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書肆吉成のイケウチゲート店に行ってきた

2018年02月14日 17時10分55秒 | 情報・おしらせ




 札幌市中央区南1西2、IKEUCHI GATE 6階にオープンしたばかりの書肆しょ し 吉成に行ってきた。
 それほど大きな店構えではないが、ここまでやって大丈夫なのだろうかと心配になってくるくらい、マイナー出版社の堅い人文書に棚を割いた、驚くべき本屋であった。

 全体像をいうと、古書を中心に、アウトレット本、小出版社コーナー、ミニギャラリーなどから成る。
 ミニギャラリーは、吉増剛造の関連展示をしており、彼の詩集が平台に積んである。
 なかでも、小出版社コーナーがすごくて、水声社の棚だけで四つある。

 アマゾン、グーグルによる文化支配を断固拒否し、欧米文学や現代思想などのユニークな本を出し続ける水声社推しがここまですごい本屋さんは、おそらく日本中でもここだけではないだろうか。

 書肆山田の棚も二つである。
 思潮社の本もかなりそろっている(ただし同社を代表するシリーズ「現代詩文庫」は、いまのところ、欠番が多い)。それにしても、書肆山田の書物はその倍はある。

 知らない人のために説明しておくと、日本語の(つまり国内の書店で発売される)詩集や、詩の関係書籍のおよそ8割は、両出版社から出ているといっても過言ではない。
 思潮社は詩の出版社としてまずは日本一の存在だろうが、対して、書肆山田は詩書以外にも人文、芸術関係の渋い本を多数出している。「りぶるどるしおる」シリーズがこれほどそろっている書店というのは、東京にもちょっと例がないのではないか(ぜんぶ調べたわけではないので断言はできないけれども)。

 ほかにも、左右社共和国、かりん舎(札幌)などがコーナーを持っている。
 このブログの読者に関係深そうな分野でいえば、赤々舎の写真集がかなりそろっていることではないだろうか。
(個人的には、近年の森山大道写真集を引き受けており、個性的な人文書を出している月曜社のコーナーもあると良かったと思う。そうしたら、月曜社の「ウラゲツブログ」で紹介され、業界で一気に有名になったかもしれないのに…)



 古書については、札幌の中心部からほとんど姿を消した古書店が再登場したという意味は大きい。
 札幌の古書店は平成に入り、従来の北大周辺に加え、当の書肆吉成の本店(東区)や伊藤書房(清田区)のように郊外への展開が軸になっていた印象がある。
 しかし、かつては4丁目プラザ地下に「一誠堂」があり、南3西3に「成美堂」があった。成美堂は、1階が新刊書店、2階が古書店だった。また、南4西4には石川書店があって、北海道関連書や文学書では圧倒的な品ぞろえを誇っていた。
 さらに、短い期間ではあったが、南3西2のHBC3条ビル(現KT3条ビル)には「亜本屋」があって、ここは美術書を主体とした棚であった。
 いま挙げた店はすべて閉店し、すすきのの中心部で「北海堂」が頑張っているだけになっている。

 ただし、古書の品ぞろえという点では、アラーキーの写真集や道内関連書が多いなどの特徴はあるものの、文学などの棚はまだ、ジャンル違いの本がまじっていたりして、買いやすいとはいえない。これから整理され、徐々に特徴が出てくることを期待したい。


 以下、余談。

 IKEUCHI(丸ヨ池内)が現在のように南1条通りを挟んだ2館体制になったのは2011年と意外に新しく、それまでは、書肆吉成が入店している側だけの小さなデパートだった。

 もともとは金物店から出発したため、1970年代までは上のほうのフロアに充実した金物売り場があった。
 筆者は用もないのにそこを訪れ、5円のねじや10円のワッシャーがばら売りされているのを見て、ちょっと興奮した記憶がある。なぜなら、1円切手などをのぞけば、それが札幌のデパートで買える最も安価な商品であることは間違いないからだ。


□公式サイト http://camenosima.com/

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続々・神田から上野へ=東京'18(イ)ー14

2018年02月14日 08時08分08秒 | つれづれ日録
承前)

 白梅と雪の写真。

 湯島天神からは、前回と違って、男坂も女坂も通らず、夫婦坂を下って切通坂に出る。
 境内から北側が崖のようになっていて、階段を降りると広い道路に出るという地形は、神田明神とそっくりだ。



 道路の反対側には、湯島ハイタウンという高層住宅が2棟たっている。
 ネット検索すると1969年築らしいので、「ビンテージマンション」という呼称がふさわしい。
 地図で見ると、岩崎邸の緑をふさぐような形の立地だ。


 切通坂に出て右に曲がり、天神下の交叉点を渡る。

 道の右側には、バーやスナックが軒を連ねている。

 そうか。このへんは上野の歓楽街なのか。
 いつの間にか、文京区から台東区に入っている。

 と思ったら、目の前の視界が開けた。

 不忍池しのばずいけだ。



 画像を見てもわからないかもしれないが、不忍池は一部が凍っていた。
 やはり今年の冬の寒さは格別のようだ。

 筆者が不忍池を初めて見たのは1974年8月で、上野動物園でパンダを見た帰り、父親に連れられて通りがかった。
 ものすごい暑さのなか、どうして東京の街の中にサトイモ畑があるのだろうと、不思議に思った記憶がある。
 もちろんサトイモではなく、ハスを見誤ったのだ。

 この池は、かつて東京湾がもっと内陸にまで入り込んでいた時代は、上野の山と湯島丘陵の間の入り江だったという。

 真ん中に弁天堂があるのは、琵琶湖の竹生島を模したらしい。
 この「見立ての文化」というのは、江戸の特徴だと思う。




 不忍池の中を通って上野公園へ。

 この業種の屋台を何度か見かけたが、どうして東京で北海道名物を売っているのだろうか。

 信号を渡り、階段を上って上野恩賜公園の中へ入る。

 公園内の東博(国立東京博物館)や東京都美術館に行くときは、ほとんどJR上野駅の不忍口から文化会館の横を通って行くので、南西から近づくのはなかなか新鮮だ。

 「しのぶ川」という小さな石碑がたった小川も流れている。
 もっとも、これはかつて「藍染川」の一部だったしのぶ川そのものの流れではないであろう。

 だいたい知っているつもりだった上野の山にも、知らないところがいっぱいある。
 正岡子規記念球場なんていうのも、今回初めて気がついた。


 球場のそばには「摺鉢山古墳」という小さな丘もある。

 古墳なんて、ふつうの日本人にはさしてめずらしくないのだろうが、北海道には無いので
「お~っ」
と思ってしまうのだ。

 階段があったので、上ってみたが、てっぺんは家1軒ぐらいの広さのがらんとした空き地で、とくに何もなかった。
 周囲の木々が高いので、とくに見晴らしが良いわけでもない。


 いま考えたら、墓の上に乗るというのは、あまり行儀の良い行動ではないな。

 公園のメインストリートをさらに歩いて行く。


 ようやく東博が見えてきた。

 前には、噴水があり、高々と水をふきあげている。

 噴水の哲学的な考察はリルケに任せるとして、こんな雪が残り、池が凍るような真冬に噴水が稼働しているということ自体が、北海道の人間には物珍しかった。
 もちろん道内には、冬に止まっていない噴水など存在しないだろう。


 そろそろアートに話を戻そう。
 この日、2018年1月28日は、ほとんど東博にだけいたというめずらしい日になってしまった。

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2月13日(火)のつぶやき その2

2018年02月14日 01時51分44秒 | 未分類・Twitterのまとめ・その他
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2月13日(火)のつぶやき その1

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