針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

燕人張飛。

2009-02-07 23:21:40 | 漢詩・古典・エトセトラ

 張飛は字を翼徳(よくとく)、燕人の異名がある。←って、そのいわれは分かりまへん。身長八尺、豹のようなゴツゴツした頭にグリグリの目玉、エラが張った顎には虎髭、声は雷の如く、一丈八尺の鋼矛「蛇矛(だぼう)」を自在に振るって戦場を縦横無尽に駆ける武勇を誇る武将だ。

             

 張飛は一騎打ちでは負け知らずであり、夏侯惇と互角の曹豹を討ち取り、関羽と戦った紀霊を一騎打ちで討ち取り、曹操軍を代表する猛将である許褚に一騎打ちで勝利している。馬超との一騎打ちは名場面の一つだ。張飛がてこずったのは関羽と二人掛りだ戦った呂布ぐらいだろう。

 荊州の守、劉表が死ぬと、曹操が劉備を狙って、荊州に南下する。その時劉備を慕って農民が「是非お供を」と願うのであったが、如何せん、曹操軍の南下の速度が速い。しかたなく劉備が妻子も棄てて、わずか数十騎をしたがえて逃げ出すという中、張飛は「しんがりを任され、当陽の長坂において敵軍を迎えた張飛は二十騎の部下とともに川を背にして橋を切り落とし、「我こそは燕人張飛なり。いざ、ここにどちらが死するかを決しよう」と大声でよばわると、曹操軍の数千の軍兵は先に関羽から「我が弟張飛なるは、嚢中から物を取るが如く」と聞かされていたので先に進む子とが出来ない。張飛が詰め寄ると、曹操軍はなだれをうって退いた。このために劉備は無事に落ち延びることが出来た。

 劉備は後、荊州の南部四郡を攻略し、張飛を宜都太守・征虜将軍として新亭侯に封じた。しばらくして南郡に転任させた。

 張飛の欠点はその粗暴さにあって、目上の人にはそれなりの敬意を払うが目下のものには目もくれないし暴力を使う。それゆえに張達范彊の二人に酒を飲んで就寝中に首をかかれて殺されてしまう。

関羽は剛毅が過ぎて傲慢であり、張飛は乱暴で部下に恩愛をかける配慮が無さ過ぎた。

 まあ、関羽と張飛の欠点を上げてもしかたがないし、この戦乱時に倫理観をかざしても、始まらない。関羽と張飛の魅力は劉備に付いて万夫不当の勇が魅力だね。レッドクリフに関羽と張飛も出てくる。画像での彼らの見所は、やはり白兵戦の中の一騎打ちですかね。針もここは凄く期待しちゃう。

          
 五月の節句にも置かれる鐘馗様も張飛がモデルになっているとか。この鐘旭様は蛇矛は持ってませんけどね。

 追記:西遊記にも出てくる二郎神君の門番の鐘旭様(五月人形にもあるね)とか地獄の明王にも張飛の顔の影響があるとされているのだとか。聊斎志異等にも張飛が出てくるし、関羽張飛は民衆の心を掴んで離さない。

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