないよう、でも『どんな本かな、読んでみようかな』と思っていただけるようにと思い、あのような物語形式のブログを始めました。「塩狩峠」もぜひ多くの方に手に取って頂きたいと思います。 ありがとうございました。
「塩狩峠」を読むときの息子さんとのやりとり、微笑ましいですね。
わたしは読書感想文を苦手としていましたが、あなたの子供さん
なので、きっとユニークな感想文を期待していいと思いますよ。
札幌に向う上り列車で連結器が外れたので、
事故現場は、あの標識あたりかと思います。
いま、塩狩峠の静かな風景を眺めていると不思議な感じがしますね。
「塩狩峠」を通して、平凡な景色に生命を与えてくれました。