水門の銘板と流れ出る天竜川源流
諏訪湖に流入する河川は何本か山側(茅野、諏訪側)にあるだろうが、流れ出るのはおそらくここだけであろう。釜口水門と言い、魚道や船の通行路(船通し水門)も確保されている。
おりからの雨模様で、水流は豊富であるが濁りとうとうと流れ出ていた。これが下って天竜川になってゆくのだろう。「あばれ天竜」というくらい治水の難しい河川らしいが、源流はきっちりと水門でコントロールされている。
パナマ運河式の複数の水門の上げ下げで水面を調節する方式で船を湖へ入れたり、出したりしている。
ウイキペディアによると以下の記述がある。
1936年(昭和11年)に、近代的治水設備としての水門が竣工した。だが1950年や1961年の洪水では処理能力を発揮できず、改築が決定。1988年に放水量600t/秒の新水門が旧水門から諏訪湖側へ約80mの地点に完成した。これは旧水門処理能力の3倍に当たる。
現在の水門は2段式の6門ゲート(上段は6門、下段は3門)になっており、上段はフラップゲート(飛行機の羽のような形)、下段はローラーゲートになっている。通常は上段ゲートを操作し越流放流を行っている。
諏訪湖側から見た水門
水門直下から岡谷方面を見る
諏訪湖に流入する河川は何本か山側(茅野、諏訪側)にあるだろうが、流れ出るのはおそらくここだけであろう。釜口水門と言い、魚道や船の通行路(船通し水門)も確保されている。
おりからの雨模様で、水流は豊富であるが濁りとうとうと流れ出ていた。これが下って天竜川になってゆくのだろう。「あばれ天竜」というくらい治水の難しい河川らしいが、源流はきっちりと水門でコントロールされている。
パナマ運河式の複数の水門の上げ下げで水面を調節する方式で船を湖へ入れたり、出したりしている。
ウイキペディアによると以下の記述がある。
1936年(昭和11年)に、近代的治水設備としての水門が竣工した。だが1950年や1961年の洪水では処理能力を発揮できず、改築が決定。1988年に放水量600t/秒の新水門が旧水門から諏訪湖側へ約80mの地点に完成した。これは旧水門処理能力の3倍に当たる。
現在の水門は2段式の6門ゲート(上段は6門、下段は3門)になっており、上段はフラップゲート(飛行機の羽のような形)、下段はローラーゲートになっている。通常は上段ゲートを操作し越流放流を行っている。
諏訪湖側から見た水門
水門直下から岡谷方面を見る
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