遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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登りもヘロヘロ、下りもヘロヘロ

2013-07-11 08:22:39 | 雑感
観音平登山口

このところ良い天気が続く。梅雨明け10日、といわれる夏の天気か。
先日の山仲間から、次は南アルプス鳳凰三山へ行こうと誘われており案内を見たら、初日高度差1500m近くを昇る行程である。70歳を超えた私に大丈夫だろうかと、とりあえず1,000mの高度差を経験して見るべく、編笠山に登ってみた。

滑り出しは笹の道
次第に岩混じりに

10時標高1570mの観音平から、笹の道を歩き始める。駐車場はほぼ満車。日本全国遠くは室蘭ナンバーのバンも止まっていた。
笹の道、雑木林の道、木の根っ子の道、いずれも緩やかな勾配の道を、のんびり1時間ほど歩く。1880mの雲海展望台からはうっすらと富士山が見える。アブがブンブンとうるさい。
雲海展望台からの眺め


林の中の道に岩が混じってきてた所を通り過ぎたら2090mの押手川の標識。ここから少し傾斜がついてくる次第に足下は岩を踏むようになって、心臓もバクバク言うようになってくる。這松の枝にも助けられ、ヘロヘロになりながら急登を登り、やっと森林限界を過ぎたら、頂上直下の岩場である。蓼科山のような石に覆われた頂上2,524mに着いたのはすでに1時30分近くで、女性一人しかいなかった。ここまで3時間半かかったことになる。頂上直下の窪地で昼ごはんを食べ、水の補給を兼ねて青年小屋経由で帰ろうと下山開始。

青年小屋

この下りが難物だった。小屋近くになり堆石の連続地点を踏んでゆくのだが、疲れた足が思うように進まない。15分と案内板に書いてある所を、40分もかかって到着。美味しいビールと水を補給
出発は3時20分。小屋の人の話では、観音平まで2時間で行ける、との御宣託。巻き道を通りひたすら下る。目的の押手川分岐2,090mがなかなか現れない。いい加減ヘロヘロになりかかって、やっと到着すでに4時15分前であった。これではひょっとすると日が暮れてしまうのでは、と少し焦る。雲海めがけて少し急ぎ足で下る。雲海へは5時15分着。予定時間45分を30分で降りて一安心。この分でゆけば、6時前には観音平到着だと安心。夏の日は長く,木の間越しに日差しも明るく、気持ちよく下る。しかし行けども行けども、駐車場は見えてこない、いい加減ヘロヘロになりかかった6時にやっと到着。朝満車だった駐車場には5,6台しか止まっていなかった。
編笠山頂上

頂上から赤岳、阿弥陀岳

やはり年齢か。今回は上りも下りもヘロヘロになりながらの山行であった。これが五割増しの1,500mの高度差ではどうなるんだろうか?

押手川

立志伝だ

2013-07-10 08:03:51 | 


百田尚樹「海賊と呼ばれた男」講談社刊 2012年発行
今売り出し中の作家百田尚樹の2013年度本屋大賞受賞作品。出光佐三をモデルにした伝記小説。先に読んだ「永遠のゼロ」の構成と前向きの人間観に共鳴して、今度も期待してページを繰った。

確かに波瀾万丈の生涯、世界の石油メジャー、国内の官僚、大手石油取り扱い商との戦いはそれなりに興味深いが、あまりにも主人公を英雄視しすぎていはしまいか。城山三郎は本田宗一郎は描いても、松下幸之助は題材として陰影がなさすぎるとして取り上げなかった。その伝で行くと出光佐三もそうだったのか、百田尚樹がそんな取り上げ方をしたのか、とにかく戦後の日本の右肩上がりの成長と軌を一にした企業の発展物語になっている。

さすがに、細かい部分にも眼が行き届き、上下巻を一気に読んでしまったが、なんとなく余韻が薄い。

しかし経営書としては、志の大切さ、大きな視野にたち消費者(お客様)に焦点を合わせた事業展開、人の関係を大切する生き方などは、目先の利益にとらわれがちな現役経営者には良い教訓になると思われる。
ガソリンスタンド経営の友人が、やはり同じような感想を語っていたが、出光石油の御用作家のよいしょ作品みたいだと言ったらこき下ろし過ぎか。

百田尚樹の筆力には期待しているので、三番目の作品を読んで、この作家の志の深さ、高さを見てみよう。

画狂人北斎

2013-07-09 07:40:26 | 行ってきました


富士山の世界遺産登録を記念して、葛飾北斎の富嶽36景(実際は46景)の特別展示をやっているとのことで、長野市近くの小布施町の北斎館へ行ってきた。

日曜日ではあったが、時折雨が降る蒸し暑い日で、小布施の人出はそれなり、そこそこであった。北斎館に直行。バスの団体客の合間で比較的ゆっくり鑑賞できた。
小布施へはもう何度目だろう。3回ではきかないと思うが、その度に訪れる北斎館は毎回展示物が異なり興味深い。



由比の広重美術館でも感じたことだが、この浮世絵絵師の構成力は凄い。「凱風快晴(赤富士)」の重なる雲、「神奈川沖浪裏」の崩れる波涛、「尾州不二見原」の桶の中から覗く富士など、この自由闊達な構成力はまさに天才だ。加えて北斎の色彩感覚(配色のバランス)が素晴らしい。波頭のディテールと様式化も確かだし、これがヨーロッパに渡ってゴッホ、ルノアールなどに影響を与えたことにはうなずける。富嶽36景は北斎71歳ころの作品だといわれるが、その旺盛な生命力には驚かされる。今際の際に後10年、せめて5年あれば、思うような絵師になれただろうに、とつぶやいたといわれるが、まさに生涯懸けて絵の世界に没頭した北斎を象徴する逸話だ。

富士山は神秘的な山として、房総、静岡、甲府、更に諏訪湖や尾張?など各所から、遠望された。江戸時代は現代よりいろいろな場所から富士山が見えたのだろう。それぞれの場所からの富士山がいろいろな構図で描かれている。今でもあの秀麗な姿にはなにか力をもらえるような気がするので、北斎の頃には、何か特殊な霊威があったと信じられたのではなかったのかと思われる。

別室に展示してあった北斎の肉筆画もゆっくり鑑賞し、十分楽しんで美術館を後にした。

せっかく小布施まで来たので、近くの街並を散策し、小さな路地に足を向けた。オープンガーデンの表示をしている民家もあり、日本庭園を覗けるのは、ほっこりした感じになる。観光バスで乗り付けた今までとは違った小布施の雰囲気を味わった。


小さな路地にも風情を感じる

凍える牙

2013-07-08 08:39:55 | 


乃南アサ著「凍える牙」新潮文庫 1996年刊

96年の直木賞受賞作品。人物造形、心理描写が巧みだと言われている著者の、女刑事音道貴子シリーズである。
颯爽とした刑事物とおもいきや、女刑事の日常生活上のグズグズとした心理的葛藤を絡めて(これが私には少し冗長だと思うのだが)リアリティを醸し立たせている。

刑事の地道な苦労を丹念に描き(女性の会話はこれに似ている)、筋立て、やトリックの意外性で惹きつける小説ではない。たしかに、人物造形や心理描写はレベル以上のものがある。
この本に限って言えば一番颯爽としているのは、オオカミ犬だ。まるでゴルゴ13を彷彿とさせる。

この前借りた沢山の本の中の一冊だが、佐伯泰英の時代物とは別の、また矢月秀作のハードボイルド刑事物とは違った、どちらかと言えば藤田まことの「はぐれ刑事純情派」タッチの女刑事ものだ。

しかし畏友はジャンルが広い。時代物、妖怪モノ、謎解きもの、ハードボイルド、江戸エッセイと多岐にわたっている。聞けば百田尚樹も読んでいるそうだ。

孫と遊ぶ

2013-07-07 07:17:07 | 雑感


上京の時、次男の家にも立ち寄った。
孫で唯一の男子の顔を見るためだ。日に日に成長している。前回会った五月の連休より言葉がしっかりしてきた。イエス・ノーもはっきり言う。
周りの大人に負担をかけず、一人遊びが出来るのが可愛い。滑り台も一旦やりだすと、「もう一回」「もう一回」とエンドレスで繰り返す。

子供のエネルギーは無限だ。そろそろ自己主張が強くなってくる年頃である。一回だけ癇癪を起こしておもちゃを投げつけるということがあった。爺婆は大甘で、両親からの受け皿でいい、とは教育評論家の言だが、社会的に適合するための躾は親と一体となってやらねばいけないだろうと思う。

難しいことはさておき、久しぶりに女の子もふくめ孫全員とふれあい楽しいひとときを過ごした。ひょっとすると、孫と遊んだのではなくて孫に遊ばれたのかもしれない。


息子が子守の御礼にと豪勢な寿司をとってくれた

信は荘厳にあり

2013-07-06 13:21:16 | 雑感
新しくなった寺門
境内の仏像

上京の目的は親戚の法事への出席だった。

日暮里の天王寺。幸田露伴の「五重塔」の舞台となったお寺である。
最近新しいもんが開かれたが、境内の掃除はいつも綺麗に掃き清められている。

香で足を清める
読経が続く

本堂に入るときには、いつも足下を香で綺麗にして入る。
天台宗の祭壇は絢爛である。4人の僧侶で行われる法要は丁寧で30分は続いたか。
当代が交代したのか、読経の声が私は先代のほうが朗々と響き渡り好きだった。

墓も昔からの案内碑に沿って行き、立派な墓の前でも読経後お参りをして、法要は終了した。
儀式はやはり、内容はわからなにせよ、こんなふうに重々しく、荘厳にやったほうがいいと感じた。

案内碑墓にある顕彰碑

洒落たエッセイ

2013-07-05 08:00:57 | 雑感


先日畏友が貸してくれた本の中に杉浦日向子のものが数点あった。どんなものだろうと何気なく手にとって見たら、これが予想以上に面白い。
杉浦日向子著「隠居の日向ぼっこ」新潮文庫刊 2005年刊

江戸風俗の研究家であろうか、昔のことについて詳しい。池波正太郎の藤枝梅安の中で相棒が「ふさようじ」作りとあったが、一体どんなものだろうと興味があった。それがちゃんと解説してある。江戸時代は清潔な身なりが身上だったとの解説付きだ。

江戸っ子は気が早いと決まったものだが、昔の時刻はのんびりしたものだった。いっときは2時間前後だから「暮六つ」に待ち合わせたら2時間前後は約束の時間内となる。しかも昼と夜は季節によって違うので太陽と月に従い伸び縮みしていたという。時の鐘は街の中心で撞く音を聞いて順次遠方へ撞き送っていたのでずれがあった。それでも何の不便もなかった。と言う。江戸っ子の木の早さはそそっかしいとほぼ同義語だとわかる。

こんなことが書き綴ってあるエッセイで、ものや時代に事寄せながら、今の慌ただしさ、目先の事への執着をチクリと反省させる。なかなかの知識人だと思う。
この人は漫画家でもあった。文藝春秋漫画賞を88年に受賞している。2005年46歳で喉頭がんでなくなっている。惜しい人だ。

さすがに畏友である。こんな人にまで目配りをしていたのか。

躍動

2013-07-04 11:56:04 | 行ってきました


孫達がチア・ダンスの発表をする、との連絡があり、ほかの用事も兼ねて上京。

区の環境フェスティバル会場の区役所でフェスティバルの一つとして発表会があった。会場周辺にはいろんな団体、市町村、企業等が出展し、それぞれ集客をしていた。区のごみ収集担当課、群馬や茨木の市町村、東京ガス、花王などの企業、お母さん方の各種ボランティア団体がそれぞれ環境をテーマにイベントを企画。さすがに東京だなあと言う、豊かな財政、集客力を見せつけていた。


ちびっこたちはそんな催し物とはほとんど関係なく、自分たちのダンスに集中。舞台上で元気いっぱい、掛け声をかけ、飛んだり跳ねたりしていた。小学生にしてはよく揃っている。ダンスが学区体育の正課に取り入れられるとのことだが、さすがに幼い子供でも楽しく体を動かしている。こうした日頃の練習の発表の場が提供されるのも、東京ならではのイベントの多さがプラスに働いている。つくづく東京は恵まれていると思った。