ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

廣島被曝慰霊の日。

2011年08月06日 | イベント
 先日も、「ヒロシマ・ナガサキ」と題するドキュメンタリー映画を観ての感想を中心に記したが、今日は66年前の世界で初めて原子力爆弾が普通の生活者市民の上で炸裂し、多大な死傷者と放射能被害を蒙った人々がたくさん出た、歴史的には屈辱的または非人道的犯罪的米国の行為の忘れてはならない「被爆国」日本の第一日であった。

 後の9日の長崎への原爆投下と共に、決して忘れられない日なのだが、ヒロシマについては午前8時15分が投下された時刻であったので、今日も朝の早くから大勢の人たちが、あの原爆ドームが残る「広島平和公園」の式典会場に集い、全国のテレビ、ラジオの中継の映像と音声と共に、「黙祷」をしたのであった。

 私も朝の連続テレビ小説「おひさま」を観た後、NHKテレビの「広島原爆の日」の中継を観ながら、テレビの前で直立して黙祷をしたのだったが、我が家でも「蝉の鳴き声」がジーンジーンと鳴り止まない真夏の朝と言った感じの背景での黙祷となり、家内も台所から手を合わせて祈るように黙祷していたのだが、66年前に突然の被曝を経験した人々にとっては、とんでもない絵地獄だったと推察されるものだったろう。

 午前8時からの平和記念式典では、約5万人もの人たちが参列した模様なのだが、昨年から出席したアメリカ、イギリス、フランスも含む全世界の66ヶ国からの出席もあり、ようやく「ヒロシマ」の被曝の歴史的現実から目を放すことなく、全世界が「原子力爆弾」の行使や研究、実験をも含む「非核」の希望を探り出そうとしている時代に入ろうとしているという感じは感じられた。

 しかし、今年四月に就任した広島市の初の戦後生まれの松井市長は、母親が被曝体験を持つ市長として、公募した被曝体験談の中から二人の被爆者の言葉を引用する形で、被爆者の恐怖と命に拘わる尊い体験を語り、平和への思いを学んで後世に伝えていくことと、臨界核実験を繰り返している米国を名指しであげて、核兵器廃絶への取組みを訴え、核不拡散の国際会議の誘致を目指すと語ったのだが、菅首相の挨拶には迫力も力強い「核兵器廃絶」の願いや「原発からの脱却」を目指すという意思を感じるほどの内容を感じることはなかった。

 小学六年生の男女である、子供代表の「平和への誓い」の方が、よっぽど純粋かつ強い平和への願いと祈りを感じられるものであり、「夢と希望にあふれる未来をつくるために、行動していく」としっかりとした口調で、ほとんど暗記した形だったが、自分たちの言葉で語ったように感じられた。

 時は8月6日、今朝は9時過ぎから兵庫県西宮市の阪神甲子園球場では、恒例の夏の高校野球の開会式と初日のゲームが始まったのだが、なんとプロ野球では広島駅のすぐ近くに昨年完成し使用が開始された「マツダzoomzoomスタジアム」で、なんと53年ぶりとなる、広島原爆の日に広島カープ主催の読売ジャイアンツとの公式戦がナイターで行われたという。

 何故かわからないのだが、以前の「広島市民球場」では、この8月6日の「被曝の日」には、プロ野球の試合が組まれなかったらしく、たぶんに爆心地に近い場所にあった野球場でもあり、広島市民の被爆者の皆さんの心境に配慮してからか、意識的に広島カープ主催ゲームを市民球場では行わなかったと思われるのだが、時代は代わって球場も別の場所に新築されたことがきっかけとなったのか、53年ぶりの広島カープ主催の巨人との試合が今夜行われ、残念ながら広島は負けてしまったたいだが、祈念すべき一夜となったたいである。

 試合の途中にピアノ演奏をバックに「この日を忘れてはならない」というテーマの平和への願いを込めた詩の朗読がなされたり、両軍の監督、選手たちが、今夜の試合への思いやメッセージを事前に収録されていたらしく、テレビ放送中に、そうした思いや願いをも放映していたので、特別な意味を感じる試合となったみたいである。

 いずれにしても、8月6日は特別な日であり、若い世代の人たちにも、決して忘れてはほしくないばかりか、学校、家庭を含めて、あらゆる機会に、子供たちにも「広島」「長崎」に原爆が落とされた日と、その惨状、多くの犠牲者が出たこと、今直原爆症に苦しむ体験者たちがいることを伝えなければいけない責任と義務が、少しでも伝え聞いた人々にはあることを改めて確認したいと思ったのである。

 原爆も原発も元は同じで、戦争はなくても原発事故での放射能被害の影響や被爆者の苦しみや生活の変化は少なからず一生続くのだから、平和利用などというおかしな形容や修飾語をなくして、原子力そのものの危険性と安全への危惧を少なからず感じる「原子力」の利用、活用を見直さねばならない歴史的転換期なに来ていることは間違いのない事実と言っていいのではないかと思うものである。
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