浜床のふろしき

尾道市因島から日常を記します

記憶の中の「顔」

2005年06月16日 | 日常

人は喜怒哀楽があり、実に色々な顔をしている。辛いことがあったのに満面の笑みの人は、あまりいないだろうし、楽しいのに眉間にシワを寄せている人もあまりいないだろう。

そこで、フッと周りの人たちの顔を思い出してみた。

あー、あの人は笑顔だ。あれ?あの人はしかめっ面だ。悲しそうな顔しかイメージできない人もいる。この人なんか無表情の顔しか思い出せないや。

そう、人には印象に残っている「顔」があるのだ。

誰かが僕の顔を思い出すとき、たぶん僕の顔は難しい顔をしているイメージなんだろうな。

笑顔をイメージしてもらえるようになりたいものだ。


僕の中を『時間』が流れる

2005年06月16日 | 日常

時々、『時間』というものについて考えてしまいます。以前、「時空を超えて」にも書いたように、僕が時間に興味を持つようになったのは中学生の頃だと思います。この時の授業とは別に、もう一つ印象に残っていることがあります。

石坂啓さんが書かれた「安穏族」という漫画が家にあり、読みました。内容的には中学生の僕には難しいことも多かったのですが、メッセージ性のある漫画だと記憶しています。(10年以上前のことなので、忘れている)

その中の一つにこんな物語があったと思います。

何の変哲もない一人の少年が普通の日常生活を過ごしている。彼は家族と生活しているんだけど、朝起きると家族が近未来的な格好をしていて、食事や環境も激変している。でも家族の年齢は変わっていない。さらに学校に行っても授業内容が昨日までと変わっている。そして、次の日、目覚めると今度は家族(年齢は変わっていない)が宇宙服を着ている。食事も宇宙食になっていて、外を見るとそこは宇宙だった・・・。

記憶が曖昧なので、嘘を書いているかもしれません。ごめんなさい。

ただ、ここに書かれていたのは主人公の少年の1日は周りの人の10年分(あるいはもっと長い年月)だという設定であり、その短い時間が大きな可能性を秘めた時間だと伝えているのだろうと思います。そして、いかに主人公の少年(もしくは私たち自身)が安穏と時間を無駄に過ごしているか、というようなことだと思います。

中学生の僕の心に残るくらいだから、他にも何かあったのかなぁと思いますが、定かではありません。

『時間』の流れは、その人それぞれによって違うだろうし、同じ人でも置かれている状況で違ってくるでしょう。僕だって、好きな人と居る時間はとても短く感じるし、辛く苦しい時間はとても長く感じます。時間の使い方だって、何もせず無駄な時間を過ごしているなぁと感じる時もあるし、充実して有意義な時間を過ごせていると実感できる時もあります。

人が持つ「時間の流れ」は各々違うのだろうけど、それを共有できたなら、大切にしていきたいなぁと思うのでした。