「松風庵日記」 心はいつもお茶日和  

後半の人生の楽しみ方見つけましょう!

かまぐれ往来

2012年03月19日 | 日記
ここのところ、パソコンに向かう時間を最小限にして、
(ここに来るのは最小限の一部ですが)
浮いた時間を二つのことにあてています。

一つは「灰形」修行に。
一つは読書に。
いったんパソコンの前に坐ると、あれもこれもと始まり、
二時間ぐらいはあっという間に経ってしまうので、
かなりのことができると分かりました。


お稽古はお休みでどなたも来ない。
出かける予定も入っていない。
こんな日の午前中はもう宝物のような時間です。
ちょっと前まではパソコンに向かうことが多かったのに、
最近は洗濯物を干す間ももどかしく、
ベランダからの光が嬉しいリビングのソファーに、ゆったり座って本を手に取ります。


「かまぐれ往来」
今読んでいる本です。
焼き物界の巨人が語る、豪快、痛快、かつ爽快な自伝・・・

やはりあのような作品を生み出す人は違う!
そう思いながら読み進めています。

心に響いたくだりの言葉をちょっと紹介します。

「自殺未遂の後、ぼくはかまさのことを思い出した。
自分も一生下手なものを作り続けよう、そう思ったら生きる勇気がわいてきた。
上手はニセモノ、上手は欺瞞。
この年齢に至って、ますますそれはよく分かってきた。
人間は生まれながらに愚かなものだ。ただ自分の愚かさを知った時だけ救われる。
かまさから習った、つたないものの中に潜む力が僕を救ってくれたのだ。」

そして最後のページの言葉。
「僕がどうやら救われたなあと思ったのは、七十才を過ぎてからだった。
年を取って行くにつれて完成に近づいていくというか、
自分が充実してくる幸福感がある。
人間は早く死んではいけない・・・・」

私も早く死なずにそんな「幸福感」の片りんでも味わえたらいいなあと思いました。
もちろん今でも十分に、お茶をやって過ごせるという違う幸福感はかんじていますが。

さてパソコンの楽しみははこのくらいにして、次の楽しいことに移りますね。