遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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吉本新喜劇

2018-01-14 05:00:44 | 行ってきました

なんばグランド花月

大阪名物たこ焼き

吉本人形焼

正月休みは、初詣以外それらしきことをやっていなかった。第二週になって、気分転換に大阪の吉本を見て笑ってこようとふらっと出掛けた。

正月明けのウィークデイではあるが、大阪難波は結構な人で賑わっていた。それでも当日切符はまだ余裕があった。外で朝飯代わりのたこ焼きと人形焼を買って入る。お店の呼び込みが、我々を地方からの人間と見て声をかけてくる。大阪らしい抜け目のなさだ。

劇場に入ると一階は8~9割、2階は前から2列のみ埋まる程度。平日の前席としてはまあまあだ。前半の漫才、漫談ではスーパーマラドーナ、ライセンス、桂小枝、笑い飯、大木ひびき・こだま、中田カウス・ボタンなど、名前が売れている芸人が入れ替わって登場し、笑ってしまった。

後半の新喜劇もパターンは決まっているものの、それなりに面白かった。客席はほとんど大阪以外からの人で埋まっているのに「笑ってやろう」という雰囲気は十分ある。地方から来た人も大阪の空気に染まってしまうのだろうか。

初笑いとしては十分笑って満足して外に出た。2時間半屈託なく笑ったので何やらスッキリした。此処に来て笑ったのは10年ぶりくらいだろうか。


出演者看板

本日のプログラム

ロビーの盛況

インド紀行(17)-発展途上国

2018-01-13 05:40:29 | 行ってきました

ラクシュミ・ナラヤン寺院



一般家庭でチャイを頂く

デリーでの昼食の後はヒンズー寺院へ。教徒であるアンバルさんは何故かそそくさと説明を急ぐ。自身は沢山祀られている神の前で合掌し、敬虔な教徒であると思われるが、我々のような無神論者には、説明しても無駄だと思ったのだろうか。

しかしこの寺院は立派である。財閥ビルラー財団が立てたものだが、都市の中にあり建物も壮大だ。この後は一般家庭でチャイ(インドの紅茶)の経験。日本人学校の教師宅でチャイの入れ方から、現地事情なども聴きながら茶飲み話を伺う。

宝石店、繊維店(テーブルクロス、パシュミナ、絨毯など)紅茶の店、などショッピング案内をされる。つい勢いで絨毯を買ってしまう。記念と言うには少し値が張った。インド人は商売がうまい。紅茶店は何年か前ブータンに行ったとき立ち寄ったところと同じのような気がした。


紅茶専門店

カーンマーケット

その後「インドの銀座」と呼ばれるカーンマーケットで時間を潰し、夕食は水炊きの日本料理店で摂った。ここでメンバーの一人が「お世話になったアンバルさんにお礼をしよう」と言い出し、同行の元自衛隊幹部の発案で、一家族千円程度のチップを集めて、席上手渡した。アンバルさんは痛く感激し、空港で最後まで手を振り見送ってくれた。

デリー空港は深夜便にも拘らず混み合っており、ビジネスラウンジで休憩をとるもあんまり休めなかった。


夕食の水炊き

デリー空港

ヒンズー国なのに、クリスマスの飾り付け?

ビジネスラウンジ

こうして、インドの旅は終わったが、この国はとにかく人が多いという印象だ。店も道路も人で溢れている。しかも皆上昇志向が強い。その意味でこの国は後進国ではなく、間違いなく発展途上国である。

街中の露店の傍や道端でぼーっと立ったり、座ったりしている人もいるが、概ね働いている。そのエネルギー、バイタリティは大したものである。中国のように面従腹背ではなく、ストレートである。人口増大を見込み、これから中国といい勝負をしてゆくのではないかと思われる。

但し衛生面と食事のバラエティは改善の余地がありそうだ。

蛇足ながら、街を走っている車は圧倒的にスズキ車が多い。続いてはトヨタ車、ホンダ車がこれに続く。その後をヒュンダイが肉薄、ヨーロッパ車、アメ車はその次くらいに見られた。またカースト制度の名残は、外部から見る限りあんまり感ぜられなかった。日本の民問題と同じで、少しずつ解消してゆく過程にあるのだろう。

インド紀行(16)ー雑踏の街

2018-01-12 04:48:08 | グルメ

ホテルのレストラン

イメージ的には・・・。

ガイドのアンバルさんと街を歩く


雑踏の街

ゴミを踏みつける牛

まだまだ馬も重要な手段だ

ジャイプールに連泊し、ホテルで食事を摂っていよいよ出発。インドの旅もいよいよ最終日を向かえた。ガイドのアンバルさんと街を歩くが、何かスラム街を行くようで緊張する。街のイメージはモノクロ時代かセピアの頃の雰囲気だ。

ヒンズーの国らしくそこここに牛がたむろしているが、聖なる使いと言われているのに、街角でゴミを踏みつけ群れているのが可笑しい。街中では馬や駱駝も闊歩し、時には象が巨体を揺らして通り過ぎる。

昔我々の街でも馬車や牛車が通っていたのと同じ感覚だろう。ジャイプールを後にして一路デリーへと向かう。相変わらず渋滞は激しく、車は我先にと争ってICへとつばぜり合いをする。通り抜けるまでの渋滞で物売りやガラス拭きが車のウインドウを回る。見ていると結構商売になっている。

ジャイプールほどではないが、軽4輪に鈴なりに人が乗っている。オートバイの3人乗りは当たり前だ。


渋滞箇所での物売り

この程度の相乗りは優しい方

デリーへ着き、最後の昼食レストランへ向かう。おなじみの4種のカレー。野菜、チキン、ココナッツミルク、ほうれん草、スパイシーなど少し違うだけで概ね同じである。それを長粒米かナンで頂く。考えてみれば、カレーは保存が効くし、煮込めば煮込むほど味は良くなるので無駄がない。賢い民族だと思う。


昼食のレストラン 4種のカレーは定番

インド紀行(15)ーイタリアン?

2018-01-11 14:05:31 | グルメ

普通のビルの入口

案内板 最上階の表示と壁の絵がそれらしい

事務室みたいな客席

トマト味スープ

カナッペ

ジャイプールの観光を終わり、少し遅めの昼食となった。着いたレストランは荷物が積み上げられているビルの1階からエレベーターに乗って3階へ。イタリアンと聞いて連日のカレーから逃れられるかと少々嬉しくなった。

案内された客席は、そっけないテーブル席。カナッペ、トマトスープ、サラダ、ピザ、パスタ(スパゲッティ)とメニューは確かにイタリアンだが、どれも冷凍食品を下手に戻したようでふかふかである。アルデンテとは程遠い。少々残念なイタリアンである。

サウがに食がすすまず、テーブルに食べ残しがでたまま席を立ってしまった。今回のインド旅行ではあんまり美味しい物には出会えなかった。そう言えば、先日案内されたインド風中華料理店も正確には中華風インド料理店といったほうがピッタリの料理で、この国ではあんまり味にはうるさくないらしい。

ホテルでの夕食も同じようなものであった。

インド紀行(14)ーシティパレス

2018-01-10 17:11:37 | 行ってきました

パレスの外観

ムバラク・マハルの衛兵

ムバラク・マハル

王族の館(月の宮殿)

ディワニ・カース(貴賓謁見の間)

ムバラク・マハルと月の宮殿の間の門

天文台見学のの後は同じく市街の中心部にあるシティー・パレスを観光。アンベール城が強固な山岳城砦だったのに比べ、街中の繊細なパレスである。

シティ・パレスはカチワーハー家の当主サワーイー・ジャイ・シング2世によってジャイプルの市街地とともに建設され、1727年にアンベール城から遷都した。それ以来200年以上の間 ジャイプル藩王の住居として、またジャイプル王国の政治の中心として機能した。1947年のインド独立の2年後の1949年にジャイプル藩王はインドへの編入を受け入れ、その領地は隣接する地域とともにラージャスターン州の一部となった。現在かつての王宮は旧藩主の住居と個人所有の博物館と観光地になっている。

ムバラク・マハルは19世紀末にイギリスの建築家の設計によって建てられた迎賓館であるが、現在は代々の王族が使用した豪華な衣装をはじめとする布地・衣装博物館となっている。また武器の一部、刀剣鉄砲なども2階に展示してある。

またティワニ・カースは現在結婚式場として活用されているらしく、ケータリングの業者が準備をしていた。王族といえども結構商魂は逞しい。流石インドである。

ジャイプールの街は相変わらずすざましい雑踏で、馬車、駱駝、象も行き交い、路地という路地は人で溢れ、道端での露店や店先営業が盛んである。しぶといバイタリティを感じた。


ジャイプールの街の雑踏

風の宮殿は街の中心部にある

インド紀行(13)ージャンタル・マンタル

2018-01-09 04:49:37 | 行ってきました

フルーツ専門の市が立っていた

ジャイプールの城壁

アンベール城から再びジャイプールの街に戻り、雑踏の街を通り抜け、向かった先は18世紀に作られた天文台。途中フルーツばかりを扱う屋台が密集している市を通り抜けた。

ジャイプールの街を造ったサワーイ・ジャイ・シン2世は天文学に深い造詣があったそうで、ここジャイプール以外にもデリー・ウジャイン・ベナレス・マトゥラーに天体観測施設を造ったそうだ。その中でもこのジャイプールのジャンタル・マンタルが一番大きい規模!広い敷地内には約20もの天体観測器が設置されている。太陽や月の運行を計測する観測器が並んでいるのですが、非常に精密かつ巨大!当時の最先端の天文技術と建築技術を駆使して造られたもの。

これらはコンクリート、あるいはモルタル作りにも拘らず、20秒単位で時刻が計測できる目盛が刻まれている。ここまで正確に時を刻んでいたのだろう。また星座毎の時計も設置されており、いろいろな星で相互の正確性を確認していたのだと思われる。当時(18世紀)のインドは天文学では先端を行っていたのだろうか。さすが数値の国である。


天文館切符売り場


各種日時計

天文館の中は大勢の人で賑わう

これも日時計(月時計?)の一種

これで20秒単位で時刻が分かるという

記者の執念

2018-01-08 14:18:12 | 


塩田武士「罪の声」講談社 2016年刊

これはグリコ・森永事件をモチーフにした、新聞記者の事件後の追跡記録である。フィクションという形を取っているが、その取材姿勢は真摯で徹底している。

「トヨトミの野望」も新聞記者の書いたものだが、トヨタ一族の経営姿勢、あるいは人間描写に傾きすぎて、客観性というより人物評伝に近いものになっていた。本書は事件の内部にまで鋭く肉薄し、犯人一味の内紛や、首謀者の陽動作戦、ある種の安全策について言及している。

本件は謎の多い事件だったが、この解説でほぼ納得できた。取材の方法、挫折からも得るものをつかむ執念、人間関係の作り方など実際の経験者らしいタッチが随所で見られる渾身の一冊である。

グリコ・森永事件の記憶が薄れないうちに読むことをお勧めする。

3/4世紀を生きる

2018-01-06 10:01:34 | 雑感

本日の八ヶ岳

七五歳になりました。世間では後期高齢者の範疇入りですが、なかなか認めたくありません。ただ現実を見ると、アシには痛みが走り、ゴルフの飛距離は落ち、耳は遠くなり、何より目が見えなくなってきました。

ただまだまだやりたいことは沢山あります。行き残している外国の空気を吸ったり、国内の自然の中に入ったり、パソコンを自由に扱ったり、俳句が上達したいなど、煩悩の種には事欠きません。

思えば75年間よく生きてきたと思います。3/4世紀です。父親より長生きし、後2年で母や兄と並びます。ここまで来たのは何より家内を筆頭に、家族を始めとする周りの人に恵まれたのだと思います。感謝あるのみです。

佐藤藍子のベストセラーに「90歳何がめでたい」というのがあるが、何か八つ当たり気味に老いの身のやりきれなさを述べている。それほど居直る気はありませんが、まあ精一杯やってきたという感慨はあります。

もうあと何回正月を迎えることができるでしょうか。名誉は要りませんが誇りは持ち続けたい。煩わしい人付き合いは望みませんが人とは繋がっていたい。守るべき財産などはないが、周りに迷惑はかけたくない。最近はぼんやりと終焉のことなどに思いを馳せております。


寒の入り

2018-01-05 12:14:26 | 雑感


本日は小寒、立春まで寒の内に入った。家の裏の池は全面に厚い氷が張り、見るからに寒そうである。「小寒の氷、大寒に解く」という言葉があるように、小寒のほうが大寒より寒いと感ぜられるようです。

七二候は小寒、初候「芹乃栄う」(せりさかう)。芹は春の七草の一つ。七日は七草粥を頂く日だ。神社では「どんど焼き」で松飾りを燃やす。冷え込んだ夜には湯気の立つ鍋が美味しい。

孫や子供で賑やかだった後は、使った布団やスキーを片付け、部屋を掃除しながら楽しかった正月休みを思い出す。毎年成長する孫達の行動をあれこれと感じ、若いエネルギーに刺激された。初詣でお祈りしたように、子も孫も今年一年健康であってほしい、大事な一年であるので、易きに流れず前向きな努力を続けてほしい。

外気は厳しい寒さだが、ガラス戸の中は温かい。お蔭で二家族とも温かい家庭のようだ。

晴天のお正月

2018-01-04 11:27:46 | 家族

権現岳(右)と阿弥陀岳(左9

晴れた空に映える富士山

今年のお正月は天気に恵まれた。青く澄み渡った空に八ヶ岳は雪を戴き聳える。いかにも寒そうである。同じ山を見ても、若い時はどのルートなら登れそうかという見方をしていたのだが、今は「稜線は寒いだろうなあ」と想像する。山は変わっていないのに不思議である。

孫達が遊ぶスキー場へと向かう。途中富士山に出会う。初夢、一富士、二鷹、三茄子の一番縁起だ。この山はどこで見ても、何時見ても端麗である。見ていてスッキリする。

正月のゲレンデは比較的空いていた。リフトも行列はなくすぐ乗れている。雪質は良く時折地吹雪が舞う。一番小さな小学一年生の孫が、斜面を滑ってきて「僕もう中級コースを滑れるよ」と自慢する。昨日滑り始めたばかりなのに、話半分としても、子供は上達が早い。

今年はのんびりとした正月3が日を過ごせた。


比較的空いているゲレンデ