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歴史街道を歩く会 10月例会  賤ヶ岳古戦場と湖西 高島市内散策

2015年10月24日 23時14分50秒 | 歴史街道を歩く会

「歴史街道を歩く会」の10月例会に参加しました。今回は湖北に聳える賤ヶ岳の古戦場を訪ねました。山頂で地元のガイドボランティアが説明に当たってくれ、とても参考になりました。
その後は高島市に向かい、「道の駅 藤樹の里あどがわ」で昼食。そして藤樹神社、藤樹墓所、藤樹書院、良知館を訪ねました。
その後は、白鬚神社へ。鵜川石仏群。びわ湖周航の歌記念館。大崎観音を訪ねました。
晴天に恵まれ、絶好の見学日でした。

賤ヶ岳へ

大音のリフト乗り場へ来ました。
これから、リフトに搭乗します。




7分ほどの搭乗時間です。
リフトの支柱には近江鉄道の大きなステッカーが貼ってあり、リフトの事業者が近江鉄道だと判ります。




山上駅に着くと、そこからは徒歩で登ることになります。
降りた所に杖がが常備してあり、それを借ります。




300メートルほど登って来ると山頂につきます。
鎧武者のブロンズ像が置かれて居ます。
戦に破れたのであろう。鎧武者。
顔の表情が横からと、正面からでは違うとか、色々と喋っていました。



観光ボランティアガイドが賤ヶ岳の風景や賤ヶ岳の合戦について説明してくれます。
賤ヶ岳の合戦で、出てきた言葉は清洲会議です。
そして、出できた武将で、柴田勝家と羽柴秀吉は勿論の事、丹羽長秀と池田輝政です。
池田輝政は、後に姫路城を築城しました。自分の知っている事で結びつくのが歴史の面白い所です。
この戦では前田利家が柴田勝家側に付いていて、勝敗が決しそうになると、早々に隊を引き上げたのだそうです。
ここから見える北方で、一番高いのが、行市山田と説明してくれました。
行市山は登った事の有る山です。行市山と賤ヶ岳の位置関係が確認できます。



余呉湖が見下ろせます。
湖の北側に山々が聳え、合戦の舞台となりました。



賤ヶ岳の合戦の配陣図。
天正11年4月20日・21日と有ります。
勝家が戦で破れ北の庄へ逃げ帰ります。
そして、城が羽柴軍に取り囲まれて落城。
その日が4月23日だと書かれています。
この後に、秀吉が力を付け、天下に向かっていきます。



リフトで下ります。
丸で黄砂のような状態です。
遠くが曇っています。




山麓駅。
バスの待機している所に来ました。

道の駅 藤樹の里あどがわ

道の駅 藤樹の里あどがわに来ました。




まだ、お昼の時間には少々早い時間でしたが、ここでお昼を取りました。
道の駅の中。買い物客で賑わっています。
右はランチで、ちらし寿司と天そばのセット。600円でした。
満腹になりました。
みんなからは、値打ちだと言う声が出ていました。

扇子ギャラリー。

道の駅の中の施設ですが、地場産業振興施設と書かれていました。地の字を欠かして撮影してしまいました。
扇子ギャラリーとなっています。




扇子の紙を折る男性。
撮影して良いか、声を掛けて撮影しました。



熟練の技。
紙を折っていきます。




高島扇骨の説明板。
もともとは扇骨だけを製造して、経に送っていたようです。
右はDVDで扇骨の製造工程を流しています。



高島扇骨の起こりと扇骨の製造工程。
この説明を見ていて、思ったのは岐阜の和傘作りに似ていると思ったのです。
形は違うが、共に共通なのは竹と紙です。



色とりどりの華やかな扇が並んでいます。




良知館へ

スタンプラリーのマップです。
このマップに従って、道の駅から良知館まで歩きます。




最初に着いたところが藤樹神社です。




藤樹神社にお参りします。
右は絵馬ですが、何か古事にちなんでいるのでしょう。



藤樹墓所へ来ました。



良知館に向かって歩きます。




歩く途中に見かけた家。扇骨の工房が有りました。




乾燥させるため干して有る扇骨。
この扇骨を見かけ、ここが扇骨の工房だと判りました。
何気なく、歩いていて、気がつかないと、通り過ぎてしまいます。
右は、窓が開いていて、室内を見させてもらいました。






良知館に向かいます。




高島の山から綺麗な水が流れてきます。
慣れている鯉たち。
エサを求めて寄って来ます。
鳥除けのためでしょう、糸が張って有ります。



藤樹書院跡。
良知館の女性が説明してくれました。




こちらが藤樹書院跡です。




書院の内部。
藤樹や妻のご位牌が安置して有ります。
藤樹はここで私塾を開きました。
上の額には徳本堂と書かれていました。




良知館と内部に掲げてあった藤樹の漢詩。
コチラではみんなにお茶が出して貰えました。




館内に展示して有った、致良知と「人みな天地の子」と言う藤樹の教え。

良知館の女性が、藤樹が若くして妻を亡くしたとか説明してくれました。妻を亡くしたのですが、赤子が残り、後添えを貰ったと言う話をしてくれました。


白鬚神社へ

白鬚神社に着きました。



湖側から見える白鬚神社。
湖中に白鬚神社の鳥居が有ります。



沖の鳥居。
空気が澄んでいたなら、対岸が見えたことでしょう。
黄砂のようになっていて、風景が霞んでいます。



鵜川四十八体仏に向かって歩きます。
国道161号線で、車が凄いスピードで走ります。
この道、2011.05.11に歩いた道です。



この道。
以前に歩いた事が有りました。
あの時は北から南へ。そして今日は南から北に向かって歩きます。
2011.05.11に歩いた時の画像です。
湖岸の萩の浜水泳場からJR志賀駅まで歩きました。
http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/e/8b344fdccfd183ed97d00609256ec130
あの時は雨が降っていました。
琵琶湖一周ウォークでした。
10.03.27から11.09.07までの期間に16回かけて踏破しました。晴れた日ばかりでなく、雨が降ったり雪が降ったりしました。それも思い出の内です。

鵜川四十八体石仏群へ

いにしえの街道 西近江路の石碑が立っています。
この道の道標。近江 湖の辺野道として整備されていますが、歳月が経ち朽ちて来ています。


鵜川四十八体仏へ来ました。

琵琶湖周航の歌資料館

琵琶湖周航の歌資料館に来ました。




館内です。
作詞した小口太郎、作曲した吉田千秋の経歴が紹介して有ります。
この記念館へは、琵琶湖一周の時に寄りました。諏訪湖を一周したときに「琵琶湖周航の歌」の歌碑を見かけました。作詞者の小口太郎が諏訪の出身でした。

今津港へ

今津の西福寺。
今津港に向かう途中に見えました。



西福寺のコンクリート鐘。
鐘突き堂の下にコンクリートの鐘が有りました。




今津港と船着場。




今津港から見える竹生島。
空気が汚れ、景色がはっきりと見えません。



大崎寺へ

大崎寺に来ました。





大崎寺には毘沙門天が祀られて居ます。
本堂から更に進むと岬のように突き出したところから竹生島が望めました。
空気が澄んでいれば、竹生島の背景に対岸が見えたでしよう。
好い景色が望めなかつて残念でした。

賤ヶ岳へリフトで上がりました。
賤ヶ岳は以前に上ったことの有る山です。観光ボランティアガイドが説明してくれましたが、少し長い時間に渡って説明をしました。聞いていた方は、もう、そろそろと言った感じがしました。
話の中で、中川清秀が奮戦したことや佐久間盛政の戦いについては話されませんでした。賤ヶ岳の合戦。話をすれば、切がないといったところです。

「道の駅 藤樹の里あどがわ」の扇子ギャラリーで展示して有る扇子を見たり、扇子の紙を折っている場面を見る事が出来ました。また、歩いていて、たまたま扇骨工房を見る事が出来ました。高島が扇骨の名産地であることを知りませんでした。
知らないことを知る事が面白いです。

琵琶湖の西岸を歩きました。
琵琶湖一周ウォークで歩いた道です。
忘れていた事を思い出したり、あの時に訪ねる事が出来なかった場所をめぐる事が出来ました。懐かしさがあり、訪ねれなかった場所には新鮮さを感じました。

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