らんかみち

童話から老話まで

新年早々ごたごたの予感

2013年01月01日 | 暮らしの落とし穴
 恥ずかしながら、元旦早々に七草がゆを食べねばならないほどのバイタル。大晦から新年をまたいで神社に立てこもり、初詣のお客さんに御神酒のお接待しようとして、自分が御神酒で清めたせいだろうか。
 そんな苦労をしても、来られたのたったの二組七名。極寒で一人も来ないんじゃないかと心配した年もあった。それなら次からどうするんだって話だけど、一旦始めた行事を廃止するのは、禁煙するよりはるかに難しい。

 うちの村は特別に行事の多いコミュニティーで、お大師さん、お稲荷さん、金比羅さん、段原さん、海神社などなど、いつから始まったのか定かでない行事も含めて連綿と受け継がれている。
 少子高齢化で、秋祭りに付帯する櫂伝馬という子どもが二人必要な行事は、ついに絶えてしまった。残念だという気持ちは村人の誰にもあるけど、子どもがいないことを理由に穏便な形でやめられ、やれやれという気持ちも無いではない。

 そもそも、「やめよう」と切り出す勇気のある人がいない。自分が口を開いて廃止が決まったとして、神様の怒りを買って村が天変地異に見舞われたら恨まれるんじゃなかろうか、罰当たり者呼ばわりされるんじゃないか。
 そこまで深刻に考えてはいないと思うけど、反対する人と争いたくはない。「神様ごと」「罰が当たる」を理由に反対するならまだしも、幟や幕の奉寄進に現役の方の名前があったりすると、これはもめるんだ。

 志を蔑ろにしてくれるな、という気持ちを尊重しないわけにはいかないが、それがために苦しむ高齢者が多いのなら、ここは一歩譲っていただこうか。罰が当たったら当たったで、「損長の野郎がいかん!」と糾弾してくれ。
 元日から若干重めの話だけど、電波障害でごたごたした去年よりはマシという新年、あけましておめでとうございます。