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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  「各務原の戦争遺跡」(現地学習)

2015年09月11日 22時59分02秒 | ヒストリー各務野会

今日は第2金曜日でヒストリー各務野会の日でした。
テーマは「各務原の戦争遺跡」で、講師は河野克暢先生です。7月24日に緑苑コミ二ティセンターで講義を受けました。
http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/a0883e7f629430df1929956700b741c1
今日は外に出て現地学習です。市内の戦争遺跡を廻りました。
集合場所は前渡不動の駐車場で、13時30分が集合時間となっていました。


集合場所は前渡り不動の駐車場です。
見上げているのは、承久の乱の説明看板です。
この近くで承久の乱の合戦があり、供養塔が保存されています。



駐車場を出て、矢熊山南掩体壕へ向かいます。



掩体壕へ向かうには、個人のお宅の庭先を通り、隣と隣の隙間の中を通らせてもらいます。



ここが、矢熊山南掩体壕です。



掩体壕の中から、外を観ます。
掩体壕の外には家屋があり、家屋に隠れて掩体壕が見えません。
この家屋の南の道路は良く通る道です。
こんな所に掩体壕が有るとは知りませんでした。



戦闘機を格納する大きさになっていますので、掩体壕は大きいです。



河野先生が説明しています。



前渡不動の駐車場に戻ってきました。
家に隠れていますが、崖の所が掩体壕です。



次に向かったのが長根山掩体壕です。



この掩体壕。運輸会社の所有になっているのだろうか。
掩体壕を運輸会社が使っています。



パレットが高く積まれています。



コチラは奥から眺めた状態です。
天井のコンクリートが50センチ以上も有る厚さです。
爆弾に耐えるように、この厚さにしたのでしょう。



入口付近です。
しっかりとコンクリートで作られています。



神置町の慰霊塔に来ました。
資料には焼夷弾の実物を載せた慰霊塔となっています。
私にはその姿から、焼夷弾でなく爆弾のように見えます。



慰霊塔の下で見上げます。



慰霊塔の頂きにすえつけられた焼夷弾。



各務原市民公園の駐車場に残る、空襲で焼けたキササギ。
ここでも、河野先生から説明して貰いました。



空襲で焼けたキササギ。
歳月によってキズ口が塞がって来たのでしょう。



各務原市民公園に「時-平和の風」が設けて有ります。



時-平和の風。
石碑。



時-平和の風。
モニュメント。


前渡不動駐車場の直ぐ近くに矢熊山南掩体壕が有ることを知りませんでした。その場所に行ってみて、むき出しの岩肌が出ていました。市内に中国人殉難の塔が有ります。この掩体壕を作るのに、強制連行されてきた中国人が働かされていたのではないだろうかと思いました。河野先生が説明していた、中国人の年齢は20歳前後と若い人たちの名が有ったそうです。

昨日に続き、二日続きの現地学習でした。
最後に、
会員からこんな声が出ました。
折角、戦争遺跡が残っているのに、何の説明板が無い。説明の表示板が有ると好いということでした。矢熊山南掩体壕等、その位置を示す物をしてもらえると良いのではないかと思います。特に、市民公園駐車場の空襲で焼けたキササギ。これなどは、好い説明材料となると思います。

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