時々、『時間』というものについて考えてしまいます。以前、「時空を超えて」にも書いたように、僕が時間に興味を持つようになったのは中学生の頃だと思います。この時の授業とは別に、もう一つ印象に残っていることがあります。
石坂啓さんが書かれた「安穏族」という漫画が家にあり、読みました。内容的には中学生の僕には難しいことも多かったのですが、メッセージ性のある漫画だと記憶しています。(10年以上前のことなので、忘れている)
その中の一つにこんな物語があったと思います。
何の変哲もない一人の少年が普通の日常生活を過ごしている。彼は家族と生活しているんだけど、朝起きると家族が近未来的な格好をしていて、食事や環境も激変している。でも家族の年齢は変わっていない。さらに学校に行っても授業内容が昨日までと変わっている。そして、次の日、目覚めると今度は家族(年齢は変わっていない)が宇宙服を着ている。食事も宇宙食になっていて、外を見るとそこは宇宙だった・・・。
記憶が曖昧なので、嘘を書いているかもしれません。ごめんなさい。
ただ、ここに書かれていたのは主人公の少年の1日は周りの人の10年分(あるいはもっと長い年月)だという設定であり、その短い時間が大きな可能性を秘めた時間だと伝えているのだろうと思います。そして、いかに主人公の少年(もしくは私たち自身)が安穏と時間を無駄に過ごしているか、というようなことだと思います。
中学生の僕の心に残るくらいだから、他にも何かあったのかなぁと思いますが、定かではありません。
『時間』の流れは、その人それぞれによって違うだろうし、同じ人でも置かれている状況で違ってくるでしょう。僕だって、好きな人と居る時間はとても短く感じるし、辛く苦しい時間はとても長く感じます。時間の使い方だって、何もせず無駄な時間を過ごしているなぁと感じる時もあるし、充実して有意義な時間を過ごせていると実感できる時もあります。
人が持つ「時間の流れ」は各々違うのだろうけど、それを共有できたなら、大切にしていきたいなぁと思うのでした。
じゃが、毎年本番が終わると、次の年の立ち上げの日までを、カウントダウンしてる”ごんべ”。
そこに関わってる私は、あっと言う間に歳を取っていく気がします(_ _;)... ウゥ
時間というのはほんと不思議なものです。その無限の流れの中で、同じ時代に生まれ、出会い、何かを共有する人たちというのは自分にとって奇跡のような気がします
し、その不思議さを表すのに「縁」という言葉があるのかもしれませんね。
たしかに楽しいことをしている時や夢中になっている時、時間が早く過ぎますね。時間は伸び縮みする。できることなら、好きな人と過ごす時は、ゆっくり流れて欲しいけど…。
ただムダに流れる時間だけは存在しないと思います。
「”浜”で短かったって感じる時間」をですね。楽しみにしています。でも小早で予選落ちして、名実ともに短い時間を過ごすかもしれません・・・。
時間の過ごし方は人それぞれだと思うんです。ゆっくり、のんびり過ごすのが悪いわけじゃなく、その時間を自分がどのように捉えるかでしょう。
僕は因島に戻ってきて、慌しかった以前の生活とは時間の流れが違いますが、満足していますよ。悪くないですね、この過ごし方。都会の人からしたら、退屈なんだろうけど・・・。
そうですね。その時の選択で、今とは違う人生ってあると思います。以前にも書いたんですが、例えば時間が戻るとして、どの時間に戻りたいかを考えたとき、僕は「今」がいいと答えられる自分でいたいなぁと思っています。
「無駄な時間」。表現が悪かったですね。すみません。
ただ、僕自身の中で後悔する時間の過ごし方は、たしかに存在しているのです(誰しもあると思うのですが)。それを無駄と表現すべきかどうかは別として。
そう、時間の感じ方は相対的ですね。同じ1分間でも違うもの。だから面白いのだけど。
無駄な時間だなって思う過ごし方、いっぱいしてます。
でもきっと、この時間も必要なんだろうなと思うのです。
そういう意味で無駄な時間はないのじゃないかと…、
こんなこと言いたかったのだけど、言葉たりなかったね。
ごめんね。
今日、兄の家族が帰省します。
初めて、甥と対面するので楽しみです。
甥や姪の時間の流れは、きっと、私のものとは違うのだろうと思うと不思議…。
hamatokoさんは息子さんと暮らしていて、
そういう風に感じない?
甥っ子との面会を楽しんでくださいね。
息子の時間の密度は凄く濃いんじゃないかと思うことがあります。様々なものを吸収するので、1分が僕の5分とか10分とかの感覚なんでしょうね。
無駄と思われる時間の過ごし方ですが、その時間が現在の自分を創っているんだと考えると、無駄ではなかったんだなぁと思うようにしています。うとさんの言いたいこと分かりますよ。