5月10日(水)曇り【教育を考える、その3-可愛い子には食事をきちんと】
ようやく出かけられるようになって、勤めに行く途中、今朝も多くのママ達が子どもを保育園に預けに行く姿に出逢った。いつも時間帯が同じなので、出逢うのは同じ親子であることが多い。私は心の中で、ママさん達ご苦労様です、と言っている。そしてこんなに可愛い子供たちが、キレル子や、引きこもりの子や、労働意欲のない子に育たないようにと願わずにはいられない
昨日は小学校の教師になった青年から電話を貰った。今の子供たちは注意欠陥多動性障害(ADHD)という病気ではなかろうかという子が実に多いのだという。授業中じっとしていることのできない子、先生の話の聞けない子、教室を抜け出してしまう子、等々であるという。
脳の障害であると言われるが、私も一人そのような行動をとる子どもを知っているのだが、その子の生活を見てみると、後天的な要素が多いように見受けられる。先ず親がまともに食事を作らないのだ。朝ご飯も前日にコンビニで買って置いたおむすび一つ、お湯も沸かしてくれないという。その親は家のガスは一切使わないのだという。夕飯はどうするのかというと、外食である。炊事を作らないことが離婚の理由の一つだそうだが、その子の家は母子家庭である。
昨日の青年教師も言うことには、食事をきちんとしていない子が多いのだという。キレタり、ひきこもりやらの問題の根底に「食」のことがあるのではないかと、私は推察しているが、青年教師と話して、やはりそうであろうと思った。脳障害とか難しいことを言って、危ない治療薬を使うよりも、母親なり父親なり家の人が、きちんとした食事を与えてくれていれば、病的に動き回る子どもの数が減るのではないかと考える。
ご馳走であることはない。ご馳走はかえって毒である。肉体労働をするのでもない子どもに、肉食は一週間に一度で十分である。過度の肉食はかえってバランスを崩すだろう。伝統的に肉食の国にはそれなりのバランスのある伝統レシピがあるはずだ。それを知っているのならよいが、肉だけを料理するような食事では、子どものみならず大人でも心身のバランスを欠いて、切れやすい状態を招いてしまうのではなかろうか。
朝はお味噌汁と御飯さえきちんと料理してくれれば、おかずは簡単で充分。卵焼きやら納豆やらなんでも一品ありさえすれば充分なのだから、子どもに朝食を作ってもらいたい。それさえきちんとしていれば、問題の70パーセントは解決済みだとさえ思う。ただ電子レンジは非常に悪い。理屈抜きに悪い。どんな料理番組でも使っているが、キレル子どもにしたくなかったら、電子レンジは使わないことだ。私は理屈は分からないが断言する。
他にはテレビゲームをさせないこと。こんなものを作ったN堂もS社も責任は重大である。私の知っている子は学校に上がる前からテレビゲームの虜で、小学校に入ったら徘徊する子になっていた。テレビゲームはADHDの子どもを作ってしまうのではなかろうか。暴言であろうが、理屈抜きにそう思う。大人になってから、すくなくとも十五歳を過ぎてから、テレビゲームに興じるのなら、まだ被害は少ないだろう。
十歳までが子どもにとって、勝負と言える。十歳までの育て方で、その子の将来が左右されると言ってもよいだろう。私はお勉強の教育を論じるつもりはない。それは専門家に任せたいが、生活習慣やしつけの教育に目を向けたいのである。
牧野富太郎博士(1862~1957)にしても小学校も卒業はしていない。それにも拘わらず、植物博士として素晴らしい業績を残された。最近の中国には、高校には行かないで、好きな古典の研究をし、大学で講義をするほどの李里氏という人をテレビで紹介していた。その講義ぶりを映していたが、見事であった。勉強にはあくせくとすることは一切ない。競争社会というが、まずあなたから抜け出せばよいだけのことである。競争社会に子どもを走らせて、行き着く先が、その子を自殺に追い込むような馬鹿げたことを、親はしないほうがどれだけよいだろう。
実は子どもではなく、教育しなくてはいけないのは親だった。親たちを教育しなくては子供たちは救われないのだ。親を教育することを真剣に社会が取り組まないと、キレル子どもや、引きこもりの子たちがますます増えてしまうであろう。社会は行き着くところまで行かないと、どうしようもないのだろうか。毎朝出会うつぶらな瞳の子ども達が、楽しい人間として育ってくれるように、と願わずにはいられない。お節介な庵主の無駄な遠吠えである。
*ADHD:(Attention deficit hyperactivity disorder)注意欠陥多動性障害と訳される。注意力散漫、過度に活動的、衝動的行動を示す子どもたちの行動パターンについてつけられた病名。脳障害ではない。大人になっても症状は続くとされている。
一応世の中ではこのような名をつけているが、あまりに病名に拘らず、足元を見直す事が大事ではなかろうか。このような行動を示すお子さんを持ち、苦しんでいるご家族の方たちには心から同情いたします。なんとか治るといいですね。
ようやく出かけられるようになって、勤めに行く途中、今朝も多くのママ達が子どもを保育園に預けに行く姿に出逢った。いつも時間帯が同じなので、出逢うのは同じ親子であることが多い。私は心の中で、ママさん達ご苦労様です、と言っている。そしてこんなに可愛い子供たちが、キレル子や、引きこもりの子や、労働意欲のない子に育たないようにと願わずにはいられない
昨日は小学校の教師になった青年から電話を貰った。今の子供たちは注意欠陥多動性障害(ADHD)という病気ではなかろうかという子が実に多いのだという。授業中じっとしていることのできない子、先生の話の聞けない子、教室を抜け出してしまう子、等々であるという。
脳の障害であると言われるが、私も一人そのような行動をとる子どもを知っているのだが、その子の生活を見てみると、後天的な要素が多いように見受けられる。先ず親がまともに食事を作らないのだ。朝ご飯も前日にコンビニで買って置いたおむすび一つ、お湯も沸かしてくれないという。その親は家のガスは一切使わないのだという。夕飯はどうするのかというと、外食である。炊事を作らないことが離婚の理由の一つだそうだが、その子の家は母子家庭である。
昨日の青年教師も言うことには、食事をきちんとしていない子が多いのだという。キレタり、ひきこもりやらの問題の根底に「食」のことがあるのではないかと、私は推察しているが、青年教師と話して、やはりそうであろうと思った。脳障害とか難しいことを言って、危ない治療薬を使うよりも、母親なり父親なり家の人が、きちんとした食事を与えてくれていれば、病的に動き回る子どもの数が減るのではないかと考える。
ご馳走であることはない。ご馳走はかえって毒である。肉体労働をするのでもない子どもに、肉食は一週間に一度で十分である。過度の肉食はかえってバランスを崩すだろう。伝統的に肉食の国にはそれなりのバランスのある伝統レシピがあるはずだ。それを知っているのならよいが、肉だけを料理するような食事では、子どものみならず大人でも心身のバランスを欠いて、切れやすい状態を招いてしまうのではなかろうか。
朝はお味噌汁と御飯さえきちんと料理してくれれば、おかずは簡単で充分。卵焼きやら納豆やらなんでも一品ありさえすれば充分なのだから、子どもに朝食を作ってもらいたい。それさえきちんとしていれば、問題の70パーセントは解決済みだとさえ思う。ただ電子レンジは非常に悪い。理屈抜きに悪い。どんな料理番組でも使っているが、キレル子どもにしたくなかったら、電子レンジは使わないことだ。私は理屈は分からないが断言する。
他にはテレビゲームをさせないこと。こんなものを作ったN堂もS社も責任は重大である。私の知っている子は学校に上がる前からテレビゲームの虜で、小学校に入ったら徘徊する子になっていた。テレビゲームはADHDの子どもを作ってしまうのではなかろうか。暴言であろうが、理屈抜きにそう思う。大人になってから、すくなくとも十五歳を過ぎてから、テレビゲームに興じるのなら、まだ被害は少ないだろう。
十歳までが子どもにとって、勝負と言える。十歳までの育て方で、その子の将来が左右されると言ってもよいだろう。私はお勉強の教育を論じるつもりはない。それは専門家に任せたいが、生活習慣やしつけの教育に目を向けたいのである。
牧野富太郎博士(1862~1957)にしても小学校も卒業はしていない。それにも拘わらず、植物博士として素晴らしい業績を残された。最近の中国には、高校には行かないで、好きな古典の研究をし、大学で講義をするほどの李里氏という人をテレビで紹介していた。その講義ぶりを映していたが、見事であった。勉強にはあくせくとすることは一切ない。競争社会というが、まずあなたから抜け出せばよいだけのことである。競争社会に子どもを走らせて、行き着く先が、その子を自殺に追い込むような馬鹿げたことを、親はしないほうがどれだけよいだろう。
実は子どもではなく、教育しなくてはいけないのは親だった。親たちを教育しなくては子供たちは救われないのだ。親を教育することを真剣に社会が取り組まないと、キレル子どもや、引きこもりの子たちがますます増えてしまうであろう。社会は行き着くところまで行かないと、どうしようもないのだろうか。毎朝出会うつぶらな瞳の子ども達が、楽しい人間として育ってくれるように、と願わずにはいられない。お節介な庵主の無駄な遠吠えである。
*ADHD:(Attention deficit hyperactivity disorder)注意欠陥多動性障害と訳される。注意力散漫、過度に活動的、衝動的行動を示す子どもたちの行動パターンについてつけられた病名。脳障害ではない。大人になっても症状は続くとされている。
一応世の中ではこのような名をつけているが、あまりに病名に拘らず、足元を見直す事が大事ではなかろうか。このような行動を示すお子さんを持ち、苦しんでいるご家族の方たちには心から同情いたします。なんとか治るといいですね。