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アミューズランドは甘い記憶と家族がテーマ・上(1月29日まで)

2006年01月26日 15時53分53秒 | 展覧会の紹介-現代美術
子どもから大人まで幅広く美術に親しんでもらおうと毎年冬にひらかれている道立近代美術館の「アミューズランド」展、14回目(前身の「子どもと親の美術展」から通算すると29回目)のことしは「A☆MUSE☆LAND☆2006 スイート・メモリーズ」と題し、記憶や思い出にまつわる作品をあつめました。
 道内ではあまり見る機会のない現代美術にふれる格好の機会でもあります。
 今回は、作家の名前がわりと大きく出ていて、例年よりもそれぞれの作家を尊重している感じでしたし、赤ちゃんから少年へという流れにさりげなくなっていて、展覧会としてうまくまとまっていたと思います。

 個人的に、いちばん印象にのこったのは、新明史子(しんめい・ふみこ、1973年-、札幌)の、8点からなる「風とおくとおく」、かなあ。
 新明さんは一貫して、身近な家族などの人々を題材に、コピーや写真による作品をつくっています。今回は、前回の個展と同様、何枚ものカラー写真を貼りあわせて1枚の情景をうつしています。デイヴィッド・ホックニーにもほとんどおなじ技法の作品があるけれど、新明さんはただ貼りあわせているだけじゃなくて、そのなかに、何十年も前に同じ場所で撮影された写真がまじっているんです。
 今回も、1枚目の「祖父母の家I」は、(おそらく最近撮られた)がらんとした室内の様子をうつした中に1枚だけ、祖父母と孫3人(このうち1人が新明さん本人と思われます)がすわってうつっている写真が入っています。
 つぎは「祖母の納骨I」。(ちなみに、出品番号と陳列順はことなります)墓の前にあつまった親戚たちの写真のなかに、手を合わせるおさない姉妹の写真。古い写真が色あせているのでそれとわかります。
 3枚目が「函館公園 メリーゴーランドI」。キタ━━━°∀°━━━、遊園地業界の生きた化石(笑)、函館公園。子どもがまたがって乗る部分は二十数年のあいだに更新されているようですが、基本はほとんどおなじ。褪色してなけりゃ、どれが古い写真なのか、わかりゃしません。
 ところが、4枚目の「函館公園 空飛ぶサメI」は、どこに古い写真があるのかかろうじてわかるんですが、5枚目以降の「函館公園 メリーゴーランドII」「函館公園 空飛ぶサメII」「祖母の納骨II」では、褪色している写真が見つからない。
 そして、最後にある、「祖父母の家I」から古い写真を除けただけのような「祖父母の家II」を見て、ハッとするんです。棚に赤い布で包んだ箱がある…。
 あわてて「祖父母の家I」を見直すと、やっぱりおなじ位置におなじ箱が置いてあります。
 これって、おそらく骨壺が入っているんでしょう。となると、「祖父母の家I」には、同じ人物が生者と死者としてうつっていることになります。その事実に、おもわず居ずまいをただし、時の流れに思いをはせるのでした。

 会場の最後にある荒木珠奈(1970年-、東京)の「うち」は、大小80個の木の箱からなるインスタレーション。
 荒木さんが小さいころ住んでいた団地がテーマなんだそうです。
 大半はかぎがかかっていて、別のところに掛けてある、部屋ごとにことなる錠をまわさないとあきません。
 それぞれの錠にはみじかいことばを書いた短冊がついていて、102は「おかあさんとかえろう」。ふたを開けると、中は、まばゆい電燈がともされ、母子のシルエットを描いた小さな絵があり、内側全体が蜜蝋でおおわれています。
 筆者は、316「おとうさんのレコード きこう」、405「きみ どこ行くの?」もあけてみましたが、似たような感じで、たしかに、おさないころに団地に住んだ思い出がよみがえるような、心あたたまる作品です。それぞれの箱が孤立しているのも団地らしいといえばいえますし。
(この項つづく)


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