朝、開会式。
孫の運動会の誘いを直接電話でうけ、上京した。当日は好天に恵まれ、開始予定時間10分前に学校に行ったが、もう教室(ここで昼食を取る)は殆ど、場所取りが行われていた。
それはさておき、この頃の運動会は大変である。我々の時代では、玉入れ、綱引き、騎馬戦、棒倒し、組体操、徒競走、クラス対抗リレー、などが、一学年8クラス4~500人で、行われていた。
この頃はクラスの数も、1学級の人数も減り、その3分の1以下の人数だ。見ているとなんとなく生徒の闘争意欲が薄いように思える。
まず応援合戦で相手にもエールを送る
そこでプログラムも色々工夫をしている。徒競走は学年により40M,90M,100Mと距離を変え、しかも予備競争をして、同じくらいの記録の者同士にクラス分けをしているようである。(おかげで孫は昨年のビリから一位と三位になった)
又こうした、競争だけでなく吹奏楽クラブのドリルや、応援合戦、ど真ん中祭りのような踊りをさせる。
金管クラブの演奏
しかも、紅白2つのグループに分け、順位によって付く得点を競わせる。刻々と得点の集計結果を発表して、競わせる。
また、運営に5,6年生を手伝わせ、生徒の誘導、道具やコースの整備、順位の確定、記録集計、アナウンス、など先生を手伝わせる。これは教育の一環だろう。
その上、都会の学校は環境に恵まれていないので、(地方の)我々の場合とは違う苦労をしている。第一校庭が狭い。一周400mのトラックが取れず、100mのトラックである。従って、校庭に観客席が殆ど取れない。3階建て校舎のベランダからの見学となる。自分の子供が出る時には前列で応援し、出ない時には他の人に席を譲る。昼食を取るのも教室だけでは足りないので、他の特別教室も使用せざるを得ない。というわけで色々使いまわしをせねばならない。そのせいか、今年からは、上履きの履き替えをなくした。相変わらずカメラ、ビデオの撮影大会の様相はあるが、一時期ほど、撮影競争出なくなり、皆さんお行儀が良くなった。
全校で競う大玉送り
今年は台風の接近が予測されたので、急遽プログラムを端折り変更した。これも苦労であろう。子供の中には知的障害とみられる子もいる。それらの子供も、一緒にグループ行動をさせようとする先生は大変である。少子化時代、親が一人の子供に掛ける思いは、我々の時代より重いのであろうか。先生の気苦労はここでも倍加している。
気楽に大声を上げて応援し、お昼のお弁当を食べるのが楽しみだ、と言う原始的な楽しみをすれば良い、という運動会とちょっと違ってきたような気がした運動会であった。時代は確実に変わってきている。
競技の最後を飾る紅白対抗リレー