天王寺に来たので小打ち合わせを『明治屋』でさせてもらう。ここは大阪が誇る銘酒屋だ。長年にわたって大人たちが酒を呑み、折り重ねるように作り上げて来た空気感、こいつは昨日や今日の店に真似できるものではない。壁や天井に長年の客の喜びや嘆きが滲み込んでいる。
ここに連れてってくれたのは亡師で、映画批評や俳句に健筆をふるった滝沢一である。談論風発というほどこちらの知恵は追いつかなかったが、グレアムグリーンや伊丹万作、満映の話などへと転じて、「是非書くべきやないですか」という我々に「いやぁもう体が持たんわ」と自嘲気味に嗤ってらした。ろくでもない末席の弟子なので師匠に習ったことといえば、酒場と酒の呑み方ぐらいである。
ここで初めて知った松竹海老という兵庫の酒を、銅製のちろりという燗つけの旧式マシンに注ぐ。中には火が入っていて、管をめぐる間に燗がつくという按配。下の蛇口をひねれば一合徳利にピタッと入る。今どきこんな機械おまへんで。ふんわりとした口当たりの優しい酒で、女性的なイメージのほろほろと酔わせてくれる酒だ。
つまみが多いのが嬉しい。秋から春にかけては定番の湯豆腐。天六には「上川屋」の湯豆腐もござるが、酒飲みにはここのちょいと濃い目の出汁が有難い。自家製、一芳亭風の焼売を芥子醤油で。敷いてある僅かなキャベツがまたおつな合いの手になる。この日は大阪の初夏の定番、かますごなんぞを頼んでみる。カマスの子ではなく、イカナゴの成長した姿だ。まずこれは東京では見ない。こういう婆さんの食卓に載ってたオールドファッションな肴がいい。
話し声に混じって、ときどき外を行き過ぎるちんちん電車の音がする。訳もわからず有線でジャズを流す店などとは心構えがちがう。さんざめきが最高のBGMだ。周辺は急速に再開発の波が押し寄せる。しもた屋が全部破壊され高層ビルに押し込まれてゆく。しかし明治屋は永遠なる哉。酒飲みの心に再開発などあるもんか。
おとなしく呑んでる分には常連だろうが初回だろうが、分け隔てしないのがいいところ。
ぼちぼち呑めなくなっただの、あちこち傷んでいるだの、ちょっと滅入ることもあるけど、我々の未来の姿だ。
明治屋!おっしゃるとおり大阪が誇る名居酒屋ですよね。古くて静謐で、下町に残るなにわの粋、という感じがします。
アテもうまいし、酒もうまい。さりげなく何種類かの銘酒も置いてあるし。
あんな居酒屋に似合うジジイになりたい。
そんな酒飲みの心を知らず、でかい声で喋ってる若いのを目撃することもあり、つまみ出したくなります。
携帯電話は出ていかせました。
酒場で癇癪持ちのオジンになりそうです。