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軍艦島探訪記ー三菱恐るべし

2014-12-16 17:23:58 | 行ってきました

 3~40人海苔くらいの小さな観光船で出発

「007スカイフォール」に登場した、軍艦島として名高い端島はいっぺん覗いてみたいとかねて思っていた。
長崎港の桟橋から小さな観光船で約50分、途中三菱造船の巨大なクレーンや建造中の10万トンくらいの大きなクルーザーを見ながら進む。

 総合事務所跡(赤レンガの建物)
 風化が進む建物群

コンクリートの建物(ほとんど廃墟)が林立するこの島の南側に回って見ると確かに軍艦に見える。1880(明治23)年三菱が買取り、1941(昭和16)年には41万トンを出炭したこの炭鉱は、最高5300人もの人が住み、等時の東京の9倍もの人口密度に達していた。
石炭から石油へのエネルギー革命により、1974年1月に閉山、4月には無人島となった。

 日本最古(大正5年建設)の鉄筋コンクリートの高層アパート30号棟

ドルフィン桟橋から上陸し、見学通路を進む。まだ40年しか過ぎていないのにコンクリートやレンガ造りの建物は相当風化が進んでいる。潮風や波の力はすざましい。
早くから鉄筋コンクリートのアパートが立ち並び、学校、病院、神社、地下にはパチンコ屋もあったという。なかったのは、火葬場とお寺くらいで、各部屋にはほとんどの電化製品が揃えられ、命懸けで働く男たちの稼ぎはかなり良かったらしい。
その他の施設はほとんど三菱の経営で、お金はぐるぐる回って三菱の懐に入ってゆくような仕組みになっていた。国とタッグを組んで富国強兵に邁進した三菱コンツェルンの強大な支配を感じさせる廃墟であった。

昨年「明治日本の産業革命遺産」としてユネスコに申請したそうだが、風化が激しいので、原型をとどめておくにはかなり養生が必要であろう。それにしても明治大正昭和と、高度経済成長を成し遂げた、原動力ともいうべきエネルギーを担った事がよく分かる、すざましい遺産である。その中に身をおいてみて、なにかドーンという重い感じを受けた。

 確かに軍艦「土佐」に見える

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