ゆうちゃんの世界へようこそ!

旅好きなゆうちゃんです。旅は脳の活性化と健康増進です。歩くは食べるはどなんしよう。永遠の青春を求めていくのが旅かな。

甘苦さのコーヒーの味

2010-09-12 13:43:39 | Weblog
「うん?コーヒーの薫りが漂ってないなあ。おかしい。」おもむろにキッチンへ向かう。「おい、今日はなんでめしなんだ。」「昨夜のおかずが残りすぎているの。私だけで一日中食べたくないの。」「おい、昨日の朝もそうだろう。みそ汁の後にコーヒーは飲みたくねえ。もうよか。」と妻にあたる。
 私の若い頃の朝の目覚めはまずコーヒーからと言っても過言でない。柔らかいほのかな甘いコーヒーの薫りが風と共に私の鼻先にただよって、朝の目覚めを脳にインプットしてくれる。妻が豆から挽いてドリップしてくれる姿が目に浮かぶ。私の朝食はパン派なのでコーヒーは欠かせない。コーヒーの薫りが部屋中に充満しくつろぎを与えてくれるのもコーヒーの魅力であろう。一杯のコーヒーから頭脳もリフレッシュして、「よし!今日も仕事をばりばりやるぞ。」と気持ちを奮い立たせてくれた。とりわけ仕事のミスで心が荒んでいる時に飲むコーヒーは気持ちを温かくさせ心を癒してくれる。私が「今日のコーヒーはとてもおいしいよ。」と言うと妻から素敵な若い笑顔が返ってきてなんとも言えないすがすがしさが朝の空気に流れる。お互いに会話もはずみほっとした安らぎのタイムとなる。ブレックファーストにコーヒーを味わいながら二人で交わす会話がお互いの愛情を深めた。コーヒーの薫りと飲む間がオアシスとなった。「新しいカフェができているから行ってみようか。」とか「洒落たパン屋が開店したよ。」などお互いのスケジュールを決めた二十代がいまでは懐かしい。歳と共にコーヒーの味わいも変化する。今は私が妻のために朝のコーヒーを挽くのは当たり前となった。妻から「今日のコーヒーはとてもおいしい。」と言ってくれることはない。ただ無言で飲む朝の空気が年月を物語っている。このことを悲しんでいいのか喜んでいいのか分からないが、自分で配合する微妙な量と水加減などを考え、部屋中に充満するほのかな薫りを嗅ぎながら悦に入るのも粋で楽しい。舌が至福のコーヒーの味を求めている気がする。
 いつもと変わらぬ朝の景色の中に、コーヒーから湯気がほわっとたちのぼり、醸し出す甘美な薫りがリビングにひろがる。私はおもむろにカップを手に持ち唇へ運ぶ。その一瞬は時を止めコーヒーの世界に入る。まさしくコーヒーと一体となりこの上ない喜びを味う。
 コーヒーはTP0によって味わいも変わる。昨夜の妻との修羅場と化した喧嘩もコーヒーが気持ちに余裕を与え、なにかと気を遣う気まずさを救ってくれる。コーヒーの薫りがただよう中で二人のしらけた間をもたせ、「さあて、今日はどこかに行こうか。」と口にしている不思議さである。お互い頭に白いものが目に付き、コーヒーもブラックでなくミルクコーヒーが似合うのかもしれない。豆自体の苦さでなくほろ苦さやまろやかさも豆同様人生には必要かもしれない。 完           
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雑感9-12

2010-09-12 13:42:31 | Weblog
7時ごろ起床。天気は曇りだが雨が降りそうだ。朝食は豆乳と牛乳を飲む。豆腐饅頭とグレイプフルーツ入りヨーグルトを食べる。9時半ごろ自宅を出た。歩いて図書館へ行った。予約していた本を受け取った。電車に乗りヤマダ電機まで行った。10時半に着いた。電球の傘を検討したが蛍光灯電球だけ買った。電車に乗りアーケードの近くで降りた。ダイエーで買い物をした。出る寸前に大雨になり雨宿りをした。店頭に下着の処分品が出ていた。安かったのでつい買ってしまった。小降りになったのでアーケードの旬屋とS東美で野菜などを買って帰った。雨は止んだ。すぐに風呂に入った。靴は先日洗ったばかりなのにまたもびしょびしょになった。昼食をとり昼寝をした。本を読んだ。池宮彰一郎の「高杉晋作」の上巻だ。28歳でこの世を去った。龍馬よりすごいかもしれない。歴史小説だ。「孤高のメス」の第4巻も一気に読み終えた。この本は第6巻まである。午後からは2冊読み終えた。遠藤周作の「最後の花時計」は途中まで読んだ。目がほとほと疲れた。夕食を手伝った。夕食後に風呂に入った。
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