2004年6月にフランスを旅行したときの思い出。
南仏アルルで、計らずも闘牛を見ることになってしまった。この地方の闘牛は、牛の頭についているリボンをとるだけで、牛の命を奪う競技ではないと聞いていたから、安心して同行者2人についていった。
会場のコロッセウムに最初に姿を現したのは芦毛のアンダルシアン2頭で、馬術ショーを披露。その後に大きな栗毛のブルトン(だと思う)2頭が荷物運搬の姿で登場した。「馬だ馬だ」と喜んでシャッターを切っていたが、馬たちが退場していよいよ黒牛と、そして剣を持った闘牛士が表われた。「しまった!」と思った。その闘牛は、スペインから興行にやってきた催しだったのである。
つぶらな眼をした可哀想な牛が闘牛士の剣に倒れると、あの栗毛のブルトン2頭が、息絶えた牛をずるずると引いていったのだった。何も知らないで仕事をする馬たちを見ていて、随分残酷なように思えた。その後も、数回の闘牛ショーが行なわれることになっていたが、私は連れの2人を残して、さっさかコロッセウムを後にした。
私にはとうてい理解できないものだが、ピカソも闘牛の絵を随分描いているように、スペインでは一つの文化。スペイン民謡の「ドナドナ」や絵本「花の好きな牛」(岩波書店)も、牛の哀歓を描いたものだった。
牛を引いていくブルトンもまた、フランスでは「肉用馬」として生産される品種であることを思うと、なんとも切ない。
南仏アルルで、計らずも闘牛を見ることになってしまった。この地方の闘牛は、牛の頭についているリボンをとるだけで、牛の命を奪う競技ではないと聞いていたから、安心して同行者2人についていった。
会場のコロッセウムに最初に姿を現したのは芦毛のアンダルシアン2頭で、馬術ショーを披露。その後に大きな栗毛のブルトン(だと思う)2頭が荷物運搬の姿で登場した。「馬だ馬だ」と喜んでシャッターを切っていたが、馬たちが退場していよいよ黒牛と、そして剣を持った闘牛士が表われた。「しまった!」と思った。その闘牛は、スペインから興行にやってきた催しだったのである。
つぶらな眼をした可哀想な牛が闘牛士の剣に倒れると、あの栗毛のブルトン2頭が、息絶えた牛をずるずると引いていったのだった。何も知らないで仕事をする馬たちを見ていて、随分残酷なように思えた。その後も、数回の闘牛ショーが行なわれることになっていたが、私は連れの2人を残して、さっさかコロッセウムを後にした。
私にはとうてい理解できないものだが、ピカソも闘牛の絵を随分描いているように、スペインでは一つの文化。スペイン民謡の「ドナドナ」や絵本「花の好きな牛」(岩波書店)も、牛の哀歓を描いたものだった。
牛を引いていくブルトンもまた、フランスでは「肉用馬」として生産される品種であることを思うと、なんとも切ない。