京都の中華料理については、姜尚美さんの力作「京都の中華」(幻冬舎文庫)に詳しいが、
さかのぼると、大正13年創業の「支那料理ハマムラ」に始まるという。
港があり、居留地のあった神戸や大阪に比べて、京都は雑居地となるのが遅れたそうな。
関西人にはおなじみのマーク。宣伝のため一般公募、たしか立命館の学生の作。
このハマムラで料理長を務めた王華吉という方が、「飛雲」、「第一楼」を経て「鳳舞」という店を持った。
この「鳳舞」系と、祇園の路地奥にある「盛京亭」系の二つの流れがある京都中華。
瀟洒な「鳳舞」の建物。中華料理店に見えない。
鯉が泳ぐ池のある庭園のある個人店が2009年まであった。
ここから多くの店が独立しているが、もっともよく特長を残す一軒が、
河原町二条にある「鳳泉」。
王さんの下、42年もの間、鳳舞で厨房を務めたのが、ここのご主人。
我ら鳳舞に間に合わなかったので、ここからしか偲ぶことが出来ないが、
まず油の匂いがしない。 掃除が行き届いている。 床や壁、メニューなどのべたつきが無い。
本格的な夜の時分どきには早いので、のんびりやらせてもらうことに。
となりには常連らしき高齢のご婦人がラーメンなぞ食べてらっしゃる。 いいな。
まずは紹興酒を常温でもらう。
ピータンなぞ、もらうことにした。
何の変哲もない、化粧っ気のないのがよござんす。
さて、と、何をもらおうか。
来訪の目的は、からしそばと決まっている。
あとは当てずっぽうだが、焼売なんぞを。
後で知ったのは、このメニューの書き方も鳳舞ゆずり。
品数を絞り込み、盛り付けがシンプルなのも鳳舞ゆずりだそう。
それに驚いたのは、厨房が静かなこと。
我らが知る中華の厨房は中華鍋にお玉の音がカンカンして、炎はボーボー、
その間に中国語の破裂音が飛び交うというもの。
その騒がしさが一切感じない。
どうも、その辺もまた、京都の中華の特長のようだ。
焼売が来た。
この不揃いなところも、手造り感満載。
あとで知ったが、これもここの看板メニューなんだって。
クワイのカリッとした食感が心地よい。
酢醤油に溶き芥子を加えて、あっさりとした持ち味。
6時過ぎなのに、後から来た客には「もう売り切れてしまって…」と弁解している。
まだ夜はこれからなのに、品切れは早過ぎるんぢゃないの?
胸騒ぎがして、早めの注文をした。
「からしそばありますか?」
と問うと、「あります。ローメン一丁」と通した。
暫くして、持ってきたのがこれ。
「エビカシワそばです」
と言われ、間違いかと思い、
「え?カラシそばを頼んだんだけど」
というと、若いホール係、不安になったのか聞きに戻った。
そして「これがカラシそばです」
こっちが物知らずだった、と赤面。
イメージではもっと芥子色を想像してた。
しかし食べるとほんのりと和芥子の風味が立ち昇って来る。
辛味はあくまでも抑えめ。
もっとツンと来るのかと思ってた。
手元で芥子を増量した。
あっさりしてるが、鶏・海老は多くて食べ応えあり、
途中で酢や醤油を足したり、好みで塩梅を替えるのもいいだろう。
花街で着物に匂いが移ることはご法度として、ニンニクニラ、ラードなどは不使用。
芸者衆が一口で食べられるようにしたり、あっさり食べられるように
タケノコを多用したり、鶏ガラスープに利尻昆布を足してベースとした。
花街のおかあさんたちにうるさく叱られたと「一之船入」や「斎華」からも聞いたことがある。
独自の進化を遂げている京都中華。 頑固なまでに残っているのもこれまたおもしろい。
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