遅いことは猫でもやる

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郷土の偉人

2016-06-30 00:25:54 | 行ってきました
    小口太郎の像

釜口水門の敷地の中に小口太郎の蔵が建っている。小口といえば「死んでも喇叭を口から離しませんでした」と伝わる、日清戦争の成歓の戦いで被弾して絶命した、突撃ラッパを吹いていた一兵卒のことかと思って近づいてみたら全くその木口小平とは別人だった。

小口太郎とは1897年(明治30年)8月30日 - 長野県諏訪郡湊村に出生
1910年(明治43年)3月 - 諏訪中学校(現・諏訪清陵高校)入学
1916年(大正5年) - 第三高等学校大学予科第二部乙類入学 
1918年(大正7年)7月 - 水上部(ボート部)、第二クルーの琵琶湖周航の途中「琵琶湖周航の歌」を発表
1919年(大正8年) - 東京帝国大学理学部物理学科入学
1921年(大正10年) - 「有線及び無線多重電信電話法」の特許出願。イギリス、ドイツ、フランス、オーストラリア、カナダにも出願 

という経歴を持つ文武両道に長けた人間だった。よく口ずさむ「琵琶湖周航の歌」はこの諏訪湖のほとりで育った彼が作詞したものだと初めて知った。また長男がお世話になっているNTTに大いに関係のある多重電信電話法の特許保持者でもあった。内容はよくわからないが六っか国以上に特許申請しているところを見るとかなり画期的なものだったらしい。

郷土の偉人と言って良い。こう言う人があちこちにいるというのは嬉しい。

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