in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

飛行機三昧

2010年02月20日 | United States
19日金曜の夕方5時前に事務所を後にし、夜8時過ぎの飛行機に乗った。ドバイ経由で、ニュー・ヨークのJFK空港に到着。計20時間ぐらい乗っていたが時差の関係で現地はまだ土曜の朝7時すぎ。

ちょっと外に出てみたが、駐車場や広場には雪が積もっていて、ここは冬だったことを思い出す。これからドミニカ共和国経由でハイチ入り。スリランカからは、めちゃくちゃ遠い。

持っていくものリスト/What to Bring

2010年02月17日 | Weblog
本部から送られてきた資料の中に現地(ハイチ)に持参すべき物リストがあった。

- shower flip flaps shoes (シャワー時使用のスリッパ)
- insect repellent (虫除けスプレー)
- sunblock (日焼け止め)
- packs of cleaning-wipes (ティッシュペーパー)
- a sleeping bag  (寝袋)
- a laptop  (ラップトップ・コンピューター)
- small maglite ( + batteries)  (懐中電灯+電池)
- filtration masks  (防塵マスク)
- rubber gloves  (ゴム手袋)
- thick soled work style boots (厚底作業用ブーツ)
- a multi-knife/tool (万能ナイフ)
- the ID Card  (身分証明書)
- ear plugs (to keep away from the noise) (耳栓)

まさにアウトドア用品ばかり。スリランカではなかなか手に入りにくいものもある。前向きに、キャンプに行く気分で用意を始める。現地では何が食べられるんやろう。キャンプには、やはりカレー?

驕るべからず

2010年02月16日 | Weblog
毎週通っている職場と自宅の間にある国立高校付属のプール。警備の人らとは、すっかり顔馴染みで、会員証を見せなくても素通りできる。体力づくりというよりも、気分転換と悪い右脚の調整で通っている。ここのプールを使い始めて、もうかれこれ4年半。

更衣室の入り口でロッカーの鍵をもらって、着替えや貴重品をそこにしまう。たいてい営業終了30分前に滑り込むので、あまり時間がない。しかし、いつも担当者R君が空いているロッカーの鍵を探すのにモタモタするのでイライラする。きちんと事前に机に並べておいたらと思うのだが、毎回私の顔を見てから、鍵の入った箱の中を探る。

今日は、いつものR君がいないので、代わりの女性がさっと鍵をつまんで素早く渡してくれる。Rも見習えよな、と思いながらロッカーの前に来て気がついた。このプールのロッカーは、縦横各40センチぐらいのが上下に5段並んでいる。左右には10列ほど。今日あたったのは、一番下のしゃがまないといけない使いにくいロッカー。考えたこともなかったが、いつも胸の高さにある使いやすいロッカーばかりを使っていた。そう、R君が毎回気を利かせてくれていたのだ。

彼の気配りに気づかず、文句ばかりを考えていた自分の奢りを反省した。今度会ったらお礼を言おう。



Not Ice But Eyes

2010年02月13日 | Weblog
旅行のメンバーで、ゴールのポルトガル(のちにオランダ)植民地時代につくられた城壁内の町を見学しに行く。朝焼けがきれいだった分、日中の天気が崩れたので、雨宿りがてらお茶をする。同じくゴールに来ていた同僚Sも合流して、皆でココナッツ・ジュースを頼む。観光地らしく、ココナツの実がネズミのように(写真左)カットされた形で出された。個人的には、ツインビーにみえて仕方がない。

同僚Sは冷たいのがいいと注文したので、普通のグラスに入って出てきた。しかし、実の中に氷を入れて欲しかったらしく、敢えて取り替えてもらうようにお願いする。それは難しいと躊躇するウェイターに頼み込んで、出てきたのがこれ(写真右奥)。New versionだと喜んで手にするSだが、飲んでみると肝心の中身が冷たくない。そこで、文句を言いかけて、他のメンバーがふと気づく。氷(ice)と目(両方でeyes)を勘違いしたのではないかと。

で、一同大笑いいたしました。それなら、ウェイターが躊躇した理由も、頑張って客の期待に応えようとしたその姿勢も、とても好感が持てる。まあ、客のリクエストは満たされてないが、彼らなりに努力したことは確か。ちなみに、こういう勘違いは、職場でもたまにある。仕事だと笑えないが、旅行中だと許せてしまう。

思い出づくりの旅

2010年02月13日 | Weblog
仲の良い援助関係者の友人Mさんがスリランカを去るというので、1ヶ月前から企画してUnawatuna近くのゲスト・ハウスで日本人6人で週末を過ごす。前回は、もっとゆっくり過ごしかったことを思い出し、今回は金曜夕方から出発。現地への到着は遅くなってしまったが、土曜の朝に波打ち際で目を覚ますというのは、なかなかよい。この日は朝焼けがめちゃめちゃきれいやなあ(写真)と思っていたら、午後から天気が崩れて雨となった。

Mさんの送別会をメインに企画した旅行だったが、ハイチ大地震から1ヶ月後、この旅行の出発日に来週からのハイチ出張(とりあえず3週間)を命じられた自分にとっては、他のメンバーにもゆっくりさよならできる時間となった。

旅行中は寝食を共にしながらお互いの意外な一面が見られてとても面白かった。さらに仲良くなったところで、別れるのは非常に辛いことではあるが、お互い元気でいる限りいつかどこかで再会できる。

そうは問屋が卸さない

2010年02月12日 | 学校建設
昨夏解決したはずの学校建築をめぐる違約金の話は、開校式を昨年9月に華々しく迎えたものの、最終清算を迎えた同年10月頃から泥沼化してきた。こちらの対応は法律的に正しいとしばらく様子を見ていたものの、一向に業者が条件を受け入れる様子もない。多くの援助機関が数年で現地を去ることを彼ら業者は経験済みでその時期までゴネ続けるつもりか、訴訟(lawsuit)に向けてしたたかに準備をしているのか、その動向が読めない。

うちの事務方の責任者と相談し、このまま長引いて訴えられると、その対応がかなり大変になるので、他の有識者(建築技術者と弁護士の両資格を持つ)の方々にご助言を請う。日本だと建築紛争支援センターなるものが各自治体にあることが多いが、スリランカではそんな機関はない。例えあっても誰と誰がつながっていて、こちらの手のうちを知られては、さらに状況が悪化する。慎重に伝を頼って、相談者を選ぶ。

弁護士2人目>
 その業者とうちの機関の不手際を両方並べ、これ以上長引く場合は早めに調停(Arbitration)に持っていき丸く治めたほうがよい。

弁護士3人目>
 うちの機関の選択は工事契約書に適っており、これ以上業者がごねてもほおっておけばよい。

と、昨年の1人目の弁護士の意見をあわせると、まあこちらに分がある。これからGeneva本部の法務部(Legal Department)と最終調整をして、早期解決をめざす。

仕事の区切り

2010年02月11日 | Weblog
今日も一日仕事したなーと思い始めるスリランカの夜7時に、ハイチ事務所は朝8時半の始業時刻が始まる。

で、その日自分が書いたメールへの返事が届き始めるので、それはですねとやり取りしているとすっかり夜が更けてしまう。どこかで線を引かないと、「24時間働けますか」の世界になる。まるで為替のディーラーみたいだ。

報告書完成

2010年02月10日 | Weblog
昨年5月開始の日本政府支援の救援支援物資事業の最終報告書がようやく完成した。配布自体は昨年のうちに終了したのだが、報告書の原稿準備、リポート・オフィサーの添削、さらにジュネーブ本部の駄目だしと手が加えられ、元の文章は跡形もなく、流れるような文章でまとめられた。やはりプロはすごい。

今回の報告書は英語だけでなく、日本語での提出も求められた。あれだけ親しみ慣れていたはずの日本語なのに、きちんとした表現が出てこないことに苦しむ。くだけた表現ばかりで、嫌になる。なんとか格闘しつつ、東京事務所の方々にも助けられながら、ようやく完成。来週には、うちの本部社長が来日するということで、社長より日本政府にこの報告書が手渡しされることとなった。間に合ってよかったー。

今だから書くが、この授与式の時は、実は交通事故にあった直後で肋骨にひびが入ってた。Vavuniyaの病院で見てもらったんやけど、そのときはわからんかったみたい。国内外の広報および報告書用に日本人職員の写真が欲しいと言われたら、やはり断りきれない(当時は、自分ひとりしかいなかった)。えらい難儀して、コロンボに戻った後、1ヶ月ほど痛みと戦った。仕事が立込んでたので休みが思うように取れんかったんやけど、よう耐えたなあと、今だからいえる。やはり体が資本。

本事業の途中では、噂の「事業仕分け」の影響か、ものすごく詳細な配布状況の要求が日本政府から届いたこともあった。物資は寄贈して頂いたが、実際に配布するのに結構なお金と労力が他の予算からひねり出す必要があったことなど、いろいろ勉強になった。

やられる前にやる

2010年02月09日 | Weblog
先の大統領選挙にて野党統一候補だったフォンセカ氏が昨晩逮捕された。その理由はいろいろと挙げられているが、結局のところ大統領陣営が彼の存在を恐れたのだろう。

それは、選挙結果発表前にフォンセカ氏が宿泊していたホテルが政府軍に包囲されたことや、現職大統領が再選を果たした後に陸軍の幹部(=フォンセカ氏の元部下)が軒並み退陣させられたことなどを見ても明らかで、彼の身柄拘束は時間の問題かと考えられていた。しかし、実際に起こってみると、それが現実となったことを非常に悲しく思う。要は、この国では権力があれば何でもアリなのだ。

在タイ国日本大使館

2010年02月07日 | Architecture
トランジットで立ち寄ったバンコクで在タイ国日本大使館を見かける(写真)。落ち着いた渋いデザインに洗練されたイメージを受ける(内観や使い勝手はわからないが)。一種の荘厳さを感じるとまでいうと書き過ぎかもしれないが、とても日本らしさを感じた。

帰宅して調べて見ると日本の(株)久米設計の設計とわかりしごく納得。ちなみに、在スリランカ日本大使公邸も設計されている。