ブログ「風の谷」  再エネは原発体制を補完する新利権構造

原発事故は放射能による公害。追加被曝阻止⇒放射性廃棄物は拡散してはいけない⇒再エネは放射能拡散につながる⇒検証を!

鎌仲ひとみ監督はグループ現代の子会社の取締役。自然エネとものの考え方を同時に普及。

2015-02-18 | 再生可能エネルギー

前記事の続きです。

【文字起こし】鎌仲ひとみ監督が六ケ所村でしたことについての本人の発言を確認する。

 

http://www.earthday-chofu.sakura.ne.jp/earthday2009/kamanaka.html  と http://888earth.net/introduction.html  より

鎌仲ひとみ(映像作家)

富山県氷見市出身。

1984年  早稲田大学卒業後、(株)グループ現代と 助監督契約を交わす

1987年  岩波映画製作所と助監督契約をする。以後フリー ランスの監督として活動を続ける。

1990年~1993年10月 文化庁芸術家海外派遣 助成金を受けて、カナダ国立映画製作所へ。
     その後ニューヨークへ行き、メディア・アクテビィスト活動をする。

1995年   帰国してからは、フリーの映像作家として活動を続ける。

2003年   東京工科大学メディア学部准教授に就く。その後も映像作家として活動を続けている。

2003年      ドキュメンタリー映画「ヒバクシャー世界の終わりに」を監督。国内外で受賞、全国400ヶ所で上映。

2006年     「六ヶ所村ラプソディー」は国内外650ヶ所で上映。

2010年  「ミツバチの羽音と地球の回転」も全国600ヶ所での上映に加え、フランス・ドイツ・オーストラリア・インド・アメリカ・台湾など海外でも上映が進んでいる。

2011年3月11日(午前) 再生可能エネルギー特措法 閣議決定

2011年3月11日(午後)  東北大震災 福島原発事故

2011年度  全国映連賞・監督賞受賞。

2012年     DVD「内部被ばくを生き抜く」発売開始。国内外800ヶ所で上映。 

2014年 「小さき声のカノン-選択する人々」

多摩美術大学非常勤講師。京都造形芸術大学客員教授。



 

映画「ヒバクシャ 世界の終わりに」(2003)   制作:グループ現代

映画「六ケ所村ラプソディー」(2006)           制作:グループ現代

映画「ミツバチの羽音と地球の回転」(2010) 制作:グループ現代

http://www.g-gendai.co.jp/company/ 

「グループ現代」の子会社は「環境テレビトラスト」 住所も同じです。

「環境テレビトラスト」の取引先は、原子力ムラから原子力マネーが流れ込む博報堂。 

原子力マネー⇒博報堂⇒環境テレビトラスト

 http://etvkk.com/about/   環境テレビトラストの取締役は鎌仲ひとみ氏

キネマ旬報2006年 5月号 より    リレー・エッセイ  映画と私 鎌仲ひとみ より抜粋

  

映画『ヒバクシャ~世界の終わりに』予告編 

映画『六ヶ所村ラプソディー』予告編

映画『ミツバチの羽音と地球の回転』予告編

 


さらにこの対談をご覧下さい

ネットワーク『地球村』代表 高木善之氏と鎌仲ひとみ氏との対談

地球村の理念は「非対立」http://www.chikyumura.org/about/ 

高木善之氏は元パナソニック http://www.chikyumura.org/about/head.html 

※パナソニックは太陽光パネルメーカー

 

http://www.chikyumura.org/about/conversation/2011/02/01232934.html

2010年2月号 ドキュメンタリー映画監督 鎌仲ひとみ

3本のドキュメンタリー映画『ヒバクシャ 世界の終わりに(2003年)』『六ヶ所村ラプソディー(2006年)』『ミツバチの羽音と地球の回転(2010年)』を発表し、エネルギーと核の問題を撮り続けてきた鎌仲ひとみ監督。原子力発電ではなく他にもっと豊かで幸せな選択があること、地域のエネルギーを自給自足させること、小規模コミュニティの自立など、目指す方向は『地球村』と一緒です。

■日本の家族は病んでいる

高木:私が鎌仲さんのお名前を耳にするようになったのは『ラプソディー』の頃です。『地球村』の仲間たちが自主上映会をするようになって、私も映画を拝見しました。

明確な反対や抗議要求という視点ではなく、客観的に問題を伝えようとしている点が印象的でした。そこが『地球村』の理念と共通するので、『地球村』の方々の鎌仲作品上映率は高いと思います。

鎌仲:そうなんです。全国各地で上映していただく中で、高木さんのお名前が本当によく出るんです。以前から、高木さんとはつながっているなあという感覚を持っていました。

高木:鎌仲さんがこうしたテーマで作品を撮るようになった経緯をお話しください。

鎌仲:91年からカナダとニューヨークで映像のプロになるために修業をしていたんです。95年に帰国してその時に阪神大震災が起きて、神戸にボランティアに行きました。アレルギーを持った子どもたちが避難所で食べるものがないというので、アレルギー対応食を届けるボランティアでした。そこで震災の医療記録を作りたいという岩波映画のプロデューサーから声がかかって、帰国第一作の映像を撮りました。その作品が科学技術省長官賞をとって、NHK教育テレビで放送されました。そこからNHKとつながりができて、企画を持ち込むようになりました。避難所で、日本の家族は壊れているんじゃないかと感じることがあって、そこからAC(アダルトチルドレン)などをテーマに番組を作らせていただきました。

高木:ACは急増していますね。いまや日本中の家族が壊れているんじゃないでしょうか。

鎌仲:そうです。これはヤバいなと思いました。

(中略)

■持続可能なコミュニティを

鎌仲:そういう意味では、祝島のおじいちゃん、おばあちゃんたちは、自然の中で暮らしています。

高木:まさに自然と不自然との対立だね。私は、鎌仲さんの作品は、自然と不自然の対立を描いているんじゃないかと思っています。これからも自然か不自然かを意識して作っていってくださいね。

鎌仲:ぜひそうしたいと思っています。不自然さの究極はお金ですよね。祝島に提示された漁業保証金は総額10億8000万円。一見すごい金額だと思うけれど、この反対運動を展開している28年間で割って計算してみたんです。すると漁師さん一人当たり、年間50万円だったんです。億っていわれると迷うけれど、50万円といわれるとスケールが戻ってきて、目の前の海を見たときに、50万円より、海の方が大事だよなあって気付くんです。

高木:もちろん、豊かな海を失う方がはるかに犠牲が大きいよ。長崎の諫早問題では、豊かな海が選択されてよかったね。昔、諫早では『地球村』の人たちが「焼け石に水作戦」をやったんですよ。毎週毎週、堤防の内側に潮水をバケツリレーするという非対立のアクションを続けたんです。

鎌仲:あ、それ、いいですねー。何か祝島でもできるアイデアはありませんか。

高木:現地を見てみないとイメージがわかないけど、反対運動そのものでないほうがいいですね。熱気球大会とか、凧揚げ大会とか…。

鎌仲:熱気球!いいですね!上空から海や湾を見るんですよ。いかに豊かな自然かということを。

高木:それを映画にしてください。私が30年続けてきた活動は、『地球村』、つまり小規模で自立型、地域調和型の社会の実現です。食べ物、エネルギーなどが地域で循環できるコミュニティを作ることなんです。祝島ではそれが可能だと思います。

鎌仲:祝島が原発を押し返すことができたら、ものすごい成功例になります。高木さんと思いは同じだと感じました。2月に東京でロードショーがあるんですが、応援いただけますか。

高木:いいですよ。


 

原発事故前から、自然エネルギー推進と同時に、「原発”反対”運動をしない」つまり、

「対立を避ける」というものの考え方が、原発をなくしたいと願う善意の市民に対して

映画を使って広められていったということがわかります。

これこそまさに、自然エネルギープロパガンダです。

そして同じような考え方の脱原発を目指す市民が、2011年311以降、

映画上映会などを通じて、一気に自然エネルギーを検証もせずに進めてきたということです。

”原発に代わる”自然エネルギーという言葉、環境NPOや有名人、著名人を盲信して。







【文字起こし】鎌仲ひとみ監督が六ケ所村でしたことについての本人の発言を確認する。

2015-02-18 | 再生可能エネルギー

この動画は震災がれき焼却反対運動真っ只中の、北九州市議選のときに小倉で行われた、トークセッションの模様です。 

2013/01/06 「100人の母たち」 スライドショー&トークセッション 亀山ののこ×鎌仲ひとみ×村上さとこ

http://www.ustream.tv/recorded/28273710

 

この動画の中で鎌仲氏がスライドを使って、放射能の危険性を伝えながら、同時に自然エネルギーも推進していました。

鎌仲氏のトークセッションでの発言を抜粋し、文字起こししました。 (話し言葉にできるだけ忠実に)太字は管理人。

事実をご覧下さい。

 

1:35あたり~ 

 

いかに自分たちと違う考えの人とコミュニケーションするかっていうことなんですけど、

これは、私は勝手に「ストッパーはずし」と呼んでるんですけど(笑)、それはどういうことかって言うと、

「六ケ所村ラプソディー」を作るときに

私は「ヒバクシャ」って映画を作って放射能というものがいかに微量でも危険か、そして健康とか子どもに害をまず与える、

ということを身にしみて痛いほどわかっているんですけど、

でも、六ケ所に入っていくと、六ケ所のほとんどの人たちは、それに無関心だし、知らないし、

推進している人たちは圧倒的に力を持ってるわけじゃないですか。

そうすると、

 

その人たちを“敵”と思わない

その人たちを“変な人たち”と思わない

その人たちを“無知な人たち”と思わない

 

そういうの、結局、「思い込み」とかって言うんですよね。その「思い込み」がストッパーなんですよ。 

何のストッパーかというと、相手を本当に理解するチャンスとか回路をストップさせていく、コミュニケーションのストッパーなんですよ。

で、全部取り外して、本当にまっさらになって「教えを請う」という。

 

「原発そんなにいいんですか~」

「がれきを燃やすってことって、そんなにいいんですか~」

「どんなにいいのか教えてください~」

っていうのを、私は六ケ所村でやったんですよ。

 

「素晴らしいやり方ですね!」(村上)

 

そうしなければ、それまで原発に反対してきた人たちは、

「六ケ所村の推進派は金に魂を売った」と。「悪いやつらだ」と。「俺たちは反対してるから正義だ」と。

だから、どんだけ罵倒してもいいし、罵ってもいいんだという思いを持った人たちが結構たくさんいたんですよ。

 

私は新参者なので、ビックリしちゃって、「え??」と。

 

「そんなことで本当にコミュニケーションできるのか?」

「そういう人と付き合いたいと思うだろうか?」

と思ったら、「思わない」と思いましたよ。

 

やっぱりそれは、私の中に原発に反対するネガティブな考え方があったとしても、ちょっと置いて

相手の身になって、相手の立場からだとどう見えるのかな~っていうのを想像して、そしてそこでつながってみようと。

 

相手を理解したい、あなたがそういうふうに考えるに至ったのか知りたいと、

そういうアプローチをものすごく1年間、地道に地道にやってきていたら、ようやく、こうポツポツと話してくれるようになった。

その中身は、

「あ、この人たちをマスコミは推進派と呼んでいたのか。そうじゃないじゃないか。これはサバイバルだ」と。

 

なぜなら、そこで農業をやって生きていく道を、つまり土地を高いお金で買い叩いて、

「土地なし農民」にした上で、実はそこには工場を建てるって言っときながら核施設を持ってきたわけですよ。

土地を売った後だから、だまされちゃって。

でも、その土地を売らないという抵抗もできないし、

売ってしまった後なので、そこで働こうと思っていたから収入の道もないし、

そこで働くしか家族を養えないとしたら、その職を掴む。

 

漁民は機動隊が来て漁業権を手放さないと言ってる人を踏み潰して全員逮捕した。刑務所にぶち込んで。

そんな、田舎で刑務所に入れられたら大変ですよ。

そうやって抵抗派は潰されていって・・。

 

例えば漁業組合の組合長は、青森県の行政マンが、黒塗の車で迎えに来て、温泉街で芸者をあげる。

散々、遊興させて、それで骨抜きにしたんですよ。青森の再処理工場を誘致するときは。

 

そういうふうにやった結果、普通の人たちは、一般庶民は何もできなかった。

あれよあれよという間に、そういう人たちが決めてしまった。

自分たちは無力だと思うんですよ。

無力なのに2兆5000億円もの企業が来て、自分たちがそのおこぼれにでもあずからなかったら

自分たちが貧乏くじをひかされる甲斐がないわけですよ。

何らかのメリットを自分たちが、自分の力でそこで得ていかなかったら、

サバイバルしなかったら、そこに食い込んでいかなかったら、

自分たちは負け犬ですよ。

 

あたかもそれが「推進」。どうしても推進の立場に立たなければ仕事をもらえないわけじゃないですか。

そういう構造が見えてきた時に、その人たちがやってるのかと。そうじゃないんですよ。

放射能のこととか原子力の全体性について理解してないんですよ。

 

そこをやっぱり説いていって話していかないと、つながる場所がどこにもないんですよ。

私たちはつながらなければ、私たちは少数派なので、

やっぱり何かひとつのことを、この地域の中で成し遂げたい。

 



会場に行った人から聞いた話です。

 

● 亀山ののこさんの写真集は会場でたくさん売れていた。

●来場者は避難者中心で若いお母さんたちが多かった。

●選挙の応援に来てる人もいた。

 

(株)エス・エー・エス発行「月刊ハイゲンキ」 
2006年5月号
  より 

 

 

 

 「六ヶ所村ラプソディー」が完成した2006年の時点で、上のような非常に曖昧な答えに終始。