遅いことは猫でもやる

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北前船主通り

2018-02-24 15:50:35 | 行ってきました

ボランティア説明員の千馬さん

河野北前船主通り 山腹右上は右近家西洋館

右近家の概要

先日越前海岸に行った折、北前船の船主の出身地、河野北前船主通りを訪れた。地元のボランティアガイドの説明を聞くと、北前船は貨物の運搬請負船ではなく、立ち寄り港で各々仕入れと販売を行う交易船だったという。

大阪を春3月に出港し、瀬戸内海を通って下関を経て日本海に出る。日本海各地を商売をしながら北上し、五月下旬頃蝦夷に到着。7月下旬再び出発し日本海を商売をしながら南下、11月に大阪到着という、1年1回の航海をしていたという。

明治になり財閥系の大資本が交易に進出するようになり、この地方の船主は運搬専用となり、また代表的な船主右近家は明治期海上保険に進出し成功を収めた。なかなか柔軟な事業才覚を持っていたらしい。

ここには右近家のほか、中村家、中村分家、刀禰家の3軒が残っており海岸沿いのベルト地帯に屋敷が残っている。江戸期は寒村であったと思われるが、いずれも蔵付き、近くには菩提寺も構える豪族であったらしい。山腹に現存する右近家の別荘は1階がスペイン風、2階はスイスの山小屋風西洋館だという。
海岸には北前船のモニュメント、図書館が建てられ、沖合には坊主が沖に向かって手を合わせて祈っているかのような「坊主岩」が立つ。

高気圧のせいで海は穏やかで日本海の荒波は一服していた。敦賀、越前では雪が屋根の上も畑もうず高く積もっていたのだが、この海岸には殆ど残っていなかった。


北前船モニュメント

穏やかな日本海

合掌する坊主岩