勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

彼岸の入り

2009-03-17 21:31:04 | Weblog
今日17日(火)から23日(月)までは春のお彼岸。朝からお墓の竹製の花筒を替えるため、裏山の竹を2~3本切って30本近くこしらえた。

今日は来客も多く、その合間に掃除を中心として多くの雑用をした。
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農作業

2009-03-16 22:03:13 | Weblog
今日は久々にまとまった時間が出来たので、3月に入ってからずっと気になっていた農作業に没頭した。

朝8時半~昼2時過ぎまで、思う存分身体を動かした。冬の間に大きくなった大量の草を取り、耕運機で耕してから肥料を入れ、また耕運機で耕した。胃腸の弱い人がどんなに肉や魚を食べても血肉にならないように、畑も適度に肥えていないと野菜が大きく育たないので、土作りは大切な作業となる。人間ならば、まず胃腸か。そして殆どの野菜が連作を嫌うから、3区画から4区画に仕切って、同じ野菜は次年に同じ場所にならないようにする。

昼前には鶏小屋も掃除をし、鶏糞を土に入れ込んでまた耕した。こんな作業を繰り返して、土をさらさらにしていくのだけど、結構な重労働となる。でも、一度植えてしまえば新鮮な野菜が収穫出来るので欠かすことは出来ない。

昼食後は、御茶屋へ行った。およそ1週間に1回、100gずつ買っている。その後ガソリンスタンドに行き、車のタイヤを冬用から夏用に履き替えた。

夕方、保育園から帰った子供達が見守る中、再び農作業。近々にじゃが芋を植えるので、うねを作った。肥料を入れた直後は少しでも土を馴染ませた方が良いので、次の作業は数日後になると思う。
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よもやま話

2009-03-15 22:41:22 | Weblog
昨日3月14日は、師僧で父の3回忌の命日だった。位牌が祭られている倉敷・安楽院では、檀家を招いて先代住職を偲ぶ会が開かれた。8日には、結集寺院と親族で法要が営まれて今回は偲ぶ会。参列者とおかんきをお勤めしてから、墓参に行き、その後Gikoohが法話をさせて頂いた。前日まで法話の内容を色々と考えていたのだけど、いざ壇上に上がると緊張は殆どしていないのだけど、情が溢れ頭の中が真っ白になった。
Gikoohが高校のとき、宗教科の先生から「医者はわが子を手術することが出来ない」と聞いたことがある。それは、感情が入ってしまうと冷静さを失うからとのことだった。それを、今回身をもって体験してしまった。人のことなら冷静に喋れても、親のことになると感情が溢れ出てしまう。親のことを喋るには、3年という期間はまだ心の傷が癒えていないらしい。でも、資料等を用意していたこともあり何とか無事に終えることが出来た。

今日は午前中法事があった。すーっと心が一点に集中して作法が出来た。これは自分の調子もさることながら、ご先祖が安心されて護りご本尊に導かれているからだと感じている。法事だけではなく、日々の供養を懇ろに行われているご先祖は拝みやすい。逆に法事はちゃんと行っても日々の供養は適当に扱われているご先祖は、拝んでいても結構違和感を感じることが多い。また、日々の供養は行っているが法事を行わないご先祖の場合、夏の棚行で僅かな時間でも仏前でお勤めをすると、何かしらGikoohに助けを求めているというか訴えようとする力のようなものを感じる。信仰は眼に見えない世界のことだから何とも言えないけど、家の人による日々の供養を基本とし、年回忌には菩提寺の住職に読経をしてもらうことの両方が極めて大切なのだと思う。

さて、久代地方には毎月「お講」と名のつく、それぞれの地区での寄り合いがある。お講はそれぞれの家を順に回って行く。昔は毎月20日の夜に、弘法大師の掛軸を祭って、皆でお勤めをして宗祖の御徳を偲び、その後お茶を飲みながら地区で起こる様々な議案や情報交換が行われていた。これは相当に古い伝統行事で、貴重で誇れる慣習だと思う。今では開催日時はそれぞれの地区の都合に合わせて行われている。

Gikooh一家は、23世帯からなる○○講の1件に入れて頂いており、今月は23ヶ月ぶりに順番が回ってきた。写真は、その祭壇だ。決して華燭な雰囲気ではなく質素だけど、しかし伝統を感じさせるとても好感の持てる祭壇だと思う。

今日は夜6時半前後に寄り集まって、お宮、お寺、会計係りの役員改選があり、伝達事項や情報交換などが行われた。そして「おかんき」という在家勤行次第をお勤めし、お大師様に報恩感謝の誠を捧げるのが主な事柄。その後、我が家の者がお茶とおかんきの実「パン3ヶ」×23をお出しし、お茶を飲んで解散。

近年は、隣の住人が誰か知らないという場合も少なくないが、こうして毎月近所の人が寄り集まるという習慣は、±を考えても良いことだと思う。政府や自治体は、固定資産税を徴収などのために、どんどん家を建てることを推奨して年寄りと若者を引き離し、過疎化に拍車をかけてきた。それが少なからず今日の結果を生み出し、他人との関係を煩わしいと思わせる環境を作らせてしまっている。

こんな田舎の伝統行事は、守り続けられるべき素晴らしいことだと思う。
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間寛平さんのアースマラソン

2009-03-13 22:34:37 | Weblog
如常の1日。時折来客はあるものの、静かで落ち着いた時間を過ごしている。

さて、日中は檀務等でパソコンの前に座ることはあまりないけれど、夜、子供達を風呂へ入れたあとの今の時間帯は日替わりを書いたり、ネットサーフィンをしていることが多い。そのお気に入りの一つが、間寛平さんの「アースマラソン」だ。寛平さんのヨットでの旅はスケールが壮大で凄い。http://www.earth-marathon.com/
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庫裡周辺の外溝工事始まる

2009-03-12 23:25:35 | Weblog
朝から、庫裡周辺の外溝工事が始まった。門や塀に関する工事で、4月末には完成する予定だ。

勝福寺は檀家寺で、全檀家のものだから、住職を務めるGikoohは常々周囲の意見に耳を傾けながら慎重に事を進めるよう心掛けている。いくら自分の意見が正しいとしても、我を通し理想ばかりを追ってしまうと無理が生じる結果となるので、そこは力量が試されるところでもある。いくら立派な構えのお寺でも、いくら立派な住職でも、周囲の評判が悪いようでは寂しいものがある。

門については、屋根がアールを描くようなモダンな造りになる予定だ。庫裡を設計された故・佐藤孝さんが残された概略図面を、総社市在住の素晴らしい設計力を持たれた設計士さんが引き継いで下さった。その設計士さんが、近年施工される中では非常に珍しいデザインと言われており完成が待ち遠しいところである。

近年、職をとわず「一部分」のことに関しては長けた人が増えるなか、伝統文化に関する関心は薄くなり、家があっても庭がないとか、庭はあっても庭に関心がないとか、特に本当の意味での美的な感覚に優れた人は稀になっている。勝福寺は、あらゆる文人にも対応出来るような環境と、環境保全を大切にしたいと思っている。
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沈香製の数珠

2009-03-11 22:13:03 | Weblog
今日はGikoohが高校時代からずっとお世話になっている先輩のお寺へ約5年ぶりに伺った。その間も何回かお会いしていたからか、懐かしいという感じよりも親近感が湧く不思議な気持になった。昨年の秋頃から、伺いたいと思いつつ遠方のため叶わなかったのだけど、先日のふとした会話で「3/11に御香屋さんが来山」とお聞きし、これを機に伺うことにした。

先輩のお寺は大変な名刹で、先輩のご尊父を始め、そこに集う僧侶、行者もまた頭脳明晰で素晴らしい方達が多い。Gikoohは例外である。そして今日の御香屋さんと接しながら、お寺に出入りされている他の商いの方達も、クオリティの高い商品を持ち込まれるような感じを受けた。良い業者と取引が出来ることは、仏縁的なこともあるかも知れないけれど、お寺にとっては有難い。

今回は御香屋さんの繰り広げる諸々の香や道具の優雅な雰囲気を存分に味わえた。巷ではまず眼に掛かれないような代物も拝見させて頂き、眼を肥やすことが出来た。例えば数珠…、石製とか木製など色々あったけど、香木で出来た沈香製の数珠には感動してしまった。原料となる香木の価格が高騰するなか、沈香とか伽羅の数珠は憧れの法具である。

朝7時に勝福寺を出発→9時半に先輩のお寺到着→11時半出発→14時勝福寺帰山。

15時からは、幼馴染の友人が仕事の合間に遊びに来てくれた。彼はこの春から仕事をしながら通信制の大学院へ進むのだという。小学時代から勉強がよく出来ていたけれど、専門分野の知識を更に広めたいというハングリー精神は素晴らしいと思った。

今日1日は、畑作業は出来なかったけれど先輩、友人に会えて好日となった。
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「日々是好日」の解釈

2009-03-10 22:26:17 | Weblog
如常の1日。午前中の寺務がひと段落したあと、仏壇に供える花を買いに出掛けた。一対500円~600円の予算で、およそ10日毎の割合で替えている。仏壇は庫裡の居間に置いてあるので、ご飯をつくる時、食事の時、団欒の時、横になる時も、常に仏様が身近におられることは安心感が大きい。仏壇を置くのに、本当は家のなかで静かで落ち着いた部屋に安置するのが良いのだが、勝福寺の場合は居間になった。とにもかくにも、仏壇に生花があり、線香の良い香りが部屋に立ち込める毎日は、素朴なことだけど幸せな気分になる。

幸せは、物質的なことで満たされるよりも心が豊かな方が良い。「日々是好日」という名言がある。これは1日の終わりに「今日1日を無事に過ごせたことに感謝する」ことと、昨日、Gikoohの恩人、林鶴山さんから教わった。もし、「今日は良いことが何もなかった。面白くない」と感じるその心は戒めるべきである。無難に日々を送れることこそ、好日なのであろう。

午後からは、来客があった。来週17日からは「彼岸の入り」になる。お彼岸の行事もさることながら、Gikoohはじゃが芋を植える準備をしなければならない。
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門札

2009-03-09 22:55:35 | Weblog
午前中は林鶴山さんのお宅を伺った。ほぼ2週間毎にお邪魔しては、貴重なひと時を過ごさせて頂いている。勝福寺では一昨年秋に庫裡が完成し、間もなく1年半になるのだが、このたび門札を2つ付けることになった。1つは「名前」、そしてもう1つは「○○庵」とかその家全体を象徴するような名称。それを林鶴山さんに名づけて頂こうと、以前にご無理をお願いしていたものが本日決定した。また、そのうち門札と共にご紹介しようと思う。

午後からは雑用に追われた1日となった。
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朝夕仏前に座るという習慣

2009-03-08 22:24:39 | Weblog
午前中は法事があった。先祖供養をしていると、ご当家のみならずGikooh自身も深い安堵感に包まれる。先祖供養や信仰心を持すことは「家の核」を育み、家を繁栄させる上においてとても大切なことだと思っている。

若い世代には、仕事や子育てに奮闘して生活が精一杯なことが多く信仰の世界まで気が回らないかも知れないけれど、人生は刻々と過ぎて行く。気力とか体力とかが弱まって来る晩年に、自身を取り巻く環境を如何に築いておくのか、非常に大切なことではなかろうか。

仏壇に手を合わせる祖父母の姿に子や孫は感化され、やがてその行為は伝承されて行く。神仏を敬い、先祖に感謝するという習慣は、日頃の物事の捉え方において良いほうへ波及することが多い。

(一概には言えず、投げやりにもなれないが)仏壇はあっても年寄りだけのものになっていたり、或いは見向きもしないようでは家族の情は次第に薄れ、それはやがて晩年の自分にそのまま降り注がれるということを知っておく必要がある。大事なのは将来を見据えた今をいかに生きるかということだと思う。

Gikoohの家族構成は夫婦と子供2人。我が家では、毎日欠かすことなく家族全員で仏壇の前にて「おかんき」を唱えている。1日の出来事を振り返り「始」「末」をちゃんとつけておくことは、夫婦にとっても子供達にとっても大切なことだと思っているから。

まずは、朝夕は仏前に座るという習慣をお勧めしたい。家に仏壇がない場合、携帯電話とかパソコン、車などに掛かる費用を抑えてでも、是非とも仏壇を家に設置されてはどうか。

とはいえ、人の生き方は千差万別。相談、問い合わせなどは、メールをどうぞ。
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父の法事

2009-03-07 23:26:03 | Weblog
今日は父の3回忌法要が倉敷「安楽院」において、厳粛に執り行われた。そして、日を改めて檀信徒の方々、父と交友のあった方々を招いての法要が営まれることになっている。2回にわたる法要の第1回目は結集寺院や有縁の僧正様と親族等で行い、第2回目は檀家の方々を中心として行う予定になっている。

父が遷化して、間もなく2年…。虚しく寂しいという気持に何ら変わりはない。これはたぶん、ずっとそうなのだろう。しかし、今を生きる遺族が周囲との調和を持って元気に過ごすことが、きっと父にとっても安心なことだと思うから、Gikoohは以前にも増して内面から滲み出す人格の美を培おうと精進している。

今日は大勢の僧侶による読経と親族の念を受けて、父は魂の位を上げながら更なる菩提への旅路を続けていることだろう。

年回忌のご本尊を供養し、故人を供養し、更には自分自身をも供養することが法事を行う3つの意味だと解釈しているが、穏やかな晴天の下、良い供養が出来たと感じている。

第2回目の法要の折には、Gikoohがお話をさせて頂く予定となっている。内容はまだすべては決めていないものの、「九牛の一毛」の話をしようと思っている。
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