何ともやるせないとでも言おうか。沖縄の普天間基地、嘉手納基地をあらためて見て、現地の職員からの説明を受けながら、圧倒的な土地を日米安保条約の証として占拠されて、基地、飛行場として米軍に搾取されている全貌に、悲しみがこみ上げてきて、涙が出そうになりました。
一月二十五日、久しぶりの沖縄で自治体議員勉強会の仲間との研修合宿に参加し、宜野湾市の伊波市長の講演を中心に懇談し、質疑応答、懇親会を持ちました。
翌二十六日は、朝から小雨の降る中をバスとレンタカーで、まず宜野湾市のど真ん中に位置する問題の「普天間基地、飛行場」を一望できる展望台から視察し、何とも言えぬ威圧感と共に、基地と騒音に同居したような住宅で日々の生活をする、宜野湾市民のことを考えると、胸が詰まる思いに駆られました。
また、あの日本最大の米軍基地、嘉手納飛行場を見渡せる『道の駅』として嘉手納町が建設した展望台からも、嘉手納基地の全容が見渡せて、貨物輸送機やヘリの離着陸を目の前で目撃し、心痛く感じました。
その後、あの米軍ヘリが昨年夏に墜落炎上した『沖縄国際大学キャンパス』の一部を見学し、黒く焼けただれた樹木や高温で一方の緑が焼けた立ち木などが残存している場所の塀には、米軍への怒りと平和を祈願する市民達の墨字の布切れがぶら下がっていました。
現在、日米政府は普天間飛行場の撤退と共に移転先としての候補として、名護市のキャンプシュワブの米軍基地の沖合いで合意し、埋め立ての二千五百メートルの新滑走路を一部海上予定地に建設することにしてます。しかしジュゴンの住む海を、決して米軍基地にさせないための反対闘争をする市民達のエコボートで見て回り、強い怒りとやりきれない日本政府のアメリカべったりの主体性の無さを痛感させられました。
沖縄にやってくる観光客の大半も、そして沖縄に住む多くの日本国民も、経済性優先と日常生活に追われて、このおかしな米軍基地に占領された、沖縄の現状と未来に、関心が薄れているのではないでしょうか。
悲しむべき沖縄の現状を直視し、再び戦争に巻き込まれない日本にするための、多くの国民の声を、今憲法改悪阻止も含めて、『叫ぶ』必要を改めて感じました。
一月二十五日、久しぶりの沖縄で自治体議員勉強会の仲間との研修合宿に参加し、宜野湾市の伊波市長の講演を中心に懇談し、質疑応答、懇親会を持ちました。
翌二十六日は、朝から小雨の降る中をバスとレンタカーで、まず宜野湾市のど真ん中に位置する問題の「普天間基地、飛行場」を一望できる展望台から視察し、何とも言えぬ威圧感と共に、基地と騒音に同居したような住宅で日々の生活をする、宜野湾市民のことを考えると、胸が詰まる思いに駆られました。
また、あの日本最大の米軍基地、嘉手納飛行場を見渡せる『道の駅』として嘉手納町が建設した展望台からも、嘉手納基地の全容が見渡せて、貨物輸送機やヘリの離着陸を目の前で目撃し、心痛く感じました。
その後、あの米軍ヘリが昨年夏に墜落炎上した『沖縄国際大学キャンパス』の一部を見学し、黒く焼けただれた樹木や高温で一方の緑が焼けた立ち木などが残存している場所の塀には、米軍への怒りと平和を祈願する市民達の墨字の布切れがぶら下がっていました。
現在、日米政府は普天間飛行場の撤退と共に移転先としての候補として、名護市のキャンプシュワブの米軍基地の沖合いで合意し、埋め立ての二千五百メートルの新滑走路を一部海上予定地に建設することにしてます。しかしジュゴンの住む海を、決して米軍基地にさせないための反対闘争をする市民達のエコボートで見て回り、強い怒りとやりきれない日本政府のアメリカべったりの主体性の無さを痛感させられました。
沖縄にやってくる観光客の大半も、そして沖縄に住む多くの日本国民も、経済性優先と日常生活に追われて、このおかしな米軍基地に占領された、沖縄の現状と未来に、関心が薄れているのではないでしょうか。
悲しむべき沖縄の現状を直視し、再び戦争に巻き込まれない日本にするための、多くの国民の声を、今憲法改悪阻止も含めて、『叫ぶ』必要を改めて感じました。
さて、性格こそ若干変わったとは言え、いまだに敗戦直後の占領軍が独立国日本国内に居ること自体変で、さらにそのほとんどが沖縄県に集中とは異常です。それを敗戦後60年も放置している政府にも責任があります(日本国内で犯罪を犯した米兵を直接拘束も出来ません)。今や日本国全体が、アメリカ軍の世界戦略の中に組み込まれているといえます。イラクの次にアメリカ兵が沢山居る国?!ではないのでしょうか。・・・・元日本兵!