ブログ「風の谷」  再エネは原発体制を補完する新利権構造

原発事故は放射能による公害。追加被曝阻止⇒放射性廃棄物は拡散してはいけない⇒再エネは放射能拡散につながる⇒検証を!

数百種類の放射性核種が環境中に存在する東日本。西日本に住んでいても吸気被曝・大気汚染を直視する。

2014-01-01 | 放射能汚染

放射性物質がついたスリッパ http://mphoto.sblo.jp/article/76670689.html

動画 文字おこし

 
フェアウィンズ・アソシエーツの設立者、会長のマギー・ガンダーセンです。 今回は、スペシャルゲストのマルコ・カルトフェン氏です。
放射線化学とモニタリングの専門家で、マサチューセッツ, WorcesterのWorcester Polytechnic Institute大学の客員教授です。
カルトフェン氏が、はじめに研究内容と自己紹介をされます。
皆さんから何百ものEメールを頂いております質問、放射線についてお答えしたく思います。
私は法律パラリーガルで、他の専門家たちもこの財団で働いておりますが、我が財団より放射能について深い研究をされている他の専門家に、お聞きしたく思います。
私の夫、アーニー・ガンダーセンは、原子炉の専門家で、福島原発事故で起こったこと、発生した放射能がつくる問題、米国の他の原子炉の問題についての解説をしました。
マルコ・カルトフェン教授は、放射線が出てどうなるか、放射線は何処へいくのかを語ります。
マルコさん、出演ありがとうございます。

どういたしまして!私はWorcester Polytechnic Institute大学で、核の降下灰(フォールアウト)と、遠距離飛散した放射能の追跡の研究をしています。福島の放射能の放出で、最も興味深い事は、一般的な放射線許容量について聞かれることです。 

たとえば車の窓からのガイガーカウンターでの計測を考えますと、マイクロスコープやナノスケール・サイズの高放射性粒子は、小さ過ぎて風に吹かれて、時には非常に遠隔地まで飛散します。調査したところ、100マイルや1,000マイルの場所まで飛散します。

何が起こるのかと言えば、日本では放射能被曝地域から、人が車で移動して粒子が移動しています。 

これらの放射性粒子は世界中に移動しています。あなた方がそれらを吸えば、体が放射性粒子を運びます。それはまったく違う影響を与えます。 放射性物質の種類の背景はともかく、重要なのは、食べたり息を吸ったりしたときに体に取り込んでいるのです。

これは非常に興味深いことを聞かせていただきました。皆さまからの多くの質問ですが、歯科レントゲンとの違いはなんですか?

歯科レントゲンは、セットモニター放射線で、誰がどの種類の放射線を浴びるか予測できます。

放射性粒子は全然違います。個々の粒子は明らかに違う量の放射線です。身体に入るとダメージを与え始め、細胞や組織を痛めつけます。 放射性粒子は細胞に生き残り、強力に腫瘍に変化します。ですから、どのように放射性粒子が移動するかを心配しています。

もし、その様な放射性粒子を避けたければ、粒子が飛散したどこの空気を呼吸するか、どこの食物や水を取るのかという、我々の行動により違いが出てきます。放射性粒子の影響は、それが遠くに移動してもそう違いはありません。

すでに他の学者が発表したように、ここ米国でも空気中に粒子が、そして日本でも多くの粒子が観測されています。アメリシウム、ユーロピウム、ビスマス、ウラン他の放射性粒子が、日本の空気中と土壌から、米国西海岸や他の地域から見つかっています。 

私が、マルコさんのおっしゃったことを正確に理解したとしますと、たとえば、たばこから出る放射性物質は、体内からのものとおっしゃるのですか?

そうです。たばこを長期間吸うことにより、自然放射性が体内から出ます。これにはいろんな要因があり、たばこで肺がんになることが知られています。 

飛行機での旅行や胸部レントゲン撮影の放射線と、今回の放射線は同程度だとよく最近聞きますが、どう違うか説明して頂けますか?

もちろんです。これらは短期間の被ばくで、飛行機は数時間、レントゲンは瞬間で終わります。 

問題なのは、飛散している放射性粒子は、家に入り込みリサイクルして、継続して人々を被曝させます。この放射線被曝は、数時間や瞬間で終わらない。継続しています。 

被曝したら、強力に放射性物質は体内に一生残ります。放射性粒子による塵及び、追加計測による放射線の減少を見分けるのが重要です。

たとえば、この汚染地域に住んでいる人たちは、放射性物質を取り込んでいるし、呼吸する時に放射性物質は見えませんね。 

なにが起こっているかと言えば、これらの放射性粒子は、表面近くに張り付き、服、肌、コンクリート、カーペット、植木などにも張り付きます。ですから、被曝を減らしたければ、粒子の最初の飛来場所、服をきれいにする、影響受けた土壌を取り除く。とにかく、長期間の放射線被ばくを減らすことです。

放射性物質汚染は、日本だけですか、世界中ですか?  

我々は、米国内でも同様の放射性物質サンプルを確認しています。我が大学が設置した空気中放射性物質観測装置で、西海岸、東海岸、ハワイ、そして日本でも。日本で観測された放射性物質は、ヨウ素、セシウム、アメリシウムも含まれます。同じ現象が、米国でもあります。はっきりと福島原発事故関連の放射性物質です。 

これは深刻ですね。もう少し説明していただけますか?放射性粒子の塵は、フクシマから拡散して、北半球、又は地球全体へ行くのですか?

北半球が主ですね。1960年代には、我々は大気中で核実験をしていました。北半球で爆発すれば、放射性物質は北半球で確認された。米国、北アメリカ、同緯度の日本でもです。ですから、我々はここ米国でもっと多くの放射性物質の塵を確認しました。同じルールで、今述べたのと同種類レベルのことが、日本と世界中で、50年から60年代の核実験の期間よりおそらくもっと広く起こっています。 

今のフクシマの放射性物質の拡散レベルは、50-60年代の核実験期間より広範囲ですか? 

日本が受けている放射線物質量に関しては、そうです。我々は、米国にはどの程度の放射性物質が来ているかを考察しなければなりません。考慮すべきは、存在する放射性粒子の塵は、どこかの場所へ飛来し、誰かを継続的に被曝ばくさせているのです。物質を研究室で調査実験して、どの程度大きな問題に米国でなるのかを調べなければなりません。物質は、間違いなく米国で確認されており、食物と植物の種類ごとの調査をして、どのような深刻な問題を引き起こすかどうかを調べます。 

なにを食べて、なにを育てていいのかの情報はありますか?先ほど、教授は土壌汚染についておっしゃりましたが、何百人もの庭を持つ人達から、多くの質問がきています。 

半減期の長い物質、セシウムのような放射性粒子は、長期間留まり影響します。セシウムの影響はテストされ、ポタシウム(カリウム)の土壌への影響と同じです。多くの庭師の方がお馴染みのカリウムを基礎とした科学肥料はこれを含んでいます。放射性粒子セシウムが、カリウムと混ざっているのです。それらが、カリウムの代わりに吸収されるのです。

これは憂慮すべきで、どの程度植物に影響をあたえるかを、市場に出る前にサンプリング検査すべきです。この事は、ブリティシュ・ペトロリアムの原油流失海上汚染と同様で、FDAAと独立調査機関、私の研究所もシーフードやオイスター、蟹を検査しています。

放射性物質拡散の影響に多くの調査力が必要です。なぜなら、ひとつの国家だけの問題ではなく、国際的な問題だからです。

しかし、わたしはEPAの資料を読みました。“魚の検査はしないし、いくつかのモニタリング調査は終了した。”私たちはどうしたらいいのでしょうか?

私も現時点で、牛乳の検査を除く、魚と農産物の検査結果のどんなデーターも観ていません。牛乳の成分への放射性物質レベル検査はあり、なぜならヨウ素は日々の食品に濃縮されるからです。我々は、この検査を広げる必要があります。穀物は、より繊細で放射性粒子の塵に影響を受ける。

我々は、本当に満足いく、どんな決まった放射線数値も知らされていません。 

では市民は、現時点でどうすべきだというのです? 

市民が、長い間、科学的粉塵と戦ってきたことを思い出すべきです。公的教育は、医療的に子供たちへの粉塵公害の排出を減らしてきた。これは大きな公衆健康問題で、この問題に対処し、正していく行動をしてきました。

我々は、これらのデーターが主に示すように、大規模で同程度の公衆健康を守り、放射性物質の粉塵の影響を減らす方法を探すべきです。まず、最初のステップは検査です。数量に関係なく、どの程度進め、どの程度的確な行動をするかです。 

視聴者やリスナーへの回答として、人々は今、なにをすべきでしょうか?私は、市民に、市長、知事、州の研究所と最も重要なのは連邦研究所にコンタクトしなさいと言っています。観測システムが、我々を守ってくれますとも。的が合っていますか? 

部分的には、合っていると思います。私は、日本に住む人達と、放射性物質の影響のある地域の人達にこう言います。単純です。食物を準備する前に手をよく洗うこと。これは、ここ米国でも言えることです。

他の問題として、我々はいくつかの検査ができることです。落ちてきた放射性物質を、食物からの取り除く方法、農作物を観察して確認して、汚染が拡散するのを防ぐことです。 

この放射性物質は、すべて周囲にあるのですね? 

はい。 

どういう意味があるのですか?家のドアのところで靴を脱ぐ、汚れた服を家の中に入れない、このようなことですか? 

いい答えですね。研究所では、いろんな塵の計測をします。外への放出を防御しています。そのような塵を家の中に入れたりしたくないでしょう。約70%の家の塵は、家のすぐ周りからの汚い塵です。塵の家の内への侵入を減らすことが出来ます。いわゆる家の放射線を考えてみてください。 我々は、特に原発事故の前から、それを防ぐ少しの経験があります。我々は、余分な放射性物質の計測をしなければなりません。これらは、我々が家に入る前に防げば、拡散していきません。 

なるほど論理的ですね。このような場合はどうでしょう?日本や米国で、夏季に外出したり、夏休みに屋外活動するのはどうですか? 

難しい質問ですね。特に日本に住む人達には、外出して新鮮な空気を吸ったり、運動したり、新鮮な食物を食べるのは、放射線リスクを伴います。

人類が核実験していた期間に、わかっていることは、時には天候により一定の地域に影響を及ぼし、まれに核爆発があった地域から遠隔地でも影響がありました。

ですから、放射性物質の観測をしなければなりません。この放射性物質の影響は、オゾン層の破壊による影響が、夏の暑い日に大都市であるのと同じです。もし、運動したければ、おそらく翌朝にした方がよいでしょう。

なるほど、わかりやすいですね。日本の県、米国の州、カナダの県で、このようなプロセスについて公式に広報が必要ですね。

 まったくその通りです。 なぜなら、たとえあなたがガイガーカウンターを持っていても、窓に向けた計測機は役に立ちません。空気中の放射性物質の塵の計測は出来ません。通常、空気中の放射性物質の塵の計測には、もっと高価な計測装置が必要です。それは難しいことなのです。

ですから、我々は、政府に向かって、政府機関にこの観測をするよう請求すべきです。非常に深刻なことです。日々この観測情報を得なければなりません。

マルコさん、大変ありがとうございました。また次回の出演を望みます。私たちは、通常もっと多くの質問があり、もっと共有したい情報があり、迫りくる問題がありましたら、その見解をください。

我々は、継続して放射性粒子について研究しています。もっと多くのデーターが集まりましたら、すぐに公開していきます。インタビューして頂き、ありがとうございます。 

こちらこそ、ありがとうございます。 フクシマで実際に起きていることに関して、人々が知りたい事にお答えいただき、ありがとうございました。


 

(管理人より) 元旦から、吸気被曝のことを忘れないように記事にしておきたいと思います。

200種類以上の核種が無管理の状態で環境中に、膨大に存在し、浮遊する東日本。現在、そこに人が住んでいても、住んでいなくても、その事実にかわりはありません。放射性セシウムだけでチェルノブイリの3倍です。どこで何を吸ってしまうかわからない状況。崩壊系列をみると、一粒でも微粒子を吸わないようにしなければならないことがわかります。安定するまで何度も崩壊を繰り返し、その都度、放射線をゼロ距離で放出。

西日本に住んでいても、重金属汚染された廃棄物を燃やす工場やゴミ焼却場の周辺地域などは、一定、重金属のPMが排出されていますので、もし、福島由来の放射性微粒子が風向きなどで流れ込んだときに吸い込めば、複合汚染で、より悪い影響が出ることが懸念されます。

 

 

 

 

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元旦に 松下竜一さんの「暗闇の思想」を読む 2014年

2014-01-01 | 日記

 

 

暗闇の思想         松下竜一

 あえて大げさにいえば、〈暗闇の思想〉ということを、この頃考え始めている。比喩ではない。文字通りの暗闇である。

 きっかけは電力である。原子力を含めて発電所の公害は、今や全国的に建設反対運動を激化させ、電源開発を立ち往生させている。

 もともと、発電所建設反対運動は公害問題に発しているのだが、しかしそのような技術論争を突き抜けて、これが現代の文化を問いつめる思想性をも帯び始めていることに、運動に深くかかわる者なら既に気づいている。

 かつて佐藤首相は国会の場で「電気の恩恵を受けながら発電所建設に反対するのはけしからぬ」と発言した。この発言を正しいとする良識派市民が実に多い。必然として、「反対運動などする家の電気を止めてしまえ」という感情論がはびこる。「よろしい、止めてもらいましょう」と、きっぱりと答えるためには、もはや確とした思想がなければ出来ぬのだ。電力文化をも拒否出来る思想が。

 今、私には深々と思い起こしてなつかしい暗闇がある。10年前に死んだ友と共有した暗闇である。友は、極貧のため電気料を滞納した果てに送電を止められていた。私は、夜ごとこの病友を訪ねて、暗闇の枕元で語り合った。電気を失って、本当の星空の美しさがわかるようになった、と友は語った。暗闇の底で、私たちの語らいはいかに虚飾なく青春の思いを深めたことか。暗闇にひそむということは、なにかしら思惟を根源的な方向へとしずめていく気がする。それは、私達が青春のさなかに居たからというだけのことではあるまい。皮肉にも、友は電気のともった親戚の離れに移されて、明るさの下で死んだ。友の死とともに、私は暗闇の思惟を遠ざかってしまったが、本当は私達の生活の中で、暗闇にひそんでの思惟が今ほど必要な時はないのではないか、とこのごろ考えはじめている。

 電力が絶対不足になるのだという。九州管内だけでも、このままいけば毎年出力50万キロワットの発電所をひとつずつ造っていかねばならぬという。だがここで、このままいけばというのは、田中内閣の列島改造政策遂行を意味している。 年10%の高度経済成長を支えるエネルギーとしてなら、貪欲な電力需要は必然不可欠であろう。

 しかも悲劇的なことに、発電所の公害は現在の技術対策と経済効率の枠内で解消し難い。そこで電力会社と良識派を称する人びとは、「だが電力は絶対必要なのだから」という大前提で、公害を免罪しようとする。国民すべての文化生活を支える電力需要であるから、一部地域住民の多少の被害は忍んでもらわねばならぬという恐るべき論理が出てくる。 

 本当ならこういわねばならぬのに――だれかの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬと。

 じゃあチョンマゲ時代に帰れというのか、と反論が出る。必ず出る短絡的反論である。現代を生きる以上、私とて電力の全面否定という極論をいいはしない。今ある電力で成り立つような文化生活をこそ考えようというのである。日本列島改造などという貪欲な電力需要をやめて、しばらく鎮静の時を持とうというのである。その間に、今ある公害を始末しよう。火力発電に関して言えば、既存発電所すべてに排煙脱硫装置を設置し、その実効を見究めよう。低硫黄重油、ナフサLNGを真に確保出来るか、それを幾年かにわたって実証しよう。しかるのち、改めて衆議して、建設を検討すべきだといいたいのだ。

 たちまち反論の声があがるであろう。経済構造を一片も知らぬ無名文士のたわけた精神論として一笑に付されるであろう。だが、無知で素朴ゆえに聞きたいのだが、一体そんなに生産した物は、どうなるのだろう。タイの日本製品不買運動は、かりそめごとではあるまい。公害による人身被害、精神荒廃、国土破壊に目をつぶり、ただひたすらに物、物、物の生産に驀進して行き着く果てを、私は鋭くおびえているのだ。

 「一体、物をそげえ造っちから、どげえすんのか」という素朴な疑問は、開発を拒否する風成で、志布志で、佐賀関で漁民や住民の発する声なのだ。反開発の健康な出発点であり、そしてこれを突きつめれば〈暗闇の思想〉にも行き着くはずなのだ。

 いわば、発展とか開発とかが、明るい未来をひらく都会志向のキャッチフレーズで喧伝されるのなら、それとは逆方向の、むしろふるさとへの回帰、村の暗がりをもなつかしいとする反開発志向の奥底には、〈暗闇の思想〉があらねばなるまい。

 まず、電力がとめどなく必要なのだという現代の絶対神話から打ち破らねばならぬ。ひとつは経済成長に抑制を課すことで、ひとつは自身の文化生活なるものへの厳しい反省で、それは可能となろう。

 冗談でなくいいたいのだが、〈停電の日〉をもうけていい。勤労にもレジャーにも加熱しているわが国で、むしろそれは必要ではないか。月に一夜でも、テレビ離れした〈暗闇の思想〉に沈みこみ、今の明るさの文化が虚妄ではないかどうか、冷えびえとするまで思惟してみようではないか。

 私には、暗闇に耐える思想とは、虚飾なく厳しく、きわめて人間自立的なものでなければならぬという予感がしている。

 

 

暗闇に耐える思想 松下竜一講演録
松下竜一
花乱社

 


 (管理人より)

2014年の冒頭に松下竜一さんの「暗闇の思想」を、全文打ち込み、引用させていただきました。

私自身の「暗闇に耐える思想」とはなんだろうと考えます。

脱原発市民を自称する人たちが、ご都合で太陽光パネルを設置して、脱原発を叫ぶことの矛盾。再生可能エネルギーも、自然エネルギーも、言葉で騙された。

日本は、資源がないと刷り込まれ、他国の山を荒らして資源を奪い、工業製品を作り続け、ゴミを出し続け、燃やし続け、水も土も海も汚し続けている。

本当は日本の山や海が資源なのだと忘れてしまった。だから金と楽を追い求め、原発事故が起きた。

こんなに、電線のない日本は美しかったのです。私はこのチョンマゲ時代が好きです。少なくとも取り返しのつかない毒物を撒き散らしていなから。