知人に借りた福沢諭吉「学問のすすめ」を読んでみた。100年以上も前に(1872~6年)記された内容であるが、現在にも警鐘を鳴らしているようなものである。
全17編分冊で発行され、20万冊以上売れ、偽本も出た当時のベストセラーである。当時の人口3500万人からすると、160人に1人は読んだ計算になるというからすごい。
ご存知のように、この書は、教養を深めると言うのではなく、自由民権運動の精神的支柱であった。有名な「天は人の上に人を作らず、人の下に・・・・」と言うのは米国憲法からの意訳である。この本の前半はウエーランドの「修身論」の解説書であり、後半が日本の実情に合わせた福沢の見解が展開される。
明治初期と言えば、気骨ある人が市井のいたるところにいて産業を振興し、国家建設のために情熱を燃やしている官僚が天下を牛耳っている、と言う印象を持っていたのだが、どうもそうでもないらしい。お上は今の官僚と同じく、事なかれ主義、ご都合主義に流れている。それを打ち破るには、なんでもお上に任せるのではなく、正しい義を通すことである。今流に言えば官から民への流れをすすめている。そのためには国民が賢くならねばならぬ。と啓蒙している。こうした運動が、我々のイメージしている明治と言う時代を作り上げていったのかもしれない。
家父長制、議院制など社会システムの変更はもっと柔軟に行え、と彼はいう。学問は教養ではなく、実学(科学も含む)であるべきだ。と言い、自身も勧めを蹴って、政府に属さず慶応大学を創設し、新聞(時事新報)を発行し啓蒙活動を展開した。
これらの内容が、今もって当てはまると言うのが、古典たる所以だが、社会も根源のところでは、進歩が少ないのだ、と認識した書物であった。