風月庵だより

猫関連の記事、老老介護の記事、仏教の学び等の記事

画家と詩人 ヘルマン・ヘッセ展

2006-05-27 18:00:04 | Weblog
5月27日(土)雨【画家と詩人 ヘルマン・ヘッセ展】

久しぶりに一日休みがとれた。世田谷文学館のヘルマン・ヘッセ展が明日までなので、思い切って母と出かけた。「何とか食べていけるの?」と心配してくれているような優しい高校時代の恩師が送って下さっていた招待券があったので、このような企画があることも知り、ヘッセ(1877~1962)に久しぶりに触れることができたのである。

ヘッセの作品はほとんど高校時代に読破していた。『車輪の下』 『デミアン』 『ナルチスとゴルトムント(知と愛)』そして『シッタルダ』等々。私の感性がまだみずみずしい頃、夢中になって読んだことを思い出す。出家してからも『シッタルダ』も読み返したし、師匠がお好きだと言われた『デミアン』なども読み返している。

思えば私の感性も、ヘッセによってもどれほど育てられたか分からないと言えよう。世界中の多くの人が影響を受けた作家であり、詩人である。しかし、その人の画家としての一面には全く触れることなくきていたが、今日は、お陰様で、ヘッセが描いた、やわらかな、透き通るように澄んだ、あたたかい、静かな、そんな水彩画に出逢ってこられた。ヘッセは2000枚近い水彩画を残したという。


このような企画が明日で終わりなので、もっと早くにご紹介できればよかったのであるが、東京在住の方で、明日いらっしゃれる方は、是非。(会場で名古屋からこのために来られたという人に出会った。)

世田谷文学館:京王線芦花公園駅南口から徒歩5分
       10時~6時(但し入場は5時半まで)


*絵はお見せできませんが、詩を写してきましたので、ご鑑賞下さい

老いてゆく中で
若さを保つことや善をなすことはやさしい
すべての卑劣なことから遠ざかっていることも
だが心臓の鼓動が衰えてもなお微笑むこと
それを学ばなくてはならない

それができる人は老いてはいない
彼はなお明るく燃える炎の中に立ち
その拳の力で世界の両極を
曲げて折り重ねることができる

死があそこに待っているのが見えるから
立ち止まったままでいるのはよそう
私たちは死に向かって歩いて行こう
私たちは死を追い払おう

死は特定の場所にいるものではない
死はあらゆる小道に立っている
私たちが生を見捨てるやいなや
死は君の中にも入り込む

『人は成熟するにつれて若くなる』(岡田朝雄訳 草思社)所収

すべての人間の生活は
自己自身への道であり
一つの道の試みであり
一つのささやかな道の暗示である
どんな人もかつて完全に彼自身ではなかった
しかしめいめい自分自身になろうと努めている
ある人はもうろうと
ある人はより明るくめいめい力に応じて

『デミアン』(高橋健二訳 新潮文庫)所収

ヘルマン・ヘッセ年譜
1877年 7月2日、ドイツの北の町、カルプに生まれる。
1891(14才)難関を突破し州試験に合格。マウルブロン神学校に入学する。
1892(15才)高等学校に入学するが、退学してしまう。失恋による自殺未遂。
1895(18才)チュービンゲンの書店の見習い店員となる。
1899(22才)スイスにあるバーゼルの書店に移る。 
1904(27才)小説『ペーター・カーメンチント(郷愁)』を出版。
         一躍人気作家となる。
         マリーア・ベルヌーリと結婚。ボーデン湖畔ガイエンホーフェンに移住。
1905(28才)『車輪の下』出版。
1909(31才)この頃から絵を描き始める。
1911(34才)マレー・セイロン・スマトラに旅行する。この年三男が産まれる。
1912(35才)スイスのベルンに移住。
1914(37才)第一次世界大戦。兵役に志願するが、近視のため不合格になる。反戦。
1916(39才)『青春は美わし』出版。捕虜のために人道的な見地から闘う。
         この頃、父の死や、妻の精神病悪化。ヘッセ自身も神経症の治療をうける。
1917(40才)『デミアン』を執筆。2年後出版。
1919(42才)イタリア国境に近いモンタニョーラに移住。
1920(43才)『シッタルダ』執筆。翌年出版。
1923(46才)マーリアと離婚。
1924(47才)ルート・ヴェンガーと結婚。
1927(50才)ルートと離婚。『荒野の狼』出版。
1931(54才)友人が建ててくれた家(カーサ・ヘッセ)に移り住む。
         ファンでもあったニノン・アウスレンダーと結婚。彼女と終生を共にする。
(*50才以降も多くの詩集や作品を発表し続ける。)
1946(69才)ノーベル文学賞受賞。
1962(85才)8月 モンタニョーラの自宅、カーサ・ヘッセで永眠。

*『ヘッセの水彩画』(平凡社2004年刊)に載せられた年譜をもとに、さらに簡単にした年譜を紹介したが、ヘッセの生涯も特に若い頃はたやすいものではないし、おちこぼれとも言える。(この表現お許しを。そう言われる若者を勇気づけたいのだ。)また詩人の魂は孤独との戦いであったろう。我々も社会のレールに乗れなかったと言っても、ヘッセに勇気づけられて、詩人の魂を失わずに生きていこう。詩人の魂は誰にでもある。詩人の魂とは、天地から頂いたこの命を信じつづける心と、私は言おうか。詩人の魂とは、なにか、それぞれの言葉があると思いますが。

*ヘッセの従兄弟(母方の叔父の息子)ヴィルヘルム・グンデルトに『碧巌録』のドイツ語訳がある。