ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

サッカーと愛国心?

2006年05月15日 | 日本の課題
本日、ドイツで開催されるワールドカップに出場するニッポンの23選手が決定し、ジーコ監督自らが発表した。久保選手が選に漏れ、巻選手が選ばれたことが話題となっているが、サッカーファンだけでなくマスコミは大騒ぎだった様である。

 このニュースを冷静に見た後、例の「テレビタックル」で「愛国心」に関わる論議を日本、米国、韓国、中国、イランなどの人たちを交えてしていたのだが、日本人は感情的な人が多い中で、タレントの大竹が「ワールドカップ出場や野球のWBCでの世界一」などの騒ぎは決して「愛国心」によるものでもなく、ただ皆と一緒に騒ぎたいだけなのだと指摘していた。

 政治評論家の三宅氏や現国会議員、自民党の桝添氏、例のハマコー等は、感情的過ぎて、諸外国の民間人の意見や指摘の方が的を得ていたのではないかと思う様な内容であった。

 「日の丸、君が代」の国旗、国歌法制化時には、小渕総理は国会答弁で、はっきりと「内心の自由を強制するものではない」と言っていたのに、現在は東京都の石原知事など右翼政治家は、国旗、国歌を強制強化しようとしているのである。

 「愛する」というあいまいな抽象的概念と、「国家」という、また抽象的概念をつなぎ合わせて、「国を愛する心」を強制したい自民党などの政治勢力と連立内閣公明党は少し難色を示したために、「国と郷土を愛する態度」と教育基本法の改正案は言い換えられていて、今後国会議論は、この文語に集中することが予想される。

 ともかく日本人に「愛国心」たるものを「強制」しなければならない「国家」とは、いったい何だろうか。よっぽど国家としてのニッポンに自信が無いのではなかろうか。

 ニッポンを愛する気持ちは、ニッポンが世界の中にあって素晴らしい国としての体裁、すなわち自然や郷土だけでなく文化、、思想、哲学、人間、政治などあらゆる分野で世界に誇れる実態があれば、とやかく言ったり教育として強制しなくても、国民の愛国心は自ずから高まるものである。

 「君が代」なる国歌と称される歌は「天皇の時代よ永遠に」との意と思い、メロディーも明るくなく元気が無いので好きではないし、「日の丸」は教育現場や行事式典等で起立、礼を強制されなければデザイン的にはシンプルで決して嫌いではない。

 教育基本法の改悪や憲法改悪への議論は、どうも本来の世界に誇れる「日本」の再構築を目指すというより、やはり戦前の日本を再び思い起こせと言った感じのムーブメントとしてしか映らない。

 真の独立国家としてのニッポンが、世界の中で名誉ある地位を獲得するには、21世紀の地球人としての「平和と豊かさ」への貢献なくして他国から尊敬されるニッポンにはなりえないのである。

 特にアジアの国々から尊敬され、リーダーシップを期待され、EUの様なアジア連合を目指したエリア外交と経済、文化交流を大切に、ボーダレスな地球人のアジアン仲間の信頼と協調を獲得したいものである。

 ドイツワールドカップに出場する日本選手たちも、グローバルな社会の一員として、地球人としてのフェアプレイで、世界一を目指してほしいものである。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする