小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

友人の死から学ぶ

2007-11-23 23:35:33 | ニューヨーク暮らしの日々

金井佐枝子さん

 佐枝子さんは1965年、私がニューヨークで住み始めた翌年、知り
合いの弁護士から頼まれて私のアパートに移り住んだ生まれてはじ
めての同居人である。人畜無害、空気のような気にならない人柄。
 ある日長椅子に横になる彼女は 「胸が痛い!」という。驚く私に
「恋って胸が痛くなるんだねえー」とぼやいた。
「胸が痛くなるような片思いは,殆ど
失恋するよ」と脅かした。
「そーか!それじゃやめた!」と立ち上がった。
 一年の後帰国の途中スイスで日本の好青年に出会い結婚した。

 数年後日本に帰国の際、二人の子供の母親になった佐枝子さんを
訪ねた。ポニーテールに金の腕輪とネックレスをていた4歳の長男は
私と会うなり「オメーはヘンな顔してンナー!」とドスをきかせていった。
4歳の子がどうしてヘンな顔が分かるのだろう!
「オメーこそヘンな顔してるじゃねーか!」というと「なんだとォー!」
とドスの抜けた声で言った。その頃ベランメーが流行っていたらしい。
 十数年が過ぎ佐枝子さんは私の企画していた“ニューイングランド
の暮らしの文化を訪ねる旅”に参加し日本からやってきた。その時は
肺気腫のやまいが進行しつつあり、できる限りゆっくり一緒に歩き楽
しい10日間をともにした。その時から既に15年の月日がたった。

 今年の10月14日、佐枝子さんの夫からの電話で佐枝子さんの死
を知らせられた。11月4日上野の文化会館で彼たちの結婚の仲人
であった大賀典雄さんの指揮で、ヴェルディのレクイエ
ムが演奏され
るので二人の息子と同席しないかとのお誘いであった。
 ちょうど日本に帰国する予定だったので何か運命的なものを感じた。

 日本に帰り、佐枝子さんに捧げられた演奏会、レクイエムを家族と
もに聞く事が出来た。演奏の後、家に招かれ、食事を共にし、本郷の
結婚式を挙げた教会での追悼式のヴィデオを見せていただいた。

 「佐枝子は愚痴る事もなく、最善を尽くし、病気と闘った日々でした。
明日からは、佐枝子が築いてくれた素晴らしい家庭・家族と共に、
佐枝子が喜んでくれるような人生を歩みたいと思います。」
と語る佐枝子さんの夫の弔辞に感動させられた。

 
また同級生の読み上げた弔辞で
「~最後に、佐枝子ちゃんにサヨナラは云えません。いつもの佐枝子
ちゃんとの挨拶です。佐枝子ちゃん、元気でね。風邪を引かないよう
にネ、またね」・・・

 夫から家族から、友人たちからも愛された佐枝子さんの死は私たち
の心の中にきらきら光る水玉の様に大切にしまわれていくことだろう。
 佐枝子さん、どこかでまた逢う日までさようなら。   


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