3月7日以前の十三ションベン横丁。
正確には一本東側の線路沿いの路地こそがそれで、ここは中筋通り。
だが十三好きは、ここもひっくるめてションベン横丁と呼ぶ。
3月7日はまだ寒かった。
朝6時ごろの出火により、11時間も燃え続け、36軒が灰になった。
ションベン横丁のある阪急電車「十三」西口は80日余りを経て、6月1日ようやく開通となった。
それに先んじて、飲食店は復興を待たず、仮店舗で営業を再開していた。
中筋通りの入口にあった居酒屋「十三屋」。
昼間から飲める、安くて美味い十三のランドマークだった。
それが東口の路地裏で4月末に再開した。喜ばしい。
成田一徹さんの切り絵のような、雨上がりのせまい路地。
十三というのは不思議な街だ。
梅田からひと駅だが、淀川を挟んだ飛び地の繁華街で、どことなくペーソス漂う街。
高度成長期、大阪湾を臨む臨海工業地帯がもくもくと黒煙を上げ、
神崎川はドブドロになりながらも、経営者はキタ新地へ。
工員さんたちはこぞって十三のキャバレーやクラブに遊び、英気を養った。
「がんこ寿司」なども、十三で生まれ、その時代の空気を吸っている。
もちろん、ションベン横丁は良い時代も悪い時代も目撃してきた。
そんな空気の中で飲むのは、十三そのものを味わうことで、痛快この上ない。
ミンチカツは十三屋の定番。
今までの敷地の半分、いや、三分の一になったかもしれぬが、
十三とは切っても切れない間柄。
まだ、中筋通りがきれいに整備され戻って来れるまで、1年やそこらはかかるだろう。
それまで、どうぞこちらをご贔屓に、と言いたい。
帰りには、ホルモン「まる武」へ。
ビニシーの通りに面した、鉄板の前が特等席だ。
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