らんかみち

童話から老話まで

体罰って必要なの

2013年01月25日 | 暮らしの落とし穴
 選抜高校野球のニュースが聞かれるようになったけど、顔を腫らしている生徒はいないか、などと本質とは関係ないことを考えて画面に見入ってしまう。
 体罰を受けた桜宮高校の生徒が自殺したことで体罰の是非が論じられている。ぼくが子どものころからあったことで、未だに結論の出ていない古くて新しい問題だ。しかし、体罰で伸びる子と、体罰によって死を選ぶ子がいるという事実が明らかなのに、体罰の是非だけを論じて良いものだろうか。

 いくら殴られても言うことを聞かないやつは、というか、先生を見下すような生徒、というか、ぼくみたいな生徒はいるわけだしぃ……まあ、ぼくも散々殴られた口ではあるな。
 殴られるたびに、言葉で説得する技術を持っていないのか、と先生を見下したもんだ。桜宮高校の場合を詳しく知らないぼくが憶測で物を言うわけにはいかないけど、教える技術というものを考えてみたい。

 200年ほど前に活躍したバイオリニストで、ニコロ・パガニーニというイタリア人の作曲した「24の奇想曲」はバイオリンの新約聖書といわれる。当時の聴衆は彼の曲を聴いて「悪魔に魂を売り渡して得た技術だ」と噂する。実際、彼の演奏技術はエポックメイキングであり、当時のどんなバイオリニストも演奏することができなかった。
 パガニーニの死後に生まれたバイオリンの名手サラサーでさえ彼の曲を演奏しなかった。なのに、現在では5歳の子がパガニーニの難曲を弾いてしまう。

 Incredible 7-Year Old Child Violinist Brianna Kahane Performs "Csardas" on a 1/4-Size Violin.

 
 これはパガニーニの曲じゃないし、技術的には易しい曲といえる。しかしこの7歳の子は楽譜をなぞっているだけじゃなく、表現しているところがすごい。
 だれが教え込んだか知らないけど、この子に体罰を加えてここまでにしただろうか、なわけないよね。

 バイオリンに限らずだけど、教える技術は日々進歩している。相撲しかり、将棋しかり。昔の名人上手といえども、当代のアマチュアに如かず。
 精神論を否定するわけじゃないけど、軍国教育的スパルタンに教える側は喜びを見いだせるのかって……でも、ついついサディスティックに……教える側に立ってみると、それは理解できないわけじゃない。
 
 たぶん教える技術が、教育現場の技術として受け継がれていない。教育を仕事と割り切るとか、ライフワークとして人生を捧げるなんて大げさなことじゃなく、教える技術を学ぶだけで良いはずなんだ。
 それがうまくいかないのはきっと、教える側を評価するシステムが硬直しているからだろう。国際的な評価に晒されなかったせいかも知れない。