勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

伯父の1周忌

2011-07-04 21:57:07 | Weblog
今日は天気予報では雨とのことだったが、午前中は曇ったので草刈りや農作業をした。

昨日は伯父の1周忌が営まれた。伯父の屋敷は勝福寺から車で3分ほどの所にあるので、何かとお世話になったことも多く思い出も多い。とても面倒見が良くて慈愛深く、Gikoohから見る伯父は偉大だった。父は伯父と14歳も歳の差があるが、高齢出産で生まれた父はよく「兄が大学にまで進学させてくれた。養ってくれた」と事あるごとに感謝をしていた。他にもエピソードは沢山あるが、誇らしい伯父だった。

ところでGikoohが12年前に勝福寺へ入山した時、山門の石段はコンクリートで舗装されて車で境内まで上がるようになっていた。当時、勝福寺には駐車場がないこととその他の事情で致し方なかったのかも知れないが、決して良い環境とは言えなった。ところが、林鶴山さんが来山された後に様々な所縁が重なり、駐車場が整備された。勝福寺は小さな山寺ながら景観に恵まれているからこのコンクリートを取り除いて石段を元の姿に戻そうということになった。

林さんは土木工事も得意とされていたので、林さんの指導のもと、Gikooh、父、寺の総代、そして伯父の5人で2日間掛けて修復をした。現在の石段がそうだ。伯父達と階段を直したことは特に思い出深い。

伯父は都率浄土で、先に旅だった父や他の兄弟、両親や諸々の面々と安らかに過ごしていると思う。

写真は1周忌の本尊、勢至菩薩だ。
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心の師 林鶴山さん(1)

2011-07-02 23:19:35 | Weblog
午前中に檀務で出掛けた他は如常の1日。Gikoohの心の師、林鶴山さんのことを書きたいと思いながら、日にちばかりが過ぎてゆくけれど今回は1つ紹介したい。

林さんは自然界を深く愛されている。自宅兼工房には林さん自ら手掛けられた茶庭がある。苔むした盛山に見事に配置された樹木と山野草の数々、その合間をせせらぐ小川、遊びにやってくる多くの小鳥達、そこは倉敷の街中とは思えないほど静寂で風情を感じる不思議な空間だ。

林さん宅の茶庭には四季を通して色とりどりの花が咲き、その花をいつも部屋に活けて楽しまれている。林さんは常々「部屋に花を活けること、お茶を飲むこと」を勧める。その理由は浅いようで深く、自然から感化される心の在り方を説かれている。花を眺めながらお茶を飲んでいたら心は自然と感化される。それに加えお香や、掛け軸、空間を飾る道具類も加わってくるのだが、その話はまたの機会にしたい。

Gikoohも言われるままに庭の花を摘んでは家中の花瓶に挿している。勝福寺に来山される多くの方がご覧になられていると思うけれど、派手な装いではない。大きな花瓶を用いることもあるけれど、平素は小さな一輪挿しに質素に活けていることが多い。

部屋に少しでも生花があると、部屋の空気は一変する。花を活ける習慣がなければ当初はそれが分からないかも知れない。しかし、1年、2年と続けていくと明らかに自分の心の変化に気づくと思う。例えば色々な問題に遭遇した場合でも、どうしてか柔軟に対処出来るようになっている。誰かの話を聞くことは問題解決の糸口になることが少なくないから大切なのだけれど、自然の姿は素直に率直に色々なことを教えてくれる。

勝福寺のような寺院は様々な環境下におられる人達が来山されるが、花の存在は大きいようである。Gikoohが相談者だったならば、花もない、香の香りもない、という空間であれば心は閉ざしたままかも知れない。これは個人的な考えだから誤解をしないでほしいが、Gikoohはお寺はお接待をする場所だと思っている。歳を重ねて社会全体の構造が見える度にそう思う。

さて、写真は7月1日から境内で咲き始めている沙羅双樹。境内に咲く姿もよし、一枝を手折って部屋に挿している姿も何ともいえない清浄な花だ。
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